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19. 便利な世の中でも失いたくないこと

先日、健康診断で人生初の胃カメラを飲んだ。

わたしは痛みにすこぶる弱い人間だ。
手術シーン見るだけで自分が手術を受けているようで苦しいし、注射の時も針が自分の腕に刺さるのを40歳になった今でも見られない、怖い。
とにかく痛いことも痛そうなことも大の苦手。

そんなわたしが胃カメラ飲むものだから、検査前日から夫と犬に「明日は病院から帰ってこられないかもしれません。あしからず。」と謎の宣言をし、当日を迎えた。

結果、胃カメラは多少えづきながらではあったものの、全然許容範囲だった。
10分くらいで終わったし。

同じ胃の検査でもバリウム飲んでアクロバティックにグルングルン台の上で回された挙句に、下剤で1日トイレと友達よりはずっとずっと胃カメラのほうがラクだなと感じた。

だけど、今回胃カメラを乗り越えられたのは(大袈裟)、看護師さんがずっと背中をさすってくれていたのが大きかったな、と思った。

彼女の『さすさす』が無かったら、もっともっと辛かっただろうし、もしかしたらもう胃カメラやだ、次からはやっぱりバリウムにする!となっていたかもしれない。

それくらい、看護師さんの手のあたたかさはわたしの初胃カメラを救ってくれたのだ(やっぱり大袈裟)。

ひとさじのあたたかさ

背中をさすってくれる看護師さんの手が、「頑張って、頑張って、もう少しだよ」と応援してくれているような気がした。

同じような類で、いつも行くコンビニで「いってらっしゃい」と声をかけてくれるおばちゃんとか、配達屋さんが重たい荷物を玄関先で渡すのではなくて部屋まで運んでくれるとか、寒そうにしていたら膝掛けを持ってきてくれる店員さんとかの優しみが沁みるお年頃なわたし。

今後10〜20年で47%の仕事が自動化されると予測されているみたいだし、たしかに手術や介護もロボットで出来るのだろうし、買い物だってネットショッピング、外に食べに行かなくたって何だってデリバリーしてもらえる時代だけれども。

だけど、ほんのひとさじの人のあたたかさ、みたいなひとの励ましや声がけや気遣いなんかは無くなってほしくない。

わたしも人生折り返し地点の40歳になったからには、今まで色んな人から散々もらってきたほんのひとさじのあたたかさを、今度は自分が体現出来るような大人になりたいな。



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