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8.15

何ひとつ失っていないのに、喪失感が重たくあって、抜け殻のような気持ちで目が覚める朝。失ったものはおそらく、時間。それと、ずっと支えあってきた感情の一部の崩落。

内陸の、深い山の中で生まれ育ったから海を見ると気持ちはあがる。大人になってから海沿いに何年か住んだ経験もあるのに。
それでいて海が怖い。全部をのみこんで、引き潮と共に遠くに連れて行ってしまわれるみたいで。

無気力の域をなかなか出ないでいるが、何とか今日まで漕ぎ着けたので、泳ぐ力はまだ残っているなと感じる。目の前で起こらなければ現実と思えないのと同じく、誰かに会わないと全てが乖離してゆく。

昨日の夜は、久しぶりに空いっぱいの星空を見た。星の瞬きまで見えた。プラネタリウムのようだ、って変な表現だ。プラネタリウムが、夜のお空のようであるのに。それを見て、何を思うか。あなたもこの瞬きを見ているのかな、とか、そんなありきたりのことを。

開発の楽しさについて考える。何もないところから掘り起こすことを開発と例えるならば。男の子が自分に対して懐いてくれて、それを可愛いなと思えたら、愛情表現の一種で「壊れてほしい」「性的なことの奴隷になってほしい」と思う。行為をしてほしいがための口先だけの好意は、透けて見えるからとても嫌で、懐いてくれてもそれを可愛いなとこちらが思えなければ前には進めない。

明日のご予定いかが? の声かけに、気軽に「予定空いてますよ」と言えるような世界に行きたいと思う一方、それを言えないから世界が美しく見えるのかもしれないと思ったりする。そしてあたしは、気軽に誘える人になりたい。理由もなく「会いにきたよ」の一言だけを添えて会いに行ける人がほしい。

もう一度積み重ねたい。崩したのはあたしの両手。ぐちゃぐちゃにかき混ぜてしまった。癇癪を起こした子どものように。

なぜだかわからないけれど惹かれる、と言われることがある。あたしには勿体無い言葉だと思うし、有難いとも思うが、不思議で仕方がない。そしてそういう人ほど、その言葉の割にはすぐにいなくなるので、笑ってしまう。おそらく、そういう人たちは “性愛の上に成り立ち” あたしに惹かれていたのだと思う。
あたしは何でもしてくれそうだった? 甘やかしてくれそうだった? 辛辣なことを言わなさそうだった? 
性愛に飽きられてしまえば、関係はもうそれで終わり。

“人間愛の上に成り立って” 惹かれてほしい。あたしも相手に対してそうでありたいから。
もっと言えば、性愛と人間愛の混同する中に立っていたい。

人間愛とはなかなか難しい。尊敬したり、曇りないほど信頼できている人だったりでないと、人間愛など生まれない気がして。不信感が少しでもあると難しいのに、あたしは猜疑心の塊。

この方は、そもそもあたしに対して失礼なことをしてくる方だな、と思った時点でもう口をききたくなくなるのは、ものすごく器も狭いし傲慢なのです。だけど苦手なものは苦手なのだもの。心を殺してまでお話ししたくない。

どうして自分はSMをするのか、したいのか。したいからしてる、しか回答はない。性的な嗜好だから。それが一番興奮するから。一方で、もうしなくていいよと言われたら、しないかもしれない。だから毎朝、起きて顔を洗って、この人生であと何回、あたしはSMをするんだろう。できるんだろう。と思ってしまう。必要不可欠なものかどうかは未だにわからない。なぜなら、SMをするのは相手ありきだと、いまは強く思ってしまうから。

あなたは気遣いの鬼ですね、と言われたけど、結局のところ「鬼」なんだな。鬼ごっこの鬼になりたい。追いかけて捕まえて。

嘘でも「大好きだよ」は言える。嘘でも「あなただけだよ」も言える。嘘をつけない言葉はこの世にあるのだろうか。そう考えれば言葉は嘘をつくのが当たり前なのかもしれない。

何かを心配してなのか、こまめに連絡をくれる人がいる。一緒になって悲しんだり、あたしよりも悲しんだり、してくれる。優しい人だから前置きをしてから、あたしを叱ったりする。あたしのために世界に怒ってくれる。感情をころころと豊かに変えて。それで最後は「あなたの大事にしているものに対して、よく知りもしないのに言いたい事を言ってごめんなさい」と言う。何をどう見てきたら、そんなふうに思えるんだろう。あたしはそんなふうに誰かに対して感情移入ができないから、その感受性の豊かさや相手を思いやる気持ちにたまに驚く。

果物がひとつ、静かに腐っていっているのを見つけてとても悲しくなってしまった。気づいてあげられなくてごめんね。お皿が割れても、果物が痛んでも、とんでもなく悲しい気持ちになる。失った、という現実にどうしようもなくなる。値段は関係ない。自分が大事にしていたものが、不可抗力で壊れることはどうやっても悲しい。
それにしても果物は本当に静謐の中、腐ってゆく。お皿も人との関係も、派手な音を立てて壊れてしまうのに。

自分が文章を綴ることは、自分に対してのセラピーだと若い頃から思っている。言葉の薬毒。飽きたらずに、あたしはずっと続ける。

安心して壊したい、安心して壊れたい、という矛盾を抱える我々。だから出会うしかないSとMなのかな。

優しさとは敢えて突き放すことか。崖から子どもを落とすライオンのように?

少しずつ、何をしたらいいんだろうという虚無に似た何かが消えてきて、こうしたい、が増えてきた。眠る、起きる、食べる、歩く、抱きしめる。繰り返しの毎日に、折りたたまれるようにあなたがいることを、その存在を感じたい。

たまには深呼吸をしようね。
朝の海を見つめながら、本音を書いています。

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