私の脳内に降ってくるのって文章じゃなくて会話なんだよね、大抵は2人の。いろんな人が出てくるの。片方が私だったり、両方私じゃなかったり、ときにはどちらも私以外じゃなかったり。いつだってその会話は澱みなく進むんだ、話者が私じゃなければね。まあ私も滅多につっかえないんだけど。
そんな会話の登場人物たちはよく私に正論を振りかざしてくるの。私が突きつけてくることだってあるわ。不思議よね。正論なのはわかってるの。正しいの。だからこそ私はそれを受け入れて傷つくか、ひたすらそれから逃げ続けるか、そうするしかないの。でもね、わかってるの。認識した時に私は傷つくの。
どこまでが私なのかな。会話を聞いてる私?会話してる私?私と会話してる相手?会話してる私ではない2人?
きっとみんな私なんだろうね。心のどこかで分かってるからこそそんな会話をするの。でもじゃあなんで私は私ではない誰かになりすましてるの?その人の言うことになら私は従うとでも思ってるの?
逆かな。なんで私は彼らの言うことに従うことができないの。どうして私は逃げ続けるの。理解できない。どうせわかってるんでしょ、彼らが正しくてあなたは間違っているんだって。わかってるなら受け入れなさい。

……そんなこと言ったって、どうせ私が私の言うことなんか聞くわけないのはわかってる。
言い方がダメなのかな。どうせ聞き入れてなんかもらえないってそう諦めながら会話してるのかな。そうよね、そういえば私は基本的にすぐに諦めてしまう人間で、ある種の行動原理にまで諦めが作用してるんだった。じゃあ何?私は一体どうすれば良いの?そう思っているのは一体誰?誰が私だって言うの?
ああそうか。正論だって私だったんだね。私が苦手とするものは、従えない正論じゃなくて正論に従えない私。結局そういうことなんでしょう?あなたが正論を突きつけてくるから好きだけど苦手だと言っている彼のことだって別にあなたは嫌っていないのよ。ただ彼を通して映った自分に絶望してるだけなの。
こんな私に未来はあるの?こんな世界に私はいるの?
何の為に生きるのかなんて誰に語りかけても一緒。結局全ては私。私以外の全てが欠如したここは私を変えられないし、私は私だけで変わるしかない。私自身で自己を完結させないといけない。それが出来ると信じることすら出来ないけど、それでも。

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