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最強山オンナ竹子との生活☆


先日、竹子さん(ばあば)が85歳をお迎えになりました。



誕生日の日に、
赤羽の居酒屋で叔父さんと竹子さんとワタシと
途中から瀬賀さん夫妻(おばあちゃんの友達)という、
歪つなメンバーでご飯を食べました。


ばあばは、自分の好きな話を
何回も何回もする癖があって
ワタシといると決まって話すことは
昔の長野生活のことかおじいちゃんのこと。



実はワタクシ5歳まで家庭の事情とやらで、
長野と東京を行き来して
長野生活を何回も経験したことがあります。
(とは言え通算すると激短い)

長野生活では、ばあばと二人暮らし。


その期間だけ、ばあばは東十条のお店を閉めて
野菜栽培に精を出して、
ワタシと一緒に生活をしてくれました。
お店もあるからいつも2ヶ月弱と短めだったんですが。



家の周りは、ほんとに何にもなくて
野生の猪が出るようなところで、
(茶色い動物は一通り見た気がします)
コンビニとスーパーのハーフみたいなお店が最短車で20分。
お店がない。若者がいない。娯楽がゼロ。みたいな環境。

それでもワタシは
「ごめんねもも。また長野に行かなきゃならないの」
ってお母さんから言われても全然っ嫌じゃなくて

「わかった!!!」

保育園がちょっと苦手だったワタシは
むしろラッキーとすら思ってた。
それに、ばあばとの2人だけの異国での暮らしは
誰も知らないもう一人の自分を生きてるみたいな特別感があって、すんごく楽しかった。


ワタシは家から歩いて3分ぐらいの
浅瀬の小川みたいなとこに頻繁に行って、
夢中になって遊んでました。


今では考えられない遊びを繰り広げており、
小魚を手で掴まえたり、虫とったり、
森を冒険したり、面白い形の木のみを拾ったり、
その頃から一人で遊ぶことがめちゃくちゃ得意でした。



ゾーンに入って遊びに全集中してたため、
ずっ〜〜〜と1人でいても
寂しい思いをした記憶が全くありません。

東京に帰った時にお兄が友達と遊べなくなって駄々こねてた時に、
「一人で遊べばいいじゃん」
ってアドバイスをしたほど。



うちには畑があって、
チビながらに何か手伝ってた記憶があり。
お母さんが来た時に
「ももが植えた野菜これだよ」って宣言して、
(小さい頃一人称がももだった、キショ!)
お母さんがまた来る時までに完成体に近づけよう!って心に決めて
毎日その野菜達に何かやってたんですけど。


ある時、夜中に(たぶん猪に)畑を荒らされて、
翌朝起きたら畑がぐしゃぐしゃになってて。

ワタシは泣き喚めきました。
努力が水の泡だ!!!台無しだ!!!


その時、隣で肝心のばあばはというと、
全く動じてなくて、
あーあっ!wみたいな感じで

「え!ばあばは悲しくないの?腹がたたないの?」

って聞いた気がするけど

ばあばは「人生そんなもんじゃない!」
って笑って言ってました。

結構衝撃だったんで覚えてます。
その時は何て大らかなんだって思ってたけど、
いやそうじゃない、
本当に人生そんなもんだった説あるかもって
今になって附に落ちてます。

それでもやっぱりまだワタシは
腹が立ってしまうだろうけど


努力が水の泡になった時に
ズドーーーーンって落ちちゃうより、
まぁそんなもんっしょ!って笑っちゃって
もはやネタにしてしまうぐらいが
毎日を生きにくコツだそうです。
今思えば初めて理不尽を学んだ気がします。

ホント今更、ばあばから学んだ教えです。

なかなか難しいですけど、
この生き方めっちゃカッコ良い。。

さすがワタシの憧れのオンナ☆



そしてばあばの一番の凄技。
スーパーがめちゃ遠だったため、
ほぼ自給自足をしていた我ら。
朝、森の中に入っていて
山菜とキノコを採取しに行く。
その時間がすんごく楽しくて、
いつもウキウキついて行ってました。

毒キノコか食べられるキノコかを
一瞬で判断できて、
どれがうまいキノコなのかも全て熟知してるし

ただの雑草かと思った植物も山菜だと見抜くし、
逆も然りでワタシが調子こいて
「これ食べられるんちゃう?」
って指差したやつは
こっぴどく「ただの草じゃ!」って
ひれ伏せられてました

とにかく何でも知っていて、
本当にすごすぎるんです!

何でそんなに詳しいのかある時聞いてみたら
『全部、おばあちゃんのお母さんにおしえてもらったんよ』
「じゃあおばあちゃんのお母さんは何で知ってたの?」
『おばあちゃんのお母さんもそのお母さんから教えてもらったからだよ』


いま思えば、竹子の代でこの凄技伝統を終わらせてしまった。
何とももったいなかった。
もしかしたら、ワタシがもっと前のめりで教わって覚えていれば、
子孫にこの凄技を伝えられていたかもしれない。。

今になってそんな後悔が押し寄せてきています。


今はお給料ももらって、
自分のことに何でもお金が使えちゃって

(学生時代の極貧生活とは打って変わって)
何でも食べたいもの食べれてるけど、


『過去に戻ってもう一度食べられるなら、
何が食べたいか?』

って死ぬ間際に神様に聞かれたら


う〜〜ん。。きっと、、、

(ゴトンゴトン)


たぶん、、、、

(ブシュー)


いや、恐らく、、、、

(次は板橋〜)



絶対、、

(プシュー)


『ばあばと一緒に山に行って摂った
きのこと山菜の
炊き込みご飯!!!!』


って言うだろうなぁ〜って

赤羽の居酒屋の帰り、
急に思いました。




ばあばとの日々が懐かしくて

楽しくて

もう戻ってこないのがちょっと寂しくて

でもいまは今でこうやって会えたりして
楽しいからいいかぁ〜〜〜〜
って思って


でもやっぱちょっと寂しいなぁ


って思って。


そしてばあばが今でも連呼してるコト。
「勉強なんて出来なくてもいいから思いやりね!
どんなに小さいことでもいいから、
靴を揃えるだけでもいいから」

「美容なんて気を使わなくていいから
とにかく思いやりね、
それだけできれば人に恵まれる」


やばい〜〜〜
出来てない、、、、、


でも人には恵まれてます。


人生まだあと2倍はある(と思ってる)から、
こっから巻き返すぞ、ばあば👵



ばあばとの2人生活のことを
最近よく思い出して
20年越しに『とても愛しい時間だったなぁ〜』
って思ってるんです、
歌詞みたいでキショイけど、
宝物のような時間でした☆



りんごをとる時に使ってた大きな籠も




寒い時に着せてくれた大きな半纏も




おかずがない時にかけた手作りのふりかけも



風邪ひいた時に畑から採って首に巻いてくれたネギも




ばあばがよく鼻歌で歌ってた銀座カンカン娘も




ばあばの部屋にあった揺り籠みたいな古〜い椅子も



隣の人が飼ってたカワイイ柴犬も


畑も川も小川も森も丘も



全〜〜〜〜〜部がひたすら愛しいです。

宝物〜〜〜〜☆〜☝️
(IKKO風)



だらだらうるせくて、、
すみません〜〜〜〜🍑☆






原点を振り返ってみようキャンペーン終了!



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