ヒトノココロガワカラナイ

クリスマスですね。

プレゼントの受け渡しってあるじゃないですか。あれって何なんだろうってちょっと思ったんですよ。賢者の贈り物を原作とする動画を見たんです。2人が互いに贈ったのは各々の買ったプレゼントと、そして互いを愛する気持ち。きっとそういうことで良いのでしょうが、そもそも気持ちを贈るってどういうことなんですかね。
誰かに何かを贈るとき、大抵は同じものを自分は失うわけです。例外は……言葉とか音とか。多分それくらい。自分の手元にも残るか、あるいは相手の手元にさえも残らないか。ところがこの例外にしたって、やり取りの中で登場するものは贈り物だけです。しかし、“気持ち”となると話が変わります。気持ちは常に、それを想う人の心の中から生まれます。それ故に他人の気持ちをそっくりそのまま理解することなど到底不可能となるわけですが、とにかく、“気持ち”を贈るのは、他の何かを贈るのとは違い、贈る物と受け取る物が異なってしまいます。同種のものだと見做せるか、という心理学的な話題に触れると今以上に収拾がつかなくなのでやめておきましょう。
気持ちを贈り物として扱う場面といえば、「気持ちだけでも」と言って贈り物を断る場面が真っ先に思い浮かびます。このとき、贈り主は相手に対する何か好意的な感情があり、それを表現するために物で代え、そして受け取る側は相手の好意をそれに汲み取って、主に感謝の念を抱くわけです。もしもここで物品の受け取りを拒否してしまうと、ニュートリノ振動のように種類を変える“気持ち”を媒介するものがなくなり、2人は互いに対する好意をそれぞれが勝手に抱くようになります。……ここまで書いて思いました。贈り物の意志を実際に言葉で伝えていますね。ちゃんと媒介するものがありました。

……何が言いたいのか分からなくなってきたので終わりにします。まあどうせ私のnoteなど誰も読んでいないでしょうしサーバーの負荷になるほどのものでもありませんし別に問題ないでしょう。とりあえず、人間の心はわからないなってお話でした。