岸田劉生展で泣いてしまった
ふいうちで、涙腺崩壊した。
岸田劉生は、高校生から知っていたし、画集も何度も見てたので、新たな発見を得ようとして行ったわけでもない。
ただたまたま東京にきて、観たい展覧会がなかったので、時間余りそうだし、まぁ寄るか、といったところであった。
そもそも、絵描きなのだが実は美術展に行くのは好きじゃなかったりする。行っても、人々が行列をなして順番で見ている後ろの方で、ヒョイと覗いて、足早に進む。せいぜい滞在しても10分くらいだ。感想も「ふーん」ぐらいしか思わない。(特別好きな作家でなければ)
絵をみて感動するという体験は、非常に少ない。涙するなんて、全くといっていいほどない。
見るより、描くほうが好きなのかな。
前もって、NHKの新日曜美術館の劉生の回は「会田誠が解説している」という理由で録画し見た。なるほど知らないエピソードが結構あった。
結核の疑いと診断され、外に写生に行くことも難しくなったことから、
家にこもり家族の肖像や静物画が多くなった。
・・恥ずかしながら、このおそらく有名な話は番組で知った。
さて、会場で私がどの絵で涙したかというと、妻や娘の麗子の一連の作品を見たとき。
特に妻を描いたスケッチを見たときだ。
気づけば目に涙が溢れる。
やばい・・人がいっぱいいるのに・・とか思うほど、溢れた。
私も妻を持ち、娘もいるのだが、劉生と同じ年代になって染み渡るものがある。家族に対してどのような眼差しで見ていたのか。
麗子像のタブローで仕上げきった表現よりも、生の線が残るスケッチをみて”それ”が伝わってきた。
38歳で亡くなったときの無念さも同年代なので、よく分かる。
成長する娘、愛する妻をまだ描きたかっただろうなぁとか思うと、もっと泣けてきた。
本と同じで、美術作品も、見たときの自分の境遇によって感じ方も全く異なるんだと改めて痛感した。
これからは、画集でよく知る有名な画家であっても、とりあえず足を運んでみよう。
劉生展を見て少し絵を見ることが好きになった。という話でした。
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