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8.12

夢か現実かわからない夢うつつを明け方によく見る。3時と5時には目を覚ますから、その浅い眠りがよくない。20代に精神疾患を患って、それを寛解させるために始めた早起きだけれど、立派な大人になった今でも本当は苦手。いまは病気に関わらず早く起きることが常となっているけれど、それでも本当はずっと眠り続けてそして死にたい。今日も生きるけれど。

体調が(ようやく)戻ってきたので生活スタイルを立て直し、5時に起きてよくわからないビタミン豊富な果物のジュースを飲みながら少しだけ本を読む。本谷有希子の「ぬるい毒」。あなたの書く文章が「ぬるい」わけがないと思いながら。毒はいい。

ホームパーティをしたい。でも、手料理を誰かに食べさせることに未だにトラウマのようなものがあって、手料理以外で何とかもてなせないかを考える。考え続けているだけで未だに実現はしない。

難しい言葉を使うのは辞書があれば簡単だが、誰にでもわかる言葉を使って表現する、或いは難しいことを噛み砕く、というのをできればやっていきたい。それは表現者としてでなく、ただ自分の心情として。それでも「普通、そんな言い回ししないよ」と友人に指摘されることの歯痒さ。精進が足りない。

発熱して14日以上経つのに味覚が戻らず、夜は激しく咳き込んで目が覚める。これが流行りの疫病でなく、なんだというのだ。と思うけれど、もう14日以上も経ったのかということの方に愕然とする。時間は光である。光は人の心に瘡蓋を作ってくれる。だけどあたしの気管支は治してはくれないらしい。静かな顔で中指を立てたくなる。

宙ぶらりんは嫌だ。連絡がないのをただひたすら待つのも嫌だ。きっと期日が決まっている方が己の特性に向いているのもある。
1ヶ月は待つけど、それ以上はさよならだな。と自分の中で決めている。

人間の名前を奪って犬の名前をつけた男の子とは、毎日時間のある限りやりとりをして、会ったこともないのに顔も声も知っていて、会ったこともないのに主従関係になった。1年以上続いたときには、一度も会わないのにこんなふうに人間関係が構築されることに驚きを隠せなかったし、こういう関係も存在するのかと思った。それを受け入れた。だから終わる時は実際に会って終わらせた。また連絡します、と言われたし、半年後には、またお会いしたいです、とも言われたが、最後に御堂筋線の改札で顔を見て「もう会わないよ」「もう連絡しない」とあたしは言った。己の口から出たことは、なるべくなら守りたい。自分に嘘をつきたくないから。決めた芯を曲げたくないのだ。さようなら、3年ほどの、不確かなようで確実にそこにあった関係。
冷静に考えると、彼のストレスの発散のために、あたしは利用されてただけだなと思う。深くは語れないが、彼が抱えるストレスの根源を知っていたから。それでもいいよ、その時はお互い、癒しあえていたんだろうから。

今日も腹がぽこぽことして、己は命の器なのだと知る。

梨子さんの文章、本当に好きだったなと思って、もうTwitter内にはいらっしゃらないけれど、noteは残っているので読みに行く。当該noteは梨子さんの影響を受けています。

いろんな人に自分の文章を読んでもらいたい承認欲求の塊のくせして、たまに誰にも目につかないところで言いたいことを全て言いたくなる。見ないでと、見てほしい、が混在する。二面性を持つのは、文章に限らず。AB型だから仕方ないね、と信じてもない血液型性格診断を理由にする。文章表現はあたしにとっては生理現象だから、あたしの文章を読む人はあたしのおしっこを見てるようなもんだよ。岡本太郎も似たようなことを言っていた。そういえば。

致命的だなと思うこと。加虐して興奮するタイプというよりは、相手のことを可愛がりたい延長上に加虐欲がわくので、とりあえず誰かとプレイすれば何かが発散するわけでない、という点が最近ますます顕著になっていること。どこへも行かない想いをどこで発露させればいいのだろう。

いま何かが終わったとしたら、もうしばらく人間を休むと思う。SMもしないし、主従関係も誰とも結ばない。それはなんとなく決めているというか、そうなるだろうという予感がずっとしている。それで好きなだけ休んだらまた、どうするか、自分の中の適当の波にたゆとう。転機は勝手に訪れるので。

自分のことを「変態です!」と自己紹介してくる方がとても苦手。生きとし生けるものみな変態だから、当たり前のことは言わないでほしい。

あなたが努力しているっていうだけで、その姿を見るだけで胸がぎゅっとなるよ。この先どうなっちゃうんだろう。これは病気かな、と本気で思う瞬間。胸が苦しい。そこにある健気さと可愛さに。毎日本当に頑張っているね。ご褒美のことばかり考えてしまうけれど、まずは抱きしめさせてほしい。幼い魂は今日も甘え、一方で苦い顔をする。

健気さや素直さはとても大事で、愛嬌も大切なんだけど、言葉だけなら必要ない。

痛い思いを何度もして、それでもまた誰かと繋がりたくなるのを我ながら愚かだなとは思う。だけど、本来ならば自分の生きる世界では出会えなかったような人と会うことの喜びや得られる成長、楽しさの方が圧倒的に多いから、痛みを知っていて傷口がまだ塞がってなくても、また誰かと繋がりたいと思ってしまう。自分は1人では生きていけないのかな。悔しくって嬉しい。

約束を取り付ければ終わりでない。謝れば解決ではない。言葉はときに武器になるかもしれないが、結局は態度で示すしかないと考えるので、言葉は言葉として必要不可欠なんだけど、その言葉と同じくらいの行動が必要。

節税に命をかけていると言っても過言ではないので、60万円分ほどをふるさと納税に利用している。おかげでこの夏も果物がたくさん届く。住んだことはおろか、聞いたこともない地名の自治体に納税して、その地域のものをいただく。この贅沢な仕組みを考えた方はきっと優しい心の持ち主なんだろうなだなんて、国を過剰に評価する。ジャムやフルーツサラダやコンポートにしよう。料理をしている時が唯一、無になれるし、そして、自分になれる。

眠る直前までLINEをして、そろそろ寝ますねと伝えたら「おやすみなさい。いい夢を」と返してくれるあなたのことが、あの頃は好きでした。今までどんなことをしてきても、人生の伏線では泣けなかったあたしが、あなたから「傷つけてすみませんでした」と素直に言われた時は、初めて泣けてしまった。もうあんなことはないだろうと思う。そして、傷ついてないよとは、言えなかった。傷ついていたのだと思う。同じだけ、あたしもきみを傷つけたのだ。

自分は太陽か月かで言えば月のようなものだと言っていたあの子だけど、あたしからすれば真夏の空のような、蒼穹に浮かぶ真っ白な雲のような、眩しくってかなわない、そんな存在だったと思う。どこまでいっても青く、どこまでいっても高く。抱きながら、この手の中におさめてもなお、あたしのものにはならないのだろうなという悲しくも儚い現実と向き合っていた気がするし、やはりするりと腕の中を抜けて、やがて夏空は猫のように、去ってしまった。そんな夏を思い出す。

本当に僅かな人が読んでくれているこの空間が好きです。ありがとう、今日も。

これが全部の本音。

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