さめざめ「東京片想い物語」ミュージックビデオへ寄せて

 8月20日に公開された、さめざめ「東京片想い物語」のミュージックビデオが最高〜〜!!という話をします


 7月、もうとても暑くて、暑さと自分の境目があいまいになってくるかんじの具合で、そんななか、ぴっかりと からだを光にふちどられた写真を添えて、撮影へ行ってきましたと報告してくれたレナさん

を見てから、ずっと、公開を楽しみにしていました♬
 オーディションだったと聞いて、会いたいひとに会いに行く、その一歩目がだいすきだなあと思う、涼井レナさんの起用 ありがとうございました。そして、出演おめでとう!!

 さめざめの曲、はじめて聴くから、ボリュームをひねって聴きました。なんだろうなあ、この声を、こういう歌を、こうしてたまに聴けるのなら、偶然でも目が合ってしまうことがあるのなら、いろいろなことが大丈夫かもしれないなあと思った、うまく書くのはむずかしいけど。でもここにたっぷりとした気持ちがちゃんとあるので、感想をすこしだけ!

 まず、いちばん最初のシーンがすき。夢のなかということなんだと思うけど、その質感から、実際にあったこと、何度もしたやりとり、でもあるのかなあ。ヒロインの思い出の質の高さがすきだし、思い出したいシーンがとてもかわいい。時計はもう11時で、部屋は明るくて、遅めの目覚めだな〜と思ったんだけど、つぎに映るLINEの画面を見ると 9時頃に届いたメッセージはもうすでに見たあとなんですよね。「目覚めたらそばにいなくて」もう一度ねむることにしたのかな〜 つづきを見れていたならいいなあと思う。でも、夢だったことに「がっかりして」いるし、表情はずっとゆううつ混じりで、夢で会えることよりも 現実にいないことの方が 本当のことなんだよなあと思って、ヒロインにとっての、いま生きている場所みたいな、そういう感覚をたしかめられたシーンでもありました。

 なんとなく、下から上へ という動きが多いということには気づくんだけど、拾ってみると、ヒロインの目線、Tシャツを脱ぐ、ワンピースを足から通して着る、ジッパーを上げる、とか。「急に役を降ろされて」しまった(下がるような、下へ向かうイメージ)ことへの抗いなのか、恋を、落ちるものだと表現したとき、それとは逆の動きばかりで日々が構成されている(落ちない、あたらしい恋には出会っていない)から「今も恋い慕っている」ことを表現しているのか。意図されているかわからないけど、こういうさりげない動きの重ね方に 切なさを宿らせていく映像、とてもとてもすてきだなあと思った。

 はみがきのシーンが!すごく!すきで!おなじように磨きたいってことなのかな?真似してるってこと?わかんないけど、にこにこと持ち方変えてみるヒロインがかわいい。そういう、生活の加減が合うひとというか、おなじだけの時間をかけられるひとの存在って、おおきいよね〜

 全体を通して、横顔のシーンが多いことが印象的で、レナさんのこと、すきでいたけど、こんなにたくさん横顔を見たこと、これまでなかったなあと、新鮮なきもちで見ていました。横顔ばかりだからこそ、ずっと目は合わなくて、ヒロインが意識しているのは あの人の目だけなのだなあと、めちゃくちゃ伝わってくる。最初のシーンの「さっきのもう一回やって」の さっきのシーンも、青梅街道をニケツしたシーンも、見せてもらえなくて、こちらは知らなくて、でもきっとたしかにあったことで。いっしょの時間を過ごしてきたことによる、ふたりの関係への、この、圧倒的な混ざれなさ がすごくすき。混ぜてほしいわけではなくてね、ふたりだけのっていうかんじがして。だからこそ今も、ひとりでいるっていう、ふたりに起こっていることなんだろうなあと、あくまでもヒロインにとっては、ということなんだと思うけど(唯一のカメラ目線である 引き出しにしまってあった写真、今の自分があの頃を思い出して 見ているように、あの頃の自分もこちらを見ている、希望のこもった笑顔で。でもあの人はこっちを見ていない、っていう、、、切な〜〜〜)

 あの日に着たワンピースを着るというこのこれ、あの頃の自分として 今ここにいてしまえるのだとしたら、どうしても、気持ちが報われている瞬間を見せてあげないといけないような気がしてしまうんだけど、わたしは。でも、「明日の物語すら白紙のまま」で。現実は、そんなにうまくはいかなくて、きれいではなくて、だからこそ、かなしいときに ただかなしいままでいられる そのこころがきれいなのだということに気づけるのかもしれないね。あるものをあるまま、ないものをないまま、見つめられるところがすごいなあと思う。

 赤はだれかに出会うための色だと あいかわらず思っているので、東京タワーを あの人につながる赤い糸だと もうここでは思い切って決めてしまいたいんだけど。そうしたらやっぱり、ぜったい届かないんじゃん、、と泣きたくなってしまう。でも「東京で生きる意味だった」東京だからこそ会えたひとでもあるって、そう言える意味にもなるのかな。会いたいひとに会える街が、そうではなくなったこと、身に覚えがあるので、ここのシーンはわたしのなかで残っていくと思うし、たまに思い出してじっとしてしまうだろうなあと思う。

 「今も23区のどこかにいるなら」自分の今のなかにはあの人はいなくて、でもそれって、東京から、世界から、あの人がいなくなってしまうこととイコールではないんだよなあと、気づく。たとえば、世界からあの人がいなくなってしまう(出会わない)ことでしか、離れることを防げないとしたら。もうすでにあの人はいるし、この先もずっと、この街のどこかに。じゃあやっぱり、離れるしかないっていうのは あるんだろうなあ。「あなたの物語にまた出たいな」ヒロインが、あの人に出会わないこともあの人がいなくなることも どちらも想像していなくて、あの人の物語はつづいていくって思っているのだとしたら、それがすべてな気がするな〜 

 たぶんほんとうに、報われない気持ちではあるのだと思うけれど、さいごのハッピーバースデーの歌、レナさんの 切ない歌声だって、だいすきだなあと、そういう気持ちがわたしのなかに生まれて。ヒロインの知らないところでも そうやって だれかに新たなすきの気持ちを芽吹かせることがあるから、報われるとまでは言えなくても、むだな気持ちでは ないなあと思う、ぜったい。あなたの気持ちがあったから、わたしにも出会えた気持ちがあるよ〜ということ、どうしても書きたかったんです。

 ヒロインのテンポ、勇気づけられるわけじゃなくても、それでも、ヒロインが、したいことを したいスピードでしたとき、歌いたい歌を 歌いたいスピードで歌ったとき、こんなにも胸を打たれて こころに響くのだとしたら、その歌の宛先は、やっぱりわたしで正解だったんだと、思ってしまうのです。もちろん ほんとうの宛先ではないと思うんだけど笑、あなたの気持ちは、届くべきひとに きっと届いているんだよ〜って、言えたらいいのにな。そういうことをね、思ったりした、すてきなミュージックビデオでした。

 お誕生日おめでとうございます。プレゼント、きっと似合う きれいな色の ハンカチを贈りたいな。あなたが、いつでも 自分のタイミングで、その涙を拭えますように。願っています。