好きは人それぞれ。

服飾が好きだ。

学生時代や社会人数年目までは、私服でよくコルセットやレースがふんだんに使われた装飾の多い洋服を好んでは着ていた。病気になってからは、着ていないのだけれど。

未だにその時着ていた洋服は何着か残っているし、そんな服を眺めるのも好きだ。

手芸や洋裁も好きだ。興味を惹かれれば結構なんでもやるけれど、唯一編み物だけは出来ない。何度かチャレンジしてみた事もあるんだけど、ついには習得出来なかった。向かなすぎて。

そんな私だけれど、幼稚園の頃は祖母と一緒に棒編みで一人で長そでのセーターを作れていたらしい。逆になんで今編み物出来ないのか、不思議だ。

洋裁はミシンを永遠と踏んで、縫い上げていく時間が特別好き。どちらかというと、服を組み立てる行為が好きでパターン(*)は描くのは苦手。

お洒落も苦手だ。

専門学校まで出て、ある程度の知識もあるけれど日常に着るのならばジーンズとTシャツで十分だ。なんたって動きやすいから、掃除がしやすい。

滅多にない出かける日や誰かと会う日位しか着飾らない。それでも世間一般から見ればシンプル過ぎるかもしれない。過去に何度か人から「若いんだからもっとお洒落すればいいのに」と言われたことがあるから。

好きの方向性は人それぞれだ。

私は専門も出て、アパレル業界にも勤めたけれど、職業としては向かなかった。勤めていた頃、仕事として次々に触れられる技術や知識はとても興奮した。

けれど、それだけだった。

私は私が思い描く好きなものを作れれば幸せで、別に自分のデザインした洋服や提案した案件が形になったり、販売されなくっても良かったのだ。むしろ、全然魅力に感じなかった。未だに、自分でも「なんでなんだろう?」って不思議に思うレベルで。

人からは「勿体ない」、「資格もあるのに何で復帰しないの?」、「未経験じゃ基本募集掛らないし、その職に就きたいって思ってて就けない人もいるのに辞めちゃったの」とか。色々と言われる機会もあるけれど。

私は私なりに服飾が好きだし、これからもミシンを踏む。モノづくりは続ける。ただ、仕事に向かなかっただけ。

好きならば、こうでなければいけない。

世の中そんな強制力を無意識に発動させているように思う、もしかしたらこんな事言っている私ですら気が付かずに他者にはそんな強制力を発動させているかもしれない。

劇場に直接観劇したことのない舞台好きが居てもいいし。アイドルのコンサートや握手会に行ったことが無くても、そのアイドルを好きなファンだって居てもいいはずだ。下手で人には聞かせられないけれど、演奏するのが好きだっていう楽器演奏者が居てもいい。

だって、好きなんだから。好きだからといって、絶対仕事にしなくちゃいけない法律なんてないんだし。好きの度合いや角度は人それぞれ。それで、いいじゃない。



* パターン ・・・専門用語で型紙の事を指す。服を作るための設計図のようなもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?