人間は食べたもので出来ている。

人から潔癖症か?と聞かれれば、私は「違う」と答えられるし、私を知る周りの人も「違う」と答えてくれるでしょう。

でもたまに思うのです。潔癖症にも境界線がある、と。

私は生ごみを捨てる為にキッチンの排水溝を触れるし、お風呂の排水溝に集まる抜けた髪の毛だって素手で触ってゴミ箱に持って行ける。手が汚れればハンドソープで洗えば綺麗になると思っているから、汚れたところで洗えばいいし。

介護に携わっていた際には下の処理だって手伝っていた。人間食べれば排泄だってする。当たり前の事。


でもたまに。

そう、たまに。

これは潔癖症のようなものだ、と自分でも思っている可笑しな境界線があって。まるで昔の人が信じた忌みや穢れの取り込みみたいなものだなぁと思う事柄ならばあるのだ。

どちらかと言えば心理的な物なのだろうな、とあたりを付けている。

私は、私が「信頼していない人」「嫌いな人」「苦手な人」から貰ったお菓子や食べ物を口に出来ない。

職場で休憩時間に同僚から配られるお菓子でも、この人から貰ったものは食べられるけれど、この人から貰ったものは食べられない。なんて、ちょっと自分でも不思議な境界線があるのだ。

貰っても食べられない人から頂いた個別梱包された小さなそのお菓子たちを、私は何時も「ありがとうございます」と感謝を伝えた後そっとバックにしまい込む。家に持ち帰り、家族に食べてもらうのだ。

家族が私にとっての「穢れにも近い信頼していないあの人からお菓子」を食べても何も思わないのに、それを自分で食べなくてはいけないとなったら最悪その場では口に出来ても、後でお手洗いに駆け込むだろう。

出来なくはないけれど、あまりしたくはない。受け入れがたいものだから、取り入れたくない。そんなレベルなんだけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?