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ハルと文学賞と物語、と私。

*サムネイルは表彰式の様子です。個人所有のイベントホールにて主催者、作家諸氏、読者の方々が一堂に会し賑やかに執り行われました*
 
6月21日に表彰式を終え、第五回飛鳥文学賞も全ての開催日程が終了しました。
応募作の「ハルは早春の幻に泳ぐ ~Hal swims in the illusion of early spring~」は今回、森の動物賞を戴きました。
感謝申し上げます。
 
さて、本作は私が体験した事柄をもとにして創作したものです。
今まで書いた作品はほぼ自分の脳内で作り上げた物語ばかりでしたので、実体験を交えて物語をつくることはあまりありませんでした。
自分にとっても興味深かったので、その点も併せて解説などを少し書いていきたいと思います。
よろしければお付き合いください。
 
ハルが出会った魚の群れは実際に私が見た景色で、こちらに掲載した第一話のサムネイルはモデルとなった魚たちを撮影した時の画像です。
春先の散歩中に見かけたもので、湖に流れ込む支流のような浅い小川の中に無数の魚が群れています。
多分フナかコイの類だったと思いますが画面には収まりきらないほどあちこちにいました。
そして作中に水辺や水中の描写がありますが、その様子は現地の様子に寄せて描きました。
 
魚の群れを見つけたハルがそれを告げ、父親が魚を捕まえてくる。そして最後に父親が魚を逃がしてきたというくだりも実際の出来事です。
釣りなどで捕まえた魚を食べることはわりと経験していましたが、その時だけは何故か今までにない拒否感というか嫌悪感を覚え、そんな気持ちになったことが自分にとって印象的に感じられたことがこの物語を書くきっかけになったように思います。
 
その時そう思ったのはなぜだろう?と考えながら書き進めていくうちに「自分の行動によって誰かの(この場合は魚ですが)平穏が失われてしまうことへの不安を抱いたこと」をハルが無意識のうちに自覚し、それが夢の中での出来事となって表れたというのがこの物語の大筋になりました。
 
魚たちにとって災難の発端になった、いうなれば加害者側にいるハルが自分と魚を仲間というか同一の生き物のように夢の中で存在している理由は単なる憐れみなのか、ハルの母親が言ったように単に「お気に入り」になったからなのか?
・・・書いておいてなんですが、正直そこはまだ自分でも良く判っていません。
 
この物語はハルの「不安が現実になってしまった失望」が父親の行動で救われるという結末で終わりました。
この書き方は自分の好きな結末、癖なのだと思います。
物語を書く時にどんなに厳しく苦しいことがあっても、最後にほんの僅かでも明るい何かが感じられるような結末にするのが好きなんですよね。
 
ハルの物語についての解説はざっくりこんな感じです。
さて、もう少し書きたいと思います。
 
授賞式のスピーチでお話したことへの補足になりますが、ハルの物語は文学賞あてに書かれたものではなく、他に2作ほど新作の構想がありました。
しかし1作は書きかけましたが物語の流れがしっくり来ずに止めてしまい、もう1作は構想が纏まらず、書くと長くなり文学賞のレギュレーションから外れてしまうということもあって断念しました。
結局、別に1作短めのお話を出品したのですが、ほぼ思い付きだけで書いてとりあえず形にしたくらいでしたので、出来栄えとしてはイマイチでした。
読者の方からは良い反応を戴いて、却ってもうしわけなかった・・・。
 
応募作品の展示期間に他の出品作を全て読んだのですが、自分の作品と何かが違うという違和感がどうしてもあって、それが良くわからずにいましたが読者の方から寄せられた感想文を戴き、それを読んでようやく自分が感じた違和感が晴れた気がしました。
 
感想文の言葉の中に「UOらしさが足りない」という言葉があり、それがまさに的を射ていたわけです。
剣も魔法もない世界でも成り立つ、UOの世界でなければならない理由がない物語を書いて、「あれ?これってUOの世界じゃなくても良くね?」と心のどこかで感じていたからかもしれないなと。
 
まあこんな風に自分と物語、物語とUOの距離感について考えた今回の飛鳥文学賞でした。
物語はまた何か書ければ良いな。うん。
 
とりとめなくなりましたが、なんかそんな感じです。
お付き合いくださいましてありがとうございます。


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