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なぜ走るのか…

お久しぶりです。
皆さんと5日間しか会っていないだけでも、久しぶり感が凄いと感じている今日この頃です。
駅伝のゴールで走ってる人を支えきれないのは初めて見ました。本当に体重重くてごめんね、りゅうせい。

皆さん駅伝お疲れ様でした。
結果としては8位と目標の優勝には届きませんでした。私個人としても区間9位と振るわない結果でした。しかし、走り終わってからの光景、感覚は本当に特別なものでした。このために今まで走ってきたのだと改めて思いました。


思い出せば…

1年生のときはBチームで駅伝を走らせていただきました。この時来年は絶対にAチームで走るという強い意志よりかは、来年はAチームだろうなという変な自信がありました。そんな気持ちで2年生になって、駅伝の中止が決まり、この頃自分は考えるようになりました。

何をするためにこの大学に来たのか…

その時に自分が出した答えは、
「大学でできることをするため」
でした。そのため、大学では周りよりも授業をたくさん受けて、たくさん教員免許を取るように努めました。同時に、学童のバイトでたくさんの経験をさせてもらいました。バイクの免許も取りました。陸上の優先順位がどんどん下がって、週に一回走るか走らないかの生活をしていました。3年になって4年生の先輩や同期に部活に復帰してほしいと連絡をいただくことも多かったですが、他の部員が今更復帰することをどう思うのかや、他の部員の記録が伸びていることが怖くて、逃げていました。結局3年のときは駅伝に関わることができずに、声をかけてくれたみんなに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。この時、こんな中途半端はよくない、自分は部活を辞めるしかないと思い、親にも部活を辞めると連絡しました。あとは、部活のグループで言って退会しようとしていた時にインスタの内容が目に留まりました。それは、長崎大学陸上競技部長距離の投稿です。部員の尊敬する人を紹介する投稿でした。そこにこのような投稿がありました。

後輩の投稿


この投稿を見て、これまで考えていたことが一気にスッキリしました。

「また0から陸上と向き合おう」

投稿を見てすぐ走りに行ったのをのを今でも覚えています。自分を待っている人が1人でもいるなら、結果はどうなろうとも走ろうと思わせてくれた投稿でした。同時に、これまで部活を休んでいる時でも声をかけてくれた先輩と同期に結果で恩返しをしようと強く決意しました。本当にこの時、走ることを諦めなくて良かったと思っています。

そこから復帰してすぐは記録が伸びましたが、後半は怪我との戦いでした。駅伝前日まで怪我に苦しみ当日もその日を乗り切るためだけの処置を病院でして挑みました。駅伝では、目標に届きませんでしたが、本当に悔いは残りませんでした。自分の目標には記録もありましたが、自分の中では、「後輩に魅せる走り」も目標でした。自分の全力を出し切った走りで、少しは先輩としての姿を見せることはできていたでしょうか。少しでも感じることがあったら嬉しいです。

これまで長々と自分のことばっかり話してしまってすいません。こんな自分からみなさんに伝えることはあまりありませんが、こんな自分だから伝えることができることは、諦めないことの大切さです。ありきたりかもしれませんが、本当に諦めないことは大事だと実感しました。自分の陸上の優先順位を下げてしまったことなどの判断に後悔はありません。その判断のおかげで学べることもたくさんあったからです。ただ、走ることを辞めるという判断をしなかったこと、諦めなかったことが今の自分に繋がっていると思います。皆さんもこれから陸上に対して、走ることに対してモチベーションが下がることがあると思います。それは決してダメなことではないと自分は思います。いろんなことを経験して、たくさん回り道をしても

やっぱり走ることは楽しい

そう思えることが大切だと、長大の陸上部の皆んなは気づかせてくれました。

「なぜ走るのか…」

陸上部長距離の皆さんなら一度はされるであろうこの質問に今の私ならこのように答えます。

「走ることが大好きな仲間がいるから。」

本当に今までお世話になりました。
マネージャーさん今までどんな練習でも支えてくれてありがとうございました。後輩のみんな、こんな先輩と走ってくれて、高め合ってくれてありがとう。先輩方、いつも気にかけてくれて声をかけてくださってありがとうございました。そして、同期のみんな、とにかくありがとう!

これからも長大陸上競技部をよろしくお願いします。

元祖パワー系ランナー
松瀬光希


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