24.04.29

なんでしょうね。最初から惹かれたわけじゃないんです。
どちらかと言えば、警戒していた、に近いかもしれません。
見た目の麗しい男には棘ならぬ、何かがあるとなんとなく察知しているんです。長い人生から。長く、色んな人と接してきた経緯から。

期待しない、という言葉はたまに嘘になります。期待はしてしまいます。だけれど、期待するほどあたしには時間はなかった。
だから目の前を瞬間的にでもこなそうと思いました。愛するつもりもありませんでした。

人と会う時、あたしが常に念頭に置いていることは「これで会うのは最後かもしれない」ということです。
ですから、この時も例に漏れずそう考えていましたし、どう考えても最後だと思っていました。
だってあたしは、明日には転居してしまうんです。100kmほど離れてしまったら、もう気軽に会おうなんて言わないでしょうから、本当にこれが最後だし、最初でした。
儚いくらいでちょうどいい。
コンビニの前に車を停めて、心許ない車内灯でとりあえずの化粧をしました。

特定の人を作る気はないのかと聞いたら、ないと返事があったので、それがたとえこちらの滑舌の悪さゆえに聞き取れなくて適当に返事をされたものだとしても、まあそうだろうな、と思えました。

演技をするのも忖度をするのも簡単です。
気持ちがなくてもセックスできるように、きっと我々サドを自称する女はマゾを自称する男を抱くことはできます。お金をもらったらもっと頑張れます。お金がなくても抱けるのは、その時の気分次第なのです。

客観的な「可愛い」は感じても、恋愛感情や身内感情、贔屓目のような「可愛い」は当然もち備えていませんでした。通りすがりに見た散歩をしている犬のことを可愛いと思え、まるで女子高生のような迎合で「かわいい〜」と高い声を出せても、情までは入り切らないのと同じで。

どうしてそれが、時間を重ねたら「感情」になってしまうのでしょう。
どうして、これで最後、今日会うのは最後かもしれない、と頭の中で唱えていても、また次回に会うお話をしてしまうのでしょう。
どれだけ切り離したくても、切り離すことを考えた時ですら感情的になってしまうのでしょう。

それから、どうして「可愛い」と感情のこもるものに対して、壊したいという感情が底にこびりついてしまうのでしょう。
そこに、独占欲や支配感が絡み付いてくると、もうどうしようもなくなってしまいます。

そこに戻りたいです。
何も知らなかった、忖度ができて、演じることができた時に。

それでいて、今から積み重ねていきたい。
可愛いと嗜虐を。
そしていまは、消したいです。自分の中のどうしようもない醜い情けなさを。

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