少子化は進化である。解決策はまだ無い

食物連鎖ピラミッドという物がある。きっと見覚えがあるだろう。ピラミッドの頂点に近づくほど生物は少子化する。強い動物は捕食されないために、増えすぎるとエサを失ってみんな死んでしまう。それを何世代も繰り返す内に子供を産み過ぎない生態を手に入れるのだ

砂漠や寒冷地に住む場合でも産み過ぎない生態が育まれる。ペンギンなどは双子を産むと100%片方が死んでしまう。生物にとっては大事なことだ

人類学者によると、かつての人類はもっと弱かったようだ。虫歯で死ぬ、インフルエンザで死ぬ、蠅や蚊に刺されたり蜂やイナゴに襲われて死ぬ。動物に噛まれたり、高所から落下したり、ささいなケガで死んでしまう。割礼やら成人の儀やらと、奇妙な風習で死んでしまう。
自然災害には歯が立たない。流産なども多かった。自殺を考える暇もない

現代人はテクノロジーの発展により食物連鎖ピラミッドの頂点へと駆け上がってしまった。我々はもう中々死なない。最後の敵はガン細胞と生活習慣病になった。あとはせいぜい交通事故だろう

哺乳類が交配と淘汰によって遺伝子を進化させるスピードはかなり早い。この特徴は品種改良や動物実験などに役立っている。
人類はこの特徴に加えて社会という外部圧力を非常に強く持っている。僅か2世代を経るだけで急速に少子化を獲得することが可能だ。
自己品種改良といったところだろうか

以上を踏まえて、少子化の解決は非常にシンプルな結末を迎えると予想出来る。
それは人類が死にまくることだ。
虫歯で死に、インフルエンザで死に、イナゴや蚊に襲われまくり、非科学的な風習で死にまくる。そんな時代を迎える事で私たちは少子化を克服するだろう

ではそんな時代を作るためには何が必要だろうか?
我々がテクノロジーを喪失するのであれば、それは何が起きた時だろうか?

テクノロジーは労働力や資源といった資本が豊富であり、資本が豊富なために得られる貨幣流通量や貨幣流通速度が高く、貨幣流通が豊富なことで得られる豊富な税金や準備金を、テクノロジーに投資し続ける事で維持している
(少なくとも私にはそう見える。たぶん誤っているだろう)
先進国はこの闘いに参加しなければならない。
参加しても勝てるとは限らないが降りれば必ず負けるだろう。テクノロジーは合成の誤謬や囚人のジレンマといった様相を呈している

膨大な維持費を献上しなければならないテクノロジーへの依存が増す度に、先進国住人の実質的な平均収入は落ちていくだろう。
そして落ちた収入の分だけ利便性が得られるというトレードオフに直面し続ける。テクノロジーに適合できない者達にとっては却って不便かもしれない

またテクノロジーは電力に依存している。先進国は電力獲得競争に身を投じなければならない。
発電用の資源には限りがある中で、途上国も化石燃料の争奪戦に参加しなければならない。
そして先進国は次世代型の発電方法を見つけるのに躍起になる。新たな発電システムはいずれ輸出されまた金をもたらす

前時代的な製品は先進国によって研究されつくしており、電力獲得競争に敗北した途上国たちの勝ち目は薄い。加えて彼らもまた化石燃料や再生可能エネルギーなどから電力を獲得し、少子化の一途を辿っていく。
彼らもどんどん死ななくなるのだ。
1世代を30年と考えても60年あれば年寄りだらけの国になる

年寄りだらけになった未来の途上国たちは、相変わらず年寄りまみれの先進国たちから、次世代型発電システムを高い金で譲り受けていくのだろう。
先進国はその金でまた新たな発電システムを考えるのだ

しかし何時かは上手く行かない日が来る。世界的な少子高齢化により、貨幣流通速度が高度なテクノロジーを担保できる速さを下回り始めるからだ

次第にグローバル経済は弱体化して地方的な小規模経済へと回帰していく。
その頃には現代の先進国と途上国という構図は大分マシになるだろう。一時的に世界のジニ係数が0.3を下回るほど格差が減っていても私は驚かない。そして人類は食物連鎖ピラミッドの頂点から落ちていく。人がたくさん死んでたくさん産まれる。少子化は克服され、世界は戦争ばかりになり、またテクノロジーが発展し始める。
似たような事の繰り返しだ

私たちは合成の誤謬を克服できない。
人類は囚人のジレンマから逃れる術をほとんど持たない。
電力獲得競争への参加は止められない。
よって実質的に少子化をコントロールする術は存在しない。
今後も人類はテクノロジーに依存し続けるだろう。それは半永久的に続く。
もし化石燃料を使い切っても止まることはない。似たような事を繰り返すだけだ

最後に、以上を踏まえて私たち庶民には何が出来るだろうか、または何をすべきだろうか、と問う人間が居るかも知れない

私はこう考える。
「何も出来ないし、すべきでもない」と

我々は世の中を変える力を持たない。善かれと思ってした事が実を結ぶとは限らない。
進み行くテクノロジーと減りゆく実質賃金の狭間で、毎日を幸せに過ごす事へ注力するのが精一杯だろう。
(収入は増え始める日が来るだろうが、これは今の全員があやかれる訳ではない)

どんな世の中だろうと我々が生きる目的は決まっている。
人生を楽しく過ごし、幸せで彩り、そしてあまり苦しまずに死ぬことだ

幸せになる手段の1つに結婚や出産があると考えるならば実行すると良いかも知れない。
労働で社会貢献をすることが幸せに繋がるなら仕事に精を出すべきだろう

それで世の中が劇的に良く成る事は無いが、世の中に対して私達庶民が責任を持つ必要はない事を覚えておくと良い

2024年04月28