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郡上に移住(2)

ここ数年、「移住」というキーワードをあちこちで目にするようになりました。しかし移住について、実際のところどうなのか、具体的なことを知る情報があまりないと思いませんか。本だと痒いところに手が届かないというか、肝心のところがわからなかったり(自分で書いてみると、これは公開できないな、って部分は確かにあります)、ブログやSNSも意外と参考になるものが少なかったりします。
自分もそうした情報不足を体験したので、少しでも誰かの参考になればと思い、書いてみることにしました。また、移住した「郡上」という場所の素晴らしさも是非紹介したいという思いもあります。

「移住」に興味のある方、「郡上」に興味のある方はもちろん、「なんで移住するの」「田舎なんて帰りたくない、行きたくない」という方も含め、読んでいただける内容にしていきたいと思っています。

なぜ移住するのか?

「なぜ郡上に移住したの?」とよく聞かれます。その話をしたいところではありますが、次回にさせていただくこととして(ひっぱりますよ)。

まず「なぜ移住するのか」の話しをしようと思います。と言うのは、郡上に移住したいという、場所ありきの話しから始まった訳ではないからです。なぜ私たちが移住したいと思ったのか、その出発点の話しをしたいと思います。小難しいことをダラダラ書き、ちょっと長いので、興味ある方だけ読んで下さい

移住したい。「したい」というより、「しなければならない」と思ったことがまず最初のきっかけでした。楽しいから移住したい、それも勿論ありますが(移住自体は楽しいですよ)、以下のようなことを考えているからです。

社会情勢から

きっかけは日本の実情による不安からでした。バブルが弾けた頃、ちょうど大学生だったんですが、就職難で、その後、平成は失われた30年となりました。楽観主義なので「なんくるないさー」的に過ごすこともできるわけですが、家族もいるのでそうも言ってられない。

ウェブのブログか何かで、戦前、昔の人は田舎に移住した、という記事を読みました。戦争前に、社会情勢が不安定になり、危機感を持った人は田舎に移住することで、安定した生活基盤を作っていた、という話でした。昔の話ではありますが、科学技術が大きく変革する現代において、私は情報などの技術を生業としてきたからこそ、いろいろな情報から総合して考えると、今必要なことは生活基盤であろう、と考えずにはいられませんでした。(プレッパーズではないですよ)

マスメディアが伝える情報は、間違っているとは思いませんが、重要な情報や根本の情報を伝えているとは言い難いと思っています。つまり、自分から情報を探していかないと、本来の情報にたどり着けないということです。インターネットでさえ足りず、本当に必要とする情報はなかなか手に入れられないと考えています。

またメディアやテレビの弊害がここに来て出ているように感じています。テレビがあると、私もついつい、つけっぱなしにしてしまい、テレビ中心の生活になってしまうし、それ以外の情報を知ろうともしなくなっていると思うのです。つまり、受け身の生活であること、情報も受け身なら、食も受け身、仕事も受け身になっていて、能動的に動かないと、国やマスメディアによって作られた、目に見えないフレームから出られないようになっているのではと考えます。

だからあらゆることに疑いを持たないとならないし、フレームから逸脱するには、これから何が起こるのか考えて動かないとならないと思いました。それらを実践するためには、サイズを小さくして、身の回りから考えていこうと思ったのです。まず生活基盤として考えた場合、一番の問題は食と少子化と教育だと考えました。もちろん大きな問題はたくさんありますが、まず手の出せる身近なところから始めよう、ということです。

生活基盤作り

そこでまず、自分たちで生活を維持できるように環境を整え、生活基盤を作ることが重要であると考えました。
これまで名古屋という都市部に住んでいたので、何不自由ない環境でした。しかし何か起こると都市では、特に食の確保ができません。またスーパーはイ◯ン系列がどこに行っても同じものを提供し、大量生産大量消費です。質を問わなければいいのかもしれませんが、どうしても買う気になれないし、それに頼って生活していることに不安を感じました。24時間便利である一方で、生活を支配されているような、生かされているような気がしてならないのです。その構造が生活にとって脆弱に思えるし、何よりも感じることは、自分たちの足元が不安定な気がしてならない、ということでした。

一方、田舎には生活の基盤が残っています。インフラが駄目になってもビクともしない基盤があります。まずは田舎に移住して、自分たちの食べるものは自分たちで作り、周りのお爺ちゃん、お婆ちゃんと話しをしてみたい、と思ったからこその移住計画でした。

制度からの離脱と価値観

田舎には都市部にはない自由さがあると思いませんか。なぜそういう自由さに憧れるかというと、現在の資本主義経済や社会システムへの疑問に対して、一個人の力によって社会システムを変えることはなかなか難しく、それなら、社会システムからできるだけ離れた場所から徐々にボトムアップし、何かできないかな、と思ったからです。これからの時代、当たり前であることを疑う意識を持たないとならないと思っています。それならまず、田舎という、もう少しニュートラルな場所が出発点になり得るのではないかと思ったのでした。

自分がこの後、何年生きるかわかりませんが、時間は限られているわけで、限られた時間の中で自分にとっての良き価値とは何かと考えたときに、お金をたくさん持っていることではないなと思ったのです。もちろんあればあったでそれに越したことはないのですが(いやむしろ欲しいけど)。個人にとってのちょっとした価値を積み上げていくことが喜びではないだろうかと。お金を積み上げていくことではなく、そこでしか体験し得ないことを、限られた時間の中で満たしていくことなのではないかと思ったのです。限られた時間の中で、最良の体験を選んでいければと思っています。

つまり簡単に言うと、持続可能な生活を目指したいということです。社会と断絶するわけではなく、自分の生活基盤からはじめ再構築しようと言うことです。格好よく言うと「ライフスタイルをデザイン」したいと言うことですかね。

そんなこんなで、移住することは長年の夢であったのですが、移住するという話が現実的になり始めたきっかけは家族の意向でした。家族がいるので、私一人の主張だけでは移住することはできません。老後はハワイにとか冗談を言っていましたが、まさか本当に移住をすることになろうとは思っていませんでした。そもそも名古屋に住み続けるものと思ってましたから。家族が移住したいと言い出したので、一気に移住へと進みました。

さらに細かな理由は言いますと、大きく分けて四つありました。

4つの理由

1. 子どもへ原体験をさせたい

始まりは幼稚園からでした。名古屋は子どもが多く、また、幼稚園も多様な仕組みの幼稚園があります。お受験志向の幼稚園や、モンテッソーリや森の幼稚園などの、教育手法に特徴のある幼稚園が数多くあります。その中で、シュタイナー教育を実践する幼稚園が近くにあることがわかりました。ちょっと紹介すると、「うめの森ヴァルドルフこども園(http://www.umenomori.org/)」というNPO法人主体の園です。この園やシュタイナー教育について書くと書き切れないので、ここで詳しく触れません。ウェブや本などお読みいただけると幸いです。

これまで受験にしても、就職にしても、企業にしても、全てが競争を前提としています。競争が悪いわけではありませんが、僅差を争うことに疑問を持つようになりました。国際社会をみると、もちろん競争はあります。しかし、答えがその競争とは別のところにあって、競争していたことに意味がなくなるようなことが最近多いなと感じています。AIの実用化もその一つかもしれません。

複雑な社会の答えは、競争していたのではわからなくて、違う視点や考え方がないと見つけられなくなっていると思います。そうすると、人と同じようなこと、つまり競争の中で身に付けたことの範疇とは別な視点を持たなければならないだろうと考えています。次の時代を考えると、競争ではなく、真正性を極めることが重要なのではないか、と考えたのでした。そこでちょっと変わった教育を試してみたいと思ったのです。

その園に入園したことがきっかけで、考え方や生活がだいぶ変わりました。その中で、やはり大事にしたいと考えたのは、子どもへの原体験です。私の子どもの頃、田舎で泥だらけになって遊び、近所の子と遊んだり喧嘩をしたりして成長してきたわけですが、今では同じような経験はできません。教育を中心とした、勉強のできる子を目指し、心や創造性などは二の次で、効率化した競争向けな状況になっているんだと思っています。

これまで不必要とされてきたことが、本当は大事なのではないか。子どもの頃の短い時間に、如何にこれまで重要視されてこなかった原体験を、できるだけ多く体験できるかが重要であると考えました。なぜ原体験なのかと言えば、そこには物事の見方や感じ方があり、そこから考えることへとつながるからです。お金がない人の強がりに聞こえるかもしれませんが、お金で買える体験はいつでも体験可能です。しかし、お金で買えない機会や瞬間を体験できることこそが重要であると思うのです。できれば、常に子どもが原体験のできる環境を用意することができたらと思ったからでした。

2. 社会性のある環境と文化

もうひとつは、社会性ということです。シュタイナー幼稚園では教師や親たちが共同体を形成し、子どもたちを見守ります。共同体ではその人のできることを無理ない方法で行動していきます。それは誰かに言われてすることではありませんし、自らが考え行動していくことで、子どもを中心にした最良を考え、全体へ寄与すると同時に、子どもたちのお手本として、親が何をしているのか、見せることでもあります。これは私にとってたいへん貴重な体験でした。

子ども同士の関係、子どもと親の関係、親と親の関係という、小さいながらもひとつの社会を知り、考えて行動すること。子どもたちは、編み物や縫い物などの手仕事をしたり、自分たちの昼食の準備をしたり、掃除をしたりと、親たちが何をしているか、教師が何をしているか、よく観察し、社会における物事の理解と役割を考える仕組みがありました。社会の基本的構造を理解することとなるわけです。こうしたことが今の社会にないことに疑問を持ちました。

社会との接続を考えたときに、都市部のコミュニティでは狭く、歪んでいると感じました。家族世帯の場合は子どもを通じてコミュニティを作ることができるのですが、それ以外は希薄で、独り暮らしならなおさら孤立しているだろうと思いました。こうした身の回りにおける接点の希薄さ、関わり合いの無さが生じる環境では、子どもたちの社会性が育つわけなかろうと思い、多様な階層のコミュニティに属する仕組みを考えなければならないと思ったのです。また、情報社会にあって、SNSが普及している中で、それは本来のつながりではなく、あくまで支援する仕組みであって、SNSが中心にあるべきではないと思っています。

そうした社会性が残っている田舎は、現代にしてみれば面倒で厄介な環境なのかもしれません。知らない人はいないし、誰が何をしているのか筒抜けです。しかし、田舎のコミュニティは文化を作り、文化が継承されていく仕組みを持っています。文化の起点は人が作るもので、多くの文化は人々のつながりから作られていくもだと思うのです。また文化があることでコミュニティは強くなるし、文化があることで人はそこから学ぶことになり、そうした循環のある環境をひとつに集約し社会が形成される、こうした社会が田舎にまだあると信じています。だからその文化を残すこと、そのコミュニティを残すことから、自分も多くを学びたいと考えています。そこに次のネットのすべきことが隠されているんだと思っています。

3. 食の問題

そして三つめは、食の安全性です。食は一番大事だと思っています。「なんくるないさー」では、もはや、「なんともなら〜ん」部分です。

食料自給率の問題や、農業従事者の問題、発がん性のある農薬問題など、安全な食の確保は現在でも難しいし、今後、より難しくなると考えています。そろそろ、お金で買えなくなるのではと思っています。なぜならちゃんとしたものを作る人は極一部の農家で、多くの人が買い求めれば足りなくなるだろう。需要と供給の関係から本当に高価なものになっていくだろうし、そもそもそうしたものは数が少なく、流通しなくなるだろうと考えました。また、農薬が禁止になれば、日本の農業は大混乱になるでしょう。これまでの根本が変わるわけですから、それに対応する知識も技術も作り直さなければならないからです。であれば、自分たちで作る術を獲得しなければならないし、食を自給するしかないと思ったのです。

名古屋ではゾンネガルテンさんにたいへんお世話になりました。(https://peraichi.com/landing_pages/view/sonnegarten)生産者と消費者をうまくつなげ、生産者と作付けの調整など、難しいことを実践しているお店です。食の安定供給のたいへんさを学び、自分たちの食を確保しながら、できることなら生産者側になれると良いなと考えています。

実は移住に関するこうした考えの多くは、森田さんという移住先輩から大きな影響を受けました。森田さんはまなびのタネ( http://www.manabinotane.com/ )という会社をされています。森田さんが移住してから稲作塾を始められ、それに参加したことが移住の大きなきっかけとなりました。

米を自分で作るという体験を通して、食を作ることの大事さと、自分で作れるということの楽しさと、そして地元の人との触れ合いなど、様々なことを得ることができました。とにかく稲作塾は素晴らしい環境で実施され、仕事の問題がなければ長野に移住したいと思えるほど良いところでした。

それはさておき、食ということで、田畑をする為にも田舎へ移住するしかないと思ったのでした。名古屋で家庭菜園を借りていましたが、やはり本格的な場所が必要だと思いました。

そして、何と言ってもやっぱり、人間、美味いものが食べれれば幸せなんですよね。美味いもの食べないと、いい仕事できないし、いいアイデアも出てこないじゃないですか。

4. 空気と水は大事なんじゃないか

そして四つめに考えたのは空気と水でした。われわれは無料で空気を手にいれることができます。逆に、空気は買えません。

東京と比べると名古屋の空気は悪いものではないと思っていました。東京から移り住んで10年後くらいですか、名古屋に住んでいても東京に行くと息苦しさを感じるようになりました。ところが田舎の空気はやっぱり違うんですね。普段、空気はどこにでもあるもので、気にしたことはなかったのですが、3.11以降いろいろと考えさせられました。都会の空気も同じ空気です。田舎の空気もまた同じ空気です。選べるなら、美味しい空気を選びたいし、ずっと接していくなら、美味しい空気を選びたい。

同様に水もまた大事だと思いました。最近、水は買って飲むものとして定着しています。顔を洗ったりお風呂に入ったりする水は水道を使いますが、その元となる水源などあまり意識したことがないですよね。もちろん農業するのに水を使うわけで、水はとても大事なはずです。ところが、自分たちの取り巻く環境における水も、空気同様に選べないし、買うのには限界がある。それに酒やビールを作る時も、やっぱり水が重要ではないですか。(酒好きとしては水は外せない)だからこそ、水の綺麗な所に住みたいという願望が出てきました。

空気も水も生きるために欠かすことのできないものであるのに、普段あまり意識していないし、いざ考えてみると選べない、ということに気が付いたのでした。なぜ今まで考えなかったのかを考えると、どこにもあるし、余程、都心で排ガスが酷いとか、公害で困らない限り、気にすることがなかったんです。でも選べないからこそ、本当は選ぶ必要がある、と考えるのです。なぜなら空気や水は、どこも同じ、ではないからです。

そうした意識を加速したのはインターネットです。情報はいくらでも入手でき、昔のように場所に依存する必要度がほとんどなくなっています。イ◯ンのように日本全国どこでも同じものが手に入るようになったし、コンビニはどこにでもあるし、アマゾンや楽天で欲しいものは次の日に届くし、場所にこだわる必要がなくなったのです。そうなると、これまで敷居の高かったことも気軽にできるわけで、空気や水を選ぶために移住するってこともできるんだな、と思ってしまったのです。

ここまで読むと、都市部をあたかも悪いと考えているかのようですが、決してそうではなく、ただ、都市という構造に魅力を感じなくなったのです。最初に言ったように、移住を考えなければ名古屋に住み続けると思っていましたし、都市が悪いわけではありません。それよりも持続可能性を考えると田舎の方が良かったということです。

まとめ

刺激を求めて都市部が面白いという感覚は歳のせいかなくなりました。それらの多くはインターネットで代替できるからです。だからこそ、日本の原体験を重視し、社会性の中で、食と空気と水を求め移住へと舵を切ることになったのでした。移住促進などの政策も我々にとっては後押ししてくれる材料となりました。

この「なぜ移住するのか?」を最初に書いたのは、移住をマスコミの取り上げるようなトレンドにしたくないからです。また過疎化対策しましょうということでもありません。もちろん結果的に過疎化対策になることは期待しています。それよりも次の未来に向けて、今、自分たちのできることを小さくてもいいから進めたい、ということです。しっかりと足を地につけること、そこから進むことがしたいと思ったのです。そこから先の未来に、今問題となっていることが解決できるといいなと思っています。

次はどうして「郡上」か、を書きたいと思います。

実は、この文章はコロナ以前に書いたものです。郡上は今のところ(2020年6月3日現在)感染者は出ていません。学校が休校しているのは困りますが、生活はそれほど変わらず、思っていた通り生活は安定しています。ここに書かれていることは、5年程前に考えた危機感を記したものです。

#移住 #郡上 #岐阜 #ライフスタイル #田舎暮らし

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