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郡上に移住(頼母子)

ここ数年、「移住」というキーワードをあちこちで目にするようになりました。しかし移住について、実際のところどうなのか、具体的なことを知る情報があまりないと思いませんか。
自分もそうした情報不足を体験したので、少しでも誰かの参考になればと思い、書いてみることにしました。また、移住した「郡上」という場所の素晴らしさも是非紹介したいという思いもあります。

前回までは移住する前の話しをしました。今回から、移住後の暮らしについてご紹介します。今回は「頼母子」についてです。

頼母子

「頼母子」の読み方がまずわからないですよね。「たよぼし」「たぼこ」なんだ?

正解は「たのもし」です。

移住するまで知らなかったこと第一位の制度です。全国にも、このような制度があるらしく、「頼母子講」「模合(もあい)」「無尽(むじん)」とか呼ばれている制度だそうです。

「頼母子」がどのような制度かというと、最初は銀行のような制度で、地域の家族ごとにお金を出してストックし、貯まったらどこかの家族へあげる。例えば今年は米が取れなかったからこの家族へ、というように、銀行というより保険と言った方がいいのかもしれません。困った時に配るお金のストックをしていたそうです。
更に、地域の寄り合いとして、地域の人が集まって飲み食いをして、残った残金をストックしていくような制度へ変わっていったそうです。

つまり最近は、飲み会となっているようです。

コミュニケーションメディアとしての頼母子

移住してすぐに、この頼母子にお呼ばれすることになりました。最初何のことかさっぱりわからない会で、単なる集会のようなものだと思ったのです。全く何かわからないので最初はドキドキしました。

はじまってみると、近所のおじさんたちが集まって飲み会をするということだったんです。新参者の移住者なので、最初は自己紹介などして、ビールを飲み始めるわけです。10人くらいで集まり、1回しか自己紹介しないので、最初なかなか名前が覚えられず苦労しました。家と紐付けしながら段々と覚えていくわけです。特に同じ苗字が多いので名前やニックネームが多いんですね、これがまた覚え憎いひとつでした。

頼母子は毎月1回開催されます。今年はコロナでしばらくお休みをしましたが、基本的には毎月集まります。参加してみると、毎月話題が尽きないんですね。世間話しの時もありますが、地域の話題もたくさんあるし、歴史的な話しをしてくださる時もありますし、毎月参加するのが楽しみになっています。特に興味深いのは、歴史的な話題、これまでこの地域の歩みや、家族の繋がりなど、昭和から平成までのことを知ることができて、移住してきて何もわからない身としては、地域のことを知る重要な情報源となっています。昔このあたりは郡上の銀座だった、なんて、今では考えられないような話しをしてもらっています。確かに面影を感じることもあり、そんな時代があったのかと思いを馳せることもあります。

またお互いを知るためにも良い場となっていると思います。年齢も様々で、仕事も様々な人たちが、共に近所で暮らして、お互いに支えあいながら生活していることが、とても良くわかりますし、それを知ることができます。私にとって頼母子はコミュニケーションメディアのひとつになっています。

地域の単位

地域のことを「班」と言います。「〇〇の□班」というように町名(地域名)と、その地域を集落ごとに分割した「班」に分けて、回覧板を回したり、自治会を組織したりします。この自治会は家長が仕切ることになります。単身高齢者などは免除され、家族のいる家長が集まり運営していきます。自治会は、単身高齢者のサポートも含め、地域を守る役割があります。

それからこの班分けが複雑で、土地と一致していないのです。元はここに住んでいて、隣接するところに移ったから班はこちらとか、家系があるから地域は違うけど班はこちら、というようなことがあります。小学校では地域の班と関係なく、土地で分割してくるので、地域の班と小学校の班が入り乱れ、よくわからないことになったりもします。

班の世代交代

班の自治会は家長で構成していきます。班には班長が必要で、もちろん班長だけではなく、いろいろな係があります。自治会では、それぞれの人が係を分担していきます。そうなると高齢者ではたいへんなものもあり、若手へ引き継いでいくことになるわけです。一番たいへんそうなのは消防団ですね。

今、私が属している頼母子は、20世帯くらいの地域の頼母子で、その内、若手が10名くらいなんですね。若手といっても30代から60代、60歳でも田舎では若手です。その若手が集まる頼母子です。家長の頼母子というのもあったり、地域とは別にサークルの頼母子があったりと、様々な頼母子があるということがわかりました。いくつもの頼母子に属している人もいるそうです。

そこで家長が誰かというと、これまでは年長者が担っていたのですが、引退することも可能で、若手に引き継ぐことができます。この2年で家長が引き継がれていくことが多くなり、最初は若手の頼母子だったものが、段々と家長の頼母子に世代交代してきています。地域の課題など、時には飲み会なのに真面目に話し合ったりするので、世代交代していくなかで、頼母子が単なる飲み会だけではなく、地域にとって重要な場であるなと思いました。

まとめ

都会では若い人の飲ミニケーションが減っているようですが、こうした地域の飲み会は重要であるな、と改めて感じました。触れ合う時間が大事だと思いますし、それは生活や価値観、考え方、個人的なことも含め共有していくことなのだと思いました。

移住者の私にとって、重要な情報源である頼母子は、本当に頼もしい会です。地域の人と交流できますし、地域の知らないことを知ることができます。また、移住者を受け入れてくれる場としても機能していたのではと思います。地域の方々と美味しいものを食べて、飲みながらワイワイして、移住の楽しみのひとつでもあります。というのは、車通勤しているので、職場で飲めなくなったこともあり、飲んで帰れる場としても貴重な時間です。月に一度と言うペースも良いと思います。

それと地域の食文化を知ることができると言う点も良いところです。やっぱり川魚とか、ジビエとか、貴重なものが食べられるので最高です。かなり躊躇したものは、鹿の肝の刺身。地元の人も躊躇するほど、死と隣り合わせな食べ物ですが、美味しかったです。ちなみに郡上は猪のジビエの日本三大産地のひとつだそうです。郡上では猟師の新たな試みがあります。

岐阜県郡上市|里山保全組織「猪鹿庁」猟師としていき、猟師として山を守るinoshika.jp

そんなこんなで移住ライフを楽しんでいます。

#移住 #郡上 #岐阜 #ライフスタイル #田舎暮らし #古民家

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