或いは、散歩のようなもの。
きみとの出会いは、犬とあたしの散歩のようだった。
道で出くわした時、きみは野良犬だった。
野良犬だけれど、品があって、毛並みが良かった。
誰かに愛されてきて誰かを愛した子のように思えた。
何も言わずに、黙ってきみはあたしに歩調を合わせた。
たまにどこかに行ってしまったり、かと思えばずっと歩き続けるあたしの隣にまた来たり。
時間と距離をうまくやりくりして、自然とそこにいた。
懐いてるの?と訊いたら、控えめに尻尾を振って答えた。
そっか。あたしもそれ以上は訊かなかった。
常に同じ調子で歩き続けるあたしに、立ち止まったり振り向かせたり、先に行ってしまってあたしを置いてきぼりにしたことに気づいて、お座りしてあたしの到着を待ったり。
無駄吠えは何もせず、ただ、あたしとたまに目が合うと、立てた耳を揺らした。
誰かに飼われるつもりはないと、きみの瞳は語っていたけれど、
首輪があった方がより犬らしくなれるよと、きみにお似合いの首輪をつけて、あたしがリードを持った。
首輪をつけた方が苦しいかもしれないと思った。
それで逃げてしまうなら、きっと口に合わなかっただけなのだ。とも思ったけれど、
あたしが想像していたより、首輪のついたお散歩も悪くないのかな、と勝手に判断した。
きみの横顔は凛としていて、出会った時のままだった。
互いのペースを干渉したり、乱さない、お散歩だった。
だけど、歩けば歩くほど、互いにとっての心地よい歩調が何かがわかった。
わかった気がした。
視界を下に落とせば、あたしを仰ぎ見て、やはり控えめに尻尾を振るきみがいた。
気高い互いのプライドと、歪んだ2人の快楽の歩調が、少しだけ合ったかもしれないと自覚できるところまで、何日かかっただろう。
肩書きに縛られず、名前のつかない関係のまま散歩をすることも悪くなかった。
懐いてるの?と訊いたら、最初の頃よりずっと嬉しそうに尻尾を振って、それだけで、あたしにとっても嬉しい答えだった。
最初から強引に手綱を引くことはできたかもしれない。きみも好きに生きる道があっただろう。
それをしてれば最初の盛り上がりはきっと違った。
だけど、あたしたちは歩調が違う。
生き方が違ってきたのだから、リズムが違う。
だからこそ、時間が経ってから成熟していく2人のペースが嬉しい。
歩調もリズムも合うほどに育めたことに、たまに笑いながら歩いてしまう。
あたしにとって、常に同じ速さで一緒に歩けることが完璧なわけでない。
どちらかにどちらかが合わせることが理想的なわけでもない。
あたしも立ち止まるし、きみのことを置いていくこともあって、きみもふっとどこかへ行ったと思ったら、無言でそれでいて尻尾を振ってどこからか出てくる。
そうして暑い日も寒い日も、
死にたくなるくらいお空が青い日も、ゆっくりと散歩を続けている。
行かないでとか、追いつかせてとか、言うつもりはない。
お互い思うこともあるだろう。
たまには言いたいことを言って、噛みついてもいいよ。そのくらいのことに寛容になれる程度にはたくさん歩いてきたよ。
これは散歩なのだから、
目指す場所なんて特になくていいんだ。
・・・・・・・
どこにでも転がってるような出会いが、「人間関係」「信頼関係」などという高尚な言葉に変化するには、縁や運だけでなくて、時間も体力も労力も必要かもしれない、でもそんなに無理する必要もないんじゃないかしら。という話を自分なりに書きました。
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