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上半期振り返り 4年安田

皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは!そしてお久しぶりです!!
長崎大学環境科学部4年の安田栄真です。
こちらのnoteはなかなか動かせていませんでしたが今後は積極的に動かしていきたいと思っていますのでどうぞよろしくお願いします。

今日から毎週月曜~土曜に部員一人一人が昨年の島原学生駅伝から5月末の全日本大学駅伝九州予選までのこの上半期の振り返りをしていきます。また、今年も1年生がたくさん入部してくれているのでその紹介もここで随時行っていく予定です。是非チェックしてみてください。

ということでここからは安田栄真個人の上半期の振り返りに入ります。予め言っておきますが非常に長くなります。後に続く人のために言っておきますが別に文章量を合わせる必要性は全くないので各々で無理しない程度に頑張って書いてください。では行きます。


部の立て看板が新しくなりました!

12月 久留米長距離記録会  15分39 PB
島原から約2週間後の5000mでした。一度体調を崩し、島原の好コンディションを維持することはできませんでしたがそれでも昨年の10月のナイターで出した15分47から8秒更新することに成功しました。ここでは後の全日本予選に向けて、島原で一度いい状態を作れているためここで参加標準突破のための記録を先に出しておこうというもくろみもあり、極寒のコンディションでしたがその目的も達成できたのでよかったと思います。

1月 鳥栖ロードレース DNS(コロナ感染)
調子を大きく落とすことなく練習も積めており、そのまま鳥栖ロードレースに出る予定でしたがここでコロナに感染してしまいました。ワクチンはしっかり3回摂取済みなのにも関わらず、かなり追い込まれました。1週間の自宅療養から練習は再開しましたが9割くらいはすぐに戻せても、100%元の調子に戻すことはなかなかできませんでした。

新春駅伝は来年も出たい

2月 唐津10マイル、県下一周駅伝代替大会 DNS(手術)
コロナ前の調子をあともう少しで取り戻せるという2月上旬に頭の手術をしました。ここで退院する時に1週間は激しい運動、走るのはは禁止ということを伝えられ、ここから効いているのかも微妙な緩すぎる筋トレをする1週間を過ごしました。3日間入院&手術&一週間のノーランはなかなかに痛手でここからまた調子を戻すのにも時間がかかってしまいました。また、県下一周駅伝代替大会についても対馬市から委嘱状が届いていましたがこちらは駅伝という団体戦でもあることから迷惑はかけられないと思い、調子が上がり切れない状態だったので辞退させていただきました。その節は関係者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。

人生初の入院&全身麻酔でした

3月 玉名ハーフ DNS 第三回記録会 15:39(PBタイ)
術後からなかなか調子が上がり切れない状態で練習をする日々が続きます。玉名ハーフは生憎ゼミの予定と重なり出場できませんでした。全日本の事を考えて、また冬季の基礎固めの状況確認やモチベーション維持などの観点から鳥栖(10k)、唐津(16k)、玉名(ハーフ)と少しずつ距離も増やしながら大会の計画もしていましたが全てDNSという結果に終わりました。当初のプランをここまで台無しにしたのは部内でも安田くらいでしょう。そんな中で出た第三回記録会でしたが意外にもPBタイの記録で走ることができました。思い当たることとしてはジョグだけは大切にしていたことです。週間100kを超える週もあって強度の高い練習はなかなかこなせなかったものの、最低限の量をこなすことはできていました。

4月 リレーカーニバル、第二回記録会 15:39 15:36
この時期くらいから就活が本格化してきます。全日本予選の1週間前くらいに無事内々定を頂けて落ち着いたものの、ピーク時では2日に1度九州号で福岡と長崎を約5時間かけて往復するような生活をしていました。そこで思うように練習が積めない日々が続きましたが4月に出たこの2大会ではPBタイ、そしてPBで走ることに成功しました。ここでも同様にポイントはやれなくても最低限のジョグはしようと思って一度に多く走って距離を稼ぐことやこの2大会も練習の一環として捉えて出場していました。ここまで12月の久留米から3回連続15:39で走っていただけにここでの3秒というのは自分にとって凄く大きなものになりました。


絶対サブユニの方が走りやすい

5月 全日本予選 10000m 33:34 長大8位 
春インは大会期間中に就活の方で面接の予定が入っていたため出場は見送り、全日本予選をメインに5月は練習をしていました。トラック、ロードに関わらず、10k以上の公式のレースは高2の高校駅伝の1区以来だったのでそれなりに緊張はしていました。就活の影響で自律神経が乱れたのか、夜はなかなか寝付けない日々が続きましたが疲労も溜めすぎず、練習自体は順調に詰めていました。しかし大会前日にその不眠症が爆発してしまい、結果1時間ほどしか眠れず、焦りMAXでした。結果は可もなく不可もないような微妙なタイムを出して終わってしまいました。しかしこの春インに一度も出場することがなかった自分にとって、トラックで他大学と戦うという貴重な経験を積むこともできたため、そこはプラスに捉えています。そしてこんな上半期を過ごした自分が全日本予選に出た長大の8人の中で一番いいタイムだったことにはすごく危機感を覚えました。

総括
この上半期で何らかの種目でPBを更新した選手は安田、原島、喜多の3人のみでした。(まだいたらほんとすいません)そう考えるとまだいい方なのかもしれませんが個人的にはかなり評価は低いです。就活との両立もはっきり言ってしきれませんでした。昨年のブロック長の言葉を借りるのなら、安田はこの上半期、残念ながら「日々の勝者」であり続けることはできませんでした。
しかしそんな中でも1つ気づいたことがありました。それは最低限の練習さえできていれば、安田はレースにおいては一度出したPBより遅く走ることはほぼないということです。例外としてロードとトラックでの同距離での比較と、中学から高校、高校から大学の卒業、入学でブランクがあった期間を除くと、小学生の頃から走ってきた数多のレースの記憶を遡っても当時のPBより遅く走ったのはせいぜい2回くらいでした。これは自分の強みでもあると思いますし、まだまだ自分は発展途上だと捉えることもできるのでうまくモチベーション維持などに活かしていきたいです。

これから
就活も終わり、時間ができたこれからは最低限日々の勝者であり続けたいと思います。安田には島原ともう1つ大きな目標があり、それは5000mで14分台を出すというものです。タイムリミットは12月中旬の久留米長距離記録会です。これにはかなり燃えていますし、何より自分自身が誰よりも楽しみにしていると思います。高1の高総体で、初めて5000を走った時は18分18でした。4000通過前に一周抜きされかけて失格スレスレだったような自分が14分台で走るところを見てみたいです。この上半期ですら、ジョグしている時に自分が14分台を出す光景を数えきれないくらい脳内で思い浮かべてきました。それはもう湘北のゴリのように。

甘えは捨てて、頼れる人は頼って、自分自身に、競技に、チームに向き合い、情報収集や体のケア、栄養バランスの取れた食事、十分な睡眠等を考慮した14分台を出すという目標を達成するのにふさわしい、自分に恥じない日々を淡々と過ごす。これに尽きると思います。もうラストイヤーですし、心身の若さや十分な時間、共に戦う仲間といったこれらの要素がすべて揃ったこんなに好条件な環境で競技に向き合えるのだって人生の中でももう最後かもしれないから、ここだけは、今年だけは、絶対に悔いは残したくないです。そして何か成し遂げるのなら今年だとも思ってます。多少の犠牲は払ってでも最後は笑って終わるつもりです。よろしくお願いします。

                          安田栄真

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