ひろゆき動画を初体験

人生は初体験に満ちている。今週私はひろゆきが喋っている動画を初めて観た。アベマという番組である。これも初めて観た気がする

司会の人が凄く回し上手だ。とても印象深い

私はひろゆきに関して最低限の知識しか持って居なかった。掲示板ブームの立役者であるとか、「それって貴方の感想ですよね?」という名言(迷言?)や、嘘を見抜けないとネットは使いこなせない、といった発言は知っている

彼はこの番組に於いてかなり煽り気味で印象が悪い。
ただ、お相手の瀬地山教授も私の苦手なタイプである。
苦手なタイプ同士の口論を観る羽目に成った

流石にこの牛角話を取り上げる人はもう居ないと思うので、ちょっと書いてみようと思う


両者は視点が異なる

ひろゆきは平等主義というか、所謂リベラリズムな観点で話している。
万人は平等であり、公平であるべきなのだ、という価値観に所属しているのだろう。
これはどちらかと云えば彼自身の意見ではなく、彼の支持層が保有している考え方を暗記して喋っているのだろう。彼の脳は良い性能を持っている事が伺える。普通、なかなか他人の考えをベラベラ代弁出来ないのだ。頭良いんだな、と思った。詰まり彼は非常に胡散臭い。そう確信した。
加えて、彼は瀬地山側の意見も頭に暗記してあるのが見て取れる。相手のウィークポイントを分かり過ぎている気がするのだ。どこまで台本なのだろう?
瀬地山は本当に怒っている様にしか見えない。司会も本気で制止している様な感じだ

一方、瀬地山は経済学的な観点が強く出ていると思う。途中から論点がブレるので分かりづらいが、基本的には男女で経済格差が有るのだ、と主張している

ハッキリ言って嚙み合っていない。
番組を盛り上げる為なのだろうが、もう少し落ち着いて喋って欲しかった


差別と経済

差別は儲からない。優秀な経営者が顧客を差別する確率は低いのだ。
誰が払おうと1000円札は1000円の価値しかない為だ。払ってくれるなら誰でもウェルカムと成る。
しかし例外が存在する。それは差別が儲かる時である

遊園地に行けば3歳以下は無料だったりする(ここが有名だろう)
一見すると何歳だろうが同じ値段にしてしまえば儲けが増えそうである。しかしそんな事をする経営者は居ない。それをやると売り上げが減るからだ。
もし企業が差別的に見える価格設定を行っていると感じても、それは多くの場合が単にナッシュ均衡である。理論上、あらゆる価格は適正価格なのだ。
価格に納得できなければ顧客は購入しないだけなので、不当に上げれば儲けが減り、無駄に下げても儲けが減る。優秀な経営者は無駄な事をしない

もちろん適正価格と剥離する場合も有る。
1つは顧客が商品やサービスの内容を把握出来ない仕組みに成っている場合などだ。これは情報の非対称性と呼ばれる。
貴方が銀座の腕時計屋さんに行ったとしよう。15万円の腕時計と35万円の腕時計と105万円の腕時計が売っているだろう。もし貴方がそれらの中身は全部一緒であると知らなかったら、案外35万円の腕時計を買ってしまうかも知れない。
しかし当然だが、社員は全部一緒である事を知っている。中身は下請けの下請けが造っている全部一緒のパーツだ。
これが情報の非対称性である。新発売のお菓子や映画なども中身は顧客に知りようがない。こういった現象は社会に溢れている

そして、もう1つの理由が何かしらのシグナルを発する場合だ。
高給な腕時計を身に付ければ、私はお金持ちですというシグナルに成る。よって高い物を買う動機が高まり、適正価格をオーバーし易い

他には結婚しているとモテる事のアピールに成ったり、企業がSDGsに配慮しているとアピールする事など、社会はシグナルに満ちている(私にはSDGsが何のシグナルに成るのか分からないが)
牛角はガールズコレクションとコラボしたらしいので、女性の皆さんご注目下さい!とアピールする必要性が高かったと推測できる

ここまでの段階では牛角は男性差別とは呼び辛い


利益移転か否か

経済的な争点はこのキャンペーンが利益移転と成るかどうかである。
これは瀬地山も認めている。彼は「日本中で慢性的に女性が半額だったらそれは差別だ」と言っている。
適正価格を意図的に破壊しているだけなので、それで損をするのは企業であり、過度に成れば単なるダンピングである

もしも半額が永続した場合、男性客が払う金額で女性客が本来払う金額を埋め合わせているだけなので、それは男性から女性への利益移転に成ってしまう。よって差別だ、と瀬地山は考えているのだろう。
しかしそんな事は起こり得ない。
あくまで女性客に牛角というお店を好きに成って貰い、出来れば固定客に成って貰うのが目的の筈だ。ガールズコレクションとやらが何なのかは知らないが、恐らく焼肉業界と縁遠い女性達だと経営者は判断したのだろう。詰まりアピールのし甲斐が有る。
未来の儲けを狙って、牛角は一時的な損失を選んだだけである。
このキャンペーンは極短期間なので、差別とは呼び辛いと云う瀬地山の意見は、十分的を射てると思う


民主主義と差別

さて、差別とは何だろう?
それは集団合意である。
皆が差別だと思っていれば差別であり、
誰も差別だと思っていなければ差別ではないのだ。
賢さや常識と同じ様に、差別には民主主義や多数決の原理が宿っている

「女性が半額なのは男性差別なのだ!」と言い続けて居れば、もしかしたら世間は「今まで深く考えなかったけど、言われてみれば確かにそうかも?」という認識に変化するかも知れない。
かつて昭和の教師は喫煙しながら授業をしていたらしい。体罰も無くなった。昔はゴミをポイ捨てするのは当たり前だった。今では考えられない。
この様に、社会とは変化し続ける物だ。男性を差別するな!と言っていれば何時かは社会が変わるだろう。
企業も女性限定キャンペーンを打つ度に大炎上するなら、金輪際そんなキャンペーンは打たなくなる。勿論、男性の多くが賛同している必要はある


危惧すべき事

重々承知して欲しい事は、ここが最終的な前線であるべきだ、という事である。
訳の分からないイカれたインフルエンサーに扇動され過ぎないで欲しい。
これ以上突き進んでしまえば、
「3歳児まで遊園地が無料なのは差別だ!大人と一緒にしろ!」とか、
「女湯に男が入れないのは差別だ!全部混浴にしろ!」とか、
「巨漢と小柄の男子で運賃が同じなのは差別だ!」などと言い出し兼ねない。
これは随分とインプレッションが稼げそうだ。
ヤクザが「刺青してると銭湯に入れないのは差別だ!」とか言い出すかも知れない。私は笑ってしまうだろう

何はともあれ、今よりも言論の前線を押し進めると大衆はもう着いて来ないだろうな、と私は確信している


差別は本当に不要か?

この世界には同じ人間が存在しない。せいぜい良く似た双子が居る程度だ。全ての人間は異なる。違う者達を全て同じに扱え、というリベラリズム的感性が正しいと思い込むのは自由だが、もう少し現実を考えるべきだろう

能力に依って就ける仕事は異なる。職業が違えば給料は異なる。
製品に依って性能は異なる。性能が違えば需要も異なる。
国に依って価値観は異なる。価値観が違えば政治も異なる。
為替が違う、気候が違う、歴史が違う、人口動態が違う、世界は異なる物だらけだ。
あらゆる差異を不当と称し糾弾する積もりなのだろうか?
それはカルト的言論集団まっしぐらだ。もう少し差異を受け入れるべきだろう。そして、それは瀬地山の陣営にも当て嵌まる事だ

我々は差別にもっと寛容であるべきだと思う

ペット不可の物件は動物差別かも知れない。
ドライブスルーは無免許差別かも知れない。
男性がBLを嗜まないのは男性差別かも知れない。
戸締りをしっかりするのは泥棒差別かも知れない。
アイヒマンを死刑にするのは大量殺人鬼差別かも知れない

この様に考えると、私達の脳はどれだけの差別に満ちている事か?

差別は社会にとって、とても重要なインフラである可能性も高い。
そしてそれらは大抵の場合、経営的判断が生んでいるに過ぎない、と私は思う。銭湯に刺青おじさんが来ると困るのは経営者であり、賃貸物件にペットを連れ込まれて困るのも不動産経営者であり、ドライブスルーを撲滅されると困るのは田舎のマクドナルド経営者である




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冒頭の番組で特に面白いと思ったのは、
瀬地山「男性が履いている下駄に気付いて居ないだけ」
ひろゆき「焼き肉屋でどんな下駄履いてるんですか?」
ここがかなり面白いと思ってしまった

東大教授という下駄中の下駄を履いた瀬地山。
焼肉屋はそんな大層なものではないだろう、という本音を垣間見せてしまうひろゆき。
アベマが人気番組だというのも頷ける。
ひろゆき氏はお金持ちだと思うので、本音では女性半額とかどうでもいいと思っているだろうな、と伺える。彼は自身のファン層が何を望んで居るのか良く分かっている。確かに生粋のインフルエンサーだと思った。
瀬地山も本音では性差とかに大して興味は持ってないだろう、と思ってしまった

2024年09月18日