ファム・コン・ティエン「深淵と仏教」
『華厳経』入法界品三十九で、弥勒菩薩は善財にこう告げている。「菩提心は深淵のようだ。なぜなら、すべての悪法を崩壊させることができるからだ」。経典のこの奇異な文は、私を根元から揺さぶり、私を不可思議な<深淵>へと突き落とし、私は風の先端を進んでいるかのような寒気を覚え、数千の太陽が空へと上がるかのように様々な妙義が渦巻くのをうろたえながら直観して、のけぞり返り、そして何千年も前から自分の前を進んできていた自分の姿を私は見る。『華厳経』の深淵を見た時から、私は一連の書籍を放り出した。1966年、私は『思想の深淵』と『深淵の沈黙』の二冊を出版し、この二冊と共に、詩集『蛇の生まれ出づる日』と『四月の空』(小説と短編)を出版した。その後、私は『太陽などありはしない』(自由筆記小説)を出した。これらすべての本は、『華厳経』の<深淵>の地平にある。実のところ、1964年に『文芸と哲学の新しい意識』を世に出した時には、私はギリシア人作家ニコス・カザンザキスについて書いた第2部 1章で<深淵>に言及していたのだった(その章は、「ニコス・カザンザキスにおける人間と深淵」という題名だった)。だが一つ、なんとも驚いたことに、最も話題となったすべての本、『文芸と哲学の新しい意識』(1964)から、今年出版したばかりの最新の本、ドイツの詩人リルケについて書いた本(1969年 9月に脱稿し、すでに印刷済み)までの、ここに述べたすべての本の中で、誰も気付いていないことがある。それは、これらすべての作品は、仏教の<深淵>の地平にある、ということだ。
『文芸と哲学の新しい意識』から最近出版した本に至るまで、私の出版した本はすべて、数ヶ月で売り切れ、私の本はベトナムでベストセラーの類になった(そのせいで私は執筆を辞めたくなり、もし仏教を分かっていなければ、時に自殺したくもなったのだった)。しかし、私の本で一番売れない本、誰も気にかけない本がある。それは『新しい意識』と同時期に書き、『新しい意識』より前に出版した『菩提達摩に関する小論』である。誰も知らないこの小さな本、この本こそ、私のその後のすべての本のための思想的基礎を作ったのだ。もし、私を理解したい者がいたら、『菩提達摩に関する小論』(ニャチャンのホアセン出版が1964に出版)を探して読んでいただきたい。『菩提達摩に関する小論』は、2000冊しか刷らなかったが、1964年から今年1969年になっても、多くて五、六百冊しか売れていない。その一方で、私の『文芸と哲学の新しい意識』は、三度再版され、二万冊以上売れている(もぐりで印刷し闇でもうけた悪徳業者は含まない)。
私が自分の本の売れ行きの話を長々としたのは、ただ一つの理由からだ。それは、1964年から現在までに私が書いてきた本は、今日のベトナムの青年たちに対し、最大と呼びうる影響を与えてきた、ということである。その影響がどれほどいいものかあるいは悪いものか、は後で話すことにしよう。今は、影響の問題に戻ることにしたい。私の本が、ベトナムの青年たちの大半に対して最大の影響があったことを、私はどのようにして知り得たのか? もし1965年から今日に至るまで、日刊紙、週刊紙、雑誌の中で、世間が私を攻撃し、非難し、批判し、持ち上げ、褒めそやしてきた記事を持っている奇特な人がいたら、それをまとめれば500ページ以上の文集になるだろう。そこには、私を抹殺するため、あるいは私を褒めそやすために読者が送ってきた数千の手紙は含まれていない。私はそれらの手紙をすべて読んだが、誰にも返事は書いていない。もし、私がそのすべての手紙をゴミ箱に投げ入れなかったら、数千ページの分厚い本になっているだろう。数ヶ月前、『正論』紙の雑談コーナーを読んでいたら、ある青年は青色バストスの煙草を吸うのを真似するほど私の生き方を真似している、と私の名声について皮肉に書いている者がいた。同じく数ヶ月前、タイン・ラン司祭が精神的支柱となっているサイゴン文科大学のある雑誌では、フエ大学の何とかという教授が「ファム・コン・ティエン現象」と題する長い文章を書いていた。そして、数日前には、『南部文芸創化』という名前の雑誌で、ある何とかという人物が、「脱走者ファム・コン・ティエン」と題する文章を書いていて、そいつは、情報局への密偵の役を自らに授け、その新聞記事の中でこう問うているのだった。「政権は愚劣な狂った思想作品を普及させるのを禁じたが、どうしてファム・コン・ティエンの創作は出版を許可しているのだろうか??」(ママ)(『文芸文化創化』1969年 10月号pp. 95-99を参照のこと)。この一段の前に、『創化』の中でこの著者は、熱い愛国の声を上げている。「……ファム・コン・ティエンは、哲学者たちのあらゆる弁証を破壊した。基礎も足りず未熟なままのファム・コン・ティエンの無作法な思想は、他の修行僧たちの多くに影響を及ぼしている。ある大学で、ファム・コン・ティエンは鍵を閉めて毒を放っている。……ファム・コン・ティエンは、彼が祖国のために何をしてきたのか、どうして祖国に唾を吐きかけるのか、私たち対して答える時が来ている。……あるいはファム・コン・ティエンを読み終えたら、私たちは、銃を手放して放蕩に生き、魂の底まで堕落しなければならないのか……」(次のように私は問いたい。「銃を手放して放蕩に生きるほうがましなのか、あるいは互いに殺し合うのがましなのか? 放蕩とはどんなことなのだろうか? この記事の筆者は、祖国のために何をしてきて、自分が祖国の可愛い子供であると自認し、反国的だといって他の者に唾を吐くのだろうか? この狂信的な思想論調こそ、尽きることない怨恨を生じさせ、ベトナム国を、炎の炉に変えたのだ。私は、人々が愛国的であると自認するのを減らすようただ願い求める。そうすれば、ベトナム戦争はすぐさま終わるだろう)。北部では、レー・ヴァン・ハオ教授が、ハノイで出版された『クーリエ』紙1969年5月号で、ファム・コン・ティエン(およびホー・ヒュウ・トゥオン)を「アメリカの新植民地主義」の「反動」グループに並べている(レー・ヴァン・ハオがかつてグエン・ヴァン・チュンのグループに属していたことを思い出すべきだ)。北部では、私は「反動」と呼ばれ、南部では、南部政権の密偵に「政権は、愚劣な狂った思想作品を普及させるのを禁じたが、どうしてファム・コン・ティエンの創作は出版を許可しているのだろうか??」と言われている。どこからも追放されるのなら、私は今どこで生きていかなければならないのだろうか? 当然私は「無所住」に生きなければならない。無所住とは何か? 当然ながら、無所住とは菩提心である。では、菩提心とはいかなるものか? 『華厳経』はこう述べる。「菩提心は深淵のようだ。なぜなら、すべての悪法を崩壊させることができるからだ」。
それゆえ、私は深淵の中で生きなければならないのだ。
どのように生きなければならないのか? 深淵のように、だ。この10年私が生きてきたように、そして、将来私が死ぬ時のように、幾千万の前世で何度もはらんできたし、幾千万の来世でもはらむ一つ一つの死の中で死ぬ時のように。かつて、ヘンリー・ミラーは私に手紙で聞いてきたことがあった。「さらに衆生を救度するべきなのだろうか? というのも衆生は度がすぎるほど愚劣なのだから」。私は一年待ってからヘンリー・ミラーに返事の手紙を書いた。「衆生は一切救度すべきではありません。私は闇夜を讃えます」。ヘンリー・ミラーはこう答えた。「闇夜は無明ではない。君がまだ<闇夜>を信じているなら、悟りと菩提を忘れてはならない」。私は答えた。「ぼくは<深淵>を愛しています」。ヘンリー・ミラーはこう応じた。「<深淵>を愛さなかったら、どうやって君はベトナムの地獄で生きられたというのだろう?」私に贈った本の献辞に、ヘンリー・ミラーはこう記した。「私が次に生まれ変わった人生の中で書き記す人、ファム・コン・ティエンに贈る。ベトナム人万歳」。ヘンリー・ミラーとは誰なのか? 『エクスプレス』紙910号、1968年12月16−22で、ジャック・キャバンは「聖者ヘンリー・ミラー」と呼んでなかったか? 『アーツ』紙87号、1967年6月で、アナイス・ニンは、「ヘンリー・ミラーは赤い肌をした仏教の修行僧に似ている」と言っていなかったか? 『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥー』250号、1969年8月25−31日で、ジョルジュ・ベルモントは、「二つの世界の青年層から最も敬服されている文豪」(l’écrivain le plus admiré de la jeunesse des deux mondes)と呼ばれていなかったか?
どのように生きなければならないのか? ヘンリー・ミラーはこう言う。「若者たちが私を訪ねてきて、こんな質問をしてくる。
どのように生きるのか? どのように愛するのか? どのように書くのか?と。私は彼らにこう答えるのだ。私に何も尋ねるな。自分で探すんだ。がむしゃらにやれば、君たちの前の人生の扉は自ずと開くだろう」。
これは、禅師の、ヘンリー・ミラー禅師の答えだ。1939年3-4月の、ローレンス・ダレルに宛てた手紙の中でヘンリー・ミラーはこう書いている。
「禅宗は、最も絶対的に人生についての私の考えであり、私が言葉で表現できないでいるものに最も近いものだ。私は禅に夢中になっている、徹底的に……もし君が仏教に深く入っていきたいなら、禅宗を読むんだ。賢い人、敏感な人は、仏教徒にならざるをえない。このことは、私にとって、火を見るよりも明らかなことだ」(Zen is my idea of life absolutely, the closest thing to what I am unable to formulate in words. I am a Zen addict trough and through…but if you want to penetrate buddhism, read Zen. No intelligent person, no sensitive person, can help but be a Buddhist. It’s clear as a bell to me. )(cf. Lawrence Durrell and Henry Miller, a private correspondence , edited by George Wickes, N.Y.E.P. Dutton, 1964, pp. 151-153; p. 262, p.301)。
ヘンリー・ミラーがこの一段を書いたのは1939年のことだということを私たちは覚えておかなければならない。
(続く)
ファム・コン・ティエン
(ファップ・ウエン〔法苑〕収集の『仏信』「弘法総務」の機関内部雑誌、1969年11月1日発行号より)
出典:https://thuvienphatviet.com/pham-cong-thien-ho-tham-va-phat-giao/
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