傘泥棒に会ったら「ありがとう」と言おう

傘が盗まれた時、私達は傘泥棒さんに「ありがとう」と言うべきかも知れない。これは日常に於けるちょっとした哲学と云えるだろう

この世が100人の町だとしよう。この内、傘泥棒がたった1人だったらどうなるだろうか?
町には99本の傘とその持ち主達が居り、傘を持っていない傘泥棒が1人居る。傘泥棒は99本の中から選び放題だ

では次に、傘泥棒が100人の中で50人を占めていたらどうなるだろう?
町には50本の傘に対して50人の傘泥棒が居る。傘は間違いなく奪い合いに成る。
そして泥棒達が奪い合った末に、50本の傘は全て持ち主の手から離れて行ってしまう可能性が高い。もうこの町では誰も傘を買おうとは思わないだろう。何故ならほぼ確実に盗まれてしまうからだ。
そして誰も傘を買わないので、傘を作る人すら居なくなってしまう可能性が高い

では最後に、傘泥棒が町の100人を占めていたらどうなるだろうか?
傘という文化や概念そのものが消滅してしまう可能性が高く、そしてゆくゆくは「傘泥棒」という住人の自己認識すら消滅するかも知れない

このように考えると傘泥棒が現代社会に存在している事は、日本が平和で豊かで恵まれた社会である証なのだ。
傘泥棒が少なく、傘が豊富に出回っている社会だからこそ傘泥棒は存在出来るのである。
泥棒が少ないからこそ泥棒は存在しうる、という結論は奇天烈に思われるだろう。しかしこれは事実なのだ

もしも傘を盗まれてしまった時、私達は怒らず焦らず、傘泥棒さんに愛を込めて「ありがとう」と言うべきなのかも知れない

2024年07月19日




(なお私は言えなかった)