櫻井さんの不倫騒動で思ったこと

※2022年11月に書いたものです

私は2013年~2017年の約5年間、櫻井さんのファンであり、P.S.元気です。孝宏のリスナーでもありました。毎週欠かさずに聴いていた訳ではありませんでしたが、それでも割と長い期間、リスナーでありました。イベントにも3回行きましたし(vol.9,14,16)、番組DVDもここ何年かに発売されたもの以外は全て買っていました。
メールもこれまでにたくさん送りました。1度読んでもらえたことがあります。ビビアン・スーのコーナーだったかな。当時はラジオ関係含め、櫻井さんの出演しているアニメもチェックしてそのイベントにも行ったりグッズを買ったりして、何も知らない私は楽しい日々を送っていました。

報道を知って思うこと


いろいろあってファンをやめてから5年経った今年、今回の騒動が起きました。たまたま第469回分(最終回の前)のアーカイブがYouTubeのおすすめに出てきて久々に聴いていたので、翌週突然の最終回に驚きましたし、あまりにも不穏過ぎて嫌な予感がしていました。チェリーベルが終わったあの時を思い出さずにはいられない程に。そうしたら、あの時とは全く違う結末でした。報道を知ったのは、よりにもよって松来さんの命日でした。
 
もうファンではないとはいえ、かつて好きだった声優さんがこのような不祥事を起こしてしまったことに対しては悲しみが大きいです。自分が応援していた人が倫理的に間違ったことをしてそれを世間一般から批判されると、まるで自分も人として間違っていると言われているかのような気分になります(私だけかな)。

しかし、正直櫻井さんのこれまでの言動に全く違和感がなかったかと言われれば、違いました。ラジオを聴いていると、時々きつい言い方をしていた時がありました。そんな言い方しなくてもいいじゃない、と心のどこかで思ったことが何回かありました。でも、こういう人だから、私と同じで不器用な人だから、きっと冗談で面白半分に言っているだけだ、と思ってそのモヤっとした違和感をずっと無視していました。
 
今思えば、櫻井さんの人間性を私はそこまで好きになれなかったというのが、徐々にファンでなくなった理由のひとつなのかもしれません。

ツイッターで元リスナーの人たちのつぶやきを見ると、ここ何年かの櫻井さんと色川さんの言動は威圧感がすごかった、愚痴が多くなってきていたなど、ああそうだったのかと思うつぶやきが多く見られました。不思議とそういうツイートを見ても、報道の内容を見ても、さほどショックを受けなかったのは彼ならそう言いかねない、やりかねないと少しでも思っていたからなのでしょうか。いずれにせよ、このような形で終わってしまったのは残念でなりません。

知らない方が幸せだった?


櫻井さんはこのラジオを一体どのように捉えていたのでしょうか。
自分を応援してくれるファンにとっては自分の何気ない語らいや旅行の様子などを見聞きできる場として、自分にとってはプライベートでも仕事でもある場として、と捉えていたのでしょうか。ファンも楽しめて、自分たちも楽しめる、win winじゃないかと思っていたのでしょうか。もし本当にそうであったなら、このままずっと事実を隠し通せるとも思っていたのでしょう。
 
どうせなら知らずにいられた方が幸せだった、と思う人も多いかと思います。私も真実を知った直後はそう思いました。このまま何も知らずにいられたら、こんなにやるせない気持ちにならずに済んだのに、と。でも今はそうは思っていません。

なぜかといえば、いくら知らなかったとはいえ私が今まで楽しんでいたものの実態は、櫻井さんの誠実さに欠けた活動であったという変わらぬ事実があるからです。
ずっと知らずにいたとしても、心の中には謎の違和感が残り続けたまま彼らを応援することになっていたでしょう。そのような状態で得られる楽しみ、喜びというのは、本当に心からの幸せと言えるでしょうか。私にはそう思えません。それは偽りの幸せであると思います。
 
話を少し広げますが、この世の中にはそのような偽りの幸せを享受している人が私も含めてたくさんいます。
つい、知らない方が幸せだったかなと思ってしまいそうな、我々にとって(先進国の人たちにとって)不都合な真実で溢れています。私は2年前、とあることがきっかけで社会問題や環境問題に強い関心を持つようになり、それについて調べたり勉強したりして初めて知ったことがたくさんありました。

たとえば、畜産業が自動車産業よりも大きな環境破壊に繋がっていること、チョコレートが安く買える裏側には児童労働や低賃金で重労働を強いられる人たちがいるという実態があること、スマホの中の希少金属(レアメタル)はアフリカの貧困国でしか採掘できず、それが紛争の原因になっていること、などなど、これらはごく一部ですが次々出てくるのです。
(そんなこと言われたら普通に生活できなくなるじゃないか!と思うかもしれません。私たちは今の生活の豊かさや便利さを手放すべきなのかどうか。ここに書くと膨大な文章になってしまうので興味のある方は是非調べてみてください。)

世界ではいまこんな重大なことが起きている、私は生まれてからこの30年近く一体今まで何を見て、生きてきたというのか、何を知っていたというのか、と思えるほどに何も知らなかったことをすごく痛感します。これからの未来を考えると絶望すらする程に。櫻井さんの件が、とてもちっぽけに感じるくらいに。
 
犠牲の上に成り立つ幸せを、私はできる限り享受したくありません。知らず知らずのうちに何らかの社会問題に加担してしまっている、という状態を是正するためには、やはりまずは「正しく知る」ことが大切だと思います。そして、自分がいかに「何も知らないか」を知ること(無知の知)ができると、己の内側から自然と謙虚さと誠実さが生まれてきます。

何もかもを知った気になっているうちは、自分の人間性が傲慢になりがちですし、思いやりに欠けてしまいがちです。自分が応援している人の謙虚さと誠実さが見つけられないと、やはり悲しいものです。自分はそんな人を今まで応援していたのか、と。
 
話を戻しますが今回の櫻井さんの件では、私も含めP.S.リスナーは知らず知らずのうちに二人の不倫に遠回しにではあるものの加担してしまっていました。させられていたのかもしれませんが。
不倫は犯罪ではないものの、誰かの心を傷つける行為であることには変わりありません。それに少しでも関わってしまっていると考えたら、やはり知らない方がよかったとは言い難いですし、それは誰かの犠牲の上に成り立つ幸せだと思うのです。

何を信じて生きればよい?


このような考え方をすると、今後自分は何を信じればいいのかわからなくなってしまうと思うかもしれません。自分が応援しているあの人は、自分が好きなこの作品は、間違った道に突き進んでしまっていないだろうか。自分が好きな物事の裏側で何かよくないことが起きてしまっていないだろうか。本当にこれに投資するだけの価値があるのか。自分は本当に心からこれを好きだと言えるだろうか。そんなことを逐一考えてしまうようになるかもしれません。

この世界に完璧なものや完璧な人は存在しないですし、考え方も人それぞれでお互い尊重し合うべきことでもあるので、様々な物事の取捨選択には苦難するかもしれません。

そのような時には、自分が好きな物事、応援している物事に少しでも違和感を持ったら、その違和感の正体は一体何なのか突き止めることが大切だと思います。何か違うなと思ったのはなぜか、何か嫌だなと思ったのはなぜか。その理由がわかると、自分が本当に大切にしている価値観や考え方がどういうものなのかが浮かび上がってくると思います。
そしてその価値観や考え方に従って物事を見定めれば、本当に心の底から応援したい物事、心の底から好きだといえる物事に出会うことができると思うのです。
 
とはいえどんな物事であっても、自分が納得できる形でありさえすれば、行う全ての事にはその人にとって意味のある事であり、有意義なものであると思うので、これからも櫻井さんを応援したいのであれば応援すればよいと思っています。そうでないと思ったのならば、距離を置いてみればよいのです。
 
話がまた少し変わりますが、環境問題について勉強していると、「買い物は投票だ」という言葉をよく目にします。
これは、普段の何気ない買い物の中で、その商品が環境に配慮されたものであれば買う、そうでなければ買わない、といったように買い物も一種の投票行為であるというものです。

たとえば私は、なるべくオーガニック・フェアトレードの商品を選んだり、地産地消を意識して地元の食品を選んだりするようにしています。
それだけで環境保全に貢献できる上、その商品を作っている人たちの理念に対しても賛同します、応援します、という意思表示することもできます。

エンタメ分野にもこれがまるごと当てはまるかどうかはわかりませんが、今後何かにお金を支払う時に少しでも参考になれば幸いに思います。

そもそも“不倫”とは…?


古参の人でかつ長期間リスナーであった人であればあるほど、P.S.のラジオに対してこれまで時間の面でも金銭的な面でも、いろいろなものをかなり大きく費やしてきたことと思います。それが、突然このような形で終わりを告げられてしまいました。それによっていろいろな意味で学んだこと・感じたことが各人あるかと思います。

しかしそれらを学ぶためのコストが今まで費やしてきたものだったのかと考えると、あまりにもコスパが悪いなと私は思ってしまいます。
そこで、どうせならもっと踏み込んで、今回の件に関連した物事の核心に触れてみよう、深く学んでみようと思いました。

そもそも「不倫」とは何なのか、何が問題なのかを探っていこうと思います。今まで費やしてきたものが大きかった分だけ、心に深く刻まれるはずだと思ったので。そして、今までの時間を無駄にしたくないと思ったので。
 
私は元々芸能人のスキャンダルなどには全く興味がない人間なので、不倫のちゃんとした定義や、浮気との違いすら、何も知りませんでした。よく聞くけれど、そもそも何だっけ、という具合でした。

調べたところ、一般的に配偶者以外と肉体関係を持った場合は「不倫」となり、配偶者や恋人以外の人に恋愛感情を持ってしまった場合、肉体関係のあり・なし関わらず「浮気」と言われるらしいです。
不倫の何が問題なのかと言えば、一夫一妻制である今の日本社会において不倫という行為は、ある種「違法」になるという点ですよね。そして何より、精神的に相手を傷つけるという点においても。

「不貞行為は、不貞行為をしていない配偶者の権利を侵害し、精神的損害を与える行為と評価され、精神的損害の賠償である慰謝料支払義務を発生させます。 この慰謝料支払義務を発生させる権利侵害行為という意味で、不倫(不貞行為)は民法上違法なのです。」とありました。しかし、「犯罪」ではない。「犯罪」ではなく「違法」である理由は、今のこの国の民法に反しているだけで刑事罰にあたる件ではないからですよね。つまり、民法的にもし一夫多妻制とかが認められていたら、そもそも「違法」にもならない訳です。
 
ここまできて、ふと疑問に思いました。なぜ人間は1人の人としか関係を持ってはならないのだろう、と。
他の動物や虫たちはそんなことないですし、本能的に多様な遺伝子を後世に残すためには、複数の個体とペアになって子孫を残すというのが自然の理だと思います。人間にとってそれが受け付けられないのはなぜなのか。嫉妬してしまうのはなぜなのか。論理的な結論が出せなくてここ何日かずっと考えてしまいました。

そんな時、私が普段よく視聴しているYouTubeチャンネル(原貫太さん)の過去動画で、不倫について話している動画を見つけました。動画を見てみると、私が不倫について疑問に思うことや色々言いたい事などをほぼ全て語ってくれていました。動画のリンクを貼りますし是非見てほしいですが、ここにはあえて文字起こししたのを載せたいと思います。


「実は不倫って、日本で最も深刻な社会課題の一つではないか?」。

不倫騒動の何が深刻かと言えば、不倫をすること自体ではなく、「不倫した人を社会で袋叩きにする精神性」や「単一の価値観で正義を振りかざす凶暴性」なのではないでしょうか。ちなみにこの動画は決して不倫を肯定するものではないので誤解のないようにお願いします。あくまでも、誰かが不倫をしたときに、社会全体がその人を袋叩きにする現象に対して、僕が感じていることをお話しします。

不倫はいけないことだとは言っても、刑事の問題ではなく、民事の問題ですよね。言ってしまえば、他人の家庭で起こっている問題にすぎません。たとえそれが芸能人だとしても、当事者間で話し合ってくれればそれでいいでしょって僕は思うんですけど、なんで日本だと不倫ってこんなに盛り上がるんでしょうか。
ワイドショーにせよ、週刊誌にせよ、SNSにせよ、みんな総出で社会全体で袋叩きにしますよね。もっと目を向けるべきニュースが他にもたくさんあると思うんですよね。

アフリカから帰ってきて久しぶりに日本のテレビをつけたら、くだらない番組ばかりで本当に驚きました。お昼のワイドショーなんか、芸能人の不倫やスキャンダルばかり、それ以外は、大体グルメの情報。それから、いわゆるバラエティーの情報を見ても、日本のテレビはくだらないという風に感じてしまいます。
海外の、政治を風刺するショー番組とか、ああいった考えさせられる面白さって、日本のテレビにはすごく少ないですよね。あと、お笑い番組だと、他人のことをだしにしたり、いじったりして笑いを作っている番組が多いですが、ああいったものは学校でのいじめの問題や、少なくともそういったいじめを容認する社会風潮の原因になっているのではないか。僕はそう感じてしまいます。

アフリカでは、1泊1000円もしない安い宿に泊まっていたんですけど、その宿にあったテレビではイギリスのBBCがずっと国際ニュースを報道していたんです。確かにウガンダでは、国のテレビの力が弱いからという理由もあるんですけど、いずれにせよ、それを見ている国民のレベルは結果的には変わってきますよね。実は日本人よりもウガンダ人の方が国際ニュースにアンテナを張っている人が多いのではないかと個人的には思っちゃいます。
今だったら、他にも目を向けるべきニュースがたくさんあると思うんです。ただ、地球の裏で起きている出来事を知りたくても、日本のテレビで情報を集めるのはまず不可能ですよね。みんな、不倫やスキャンダルばかりが好きだから。
なぜテレビはそういうゴシップばかりを取り扱っているのかといえば、そういったテーマを放送すると視聴率が上がるからですよね。言い換えると、テレビを見ている視聴者の多くは、そういったゴシップの情報を面白がっているからです。しっかり英語を勉強して、インターネットを使って海外のニュースを見た方が、余程世界のニュースを知れると思います。情報は自分から掴みに行くものです。

そして、もうひとつ言いたいことは、「単一の価値観で正義を振りかざす凶暴性」についてです。皆さんに質問なんですけど、なぜ恋人は一人しか作ってはいけないのでしょうか?この質問に、倫理的ではなく、論理的に答えることができる方はいますか?

今の日本では、一夫一妻制が当たり前の価値観になっていますよね。結婚していないカップルだとしても、一対一のパートナーシップが基本的な価値観になっています。
でも、世の中にはいろいろなパートナーシップの形がありますよね。「ポリアモリー」という言葉を聞いたことのある人はいますか?ポリアモリーとは、関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間に親密な関係を持つこと。言い換えると、彼氏や彼女を一人ではなく複数人持つ生き方です。
日本でこの価値観を主張すると、「こいつ異常だわ」とか「浮気性な人だ」という風に思われちゃいますが、でもそれは、一対一のパートナーシップの関係をみんな当たり前のものとして考えているからです。

一対一のパートナーシップは「モノガミー」というんですけど、最初にも言った通り、なぜ”モノガミー”、つまり、恋人は1人しか作ってはいけないという価値観が、今の社会では当たり前になっているのでしょうか。もちろん、不倫をしている芸能人の方が、どんな価値観をもってパートナーシップの形を築いているのか、それは他の人達にはわかりません。

ただ、ひとつ言えることがあるとしたら、自分の持っている価値観や社会のカッコ(””)付きの常識、そして考えられている価値観に反する行動をとる人がいたら、自分たちの価値観だけを正義だと考えて、その人を社会的に抹殺する、そういう行為は、多様な価値観に溢れた社会を作っていく上では危険な考え方だということです。

ちなみに生物学的には、人間という動物には、一夫一妻制というパートナーシップの形は不自然だと言われています。自然の中で動物的な生活を送っていた狩猟採集時代の人間や、日本であれば江戸時代には一夫一妻制ではなく、複数人とパートナーシップをもつという生き方が割とスタンダードでしたよね。

そして近代化が進むにつれて、社会を統治するという観点では、ポリアモリーよりもモノガミーの方がベターだとされてきたから、この価値観がより基本的なものとして根付きました。男性にせよ女性にせよ、好き勝手いろんな人と付き合って、セックスをして、子供を作って、ってやっていたら社会が不安定になっちゃいますもんね。実は一対一のパートナーシップが良いものとされてきたのは、「社会を統治する」という観点からなんですよね。

今ではこの、複数人とパートナーシップを築くというポリアモリーのような価値観は受け付けられないという人が多いかもしれませんが、これからの時代というのは、価値観がさらに多様になっていきます。
たとえば、一昔前まではゲイやレズビアンも、特にカトリックの欧米諸国では正しくない価値観・倫理的に問題のある価値観、そういう風に考えられてきました。でもここ数年で、LGBTの人たちの権利もいろいろな社会で認められるようになったし、当事者でなくてもその価値観を理解できる人が増えてきています。
だから、愛する人は1人か複数か、こういった価値観も社会が変えていく、いや、変えていくべきものだと僕は考えています。でないと、浮気や不倫によって失われてしまう社会的損失があまりにも大きいですよね。

現在の日本の離婚率がどれくらいか皆さん知っていますか?35%といわれています。つまり、結婚したカップルの3組に1組はみんな離婚しているのです。人生100年時代に突入している今、死ぬまで1人のパートナーですべてを満たし続けてもらうことが難しくなっている。そのことはデータが既に証明しています。だからこそ、新しい価値観やパートナーシップのあり方も人類は追求していくべきだと僕は思います。

…とはいえ、人間という生き物はどうしても「嫉妬」という感情が芽生えてしまう生き物だと思うので、実際はその状況になってみないと自分は(原さん自身は)最終的にポリアモリーを受け入れられるかどうかはわからないというのが今の僕自身の結論です。

しかし、それでもひとつ、間違いなく言えることがあります。フランスの哲学者ミシェル・フーコーが残した言葉に「懸命になってゲイになれ」というものがあります。当時のフランスでは同性愛は禁じられていました。それなのになぜ、こんなに勇気の要る発言を彼はしたのか。それは彼がただ同性愛を擁護したかった訳ではなく、「今の常識には囚われない生き方をしろ」というメッセージを込めていたんです。

思考停止して陳腐な幸福像に酔いしれるのではなく、今の常識には囚われない生き方を体現し、自分自身にとっての本当に幸せな生き方とは何なのか。それを追求し続けていくことが大切だと、僕は思います。

不倫が「実は」深刻な社会問題である、たった一つの理由


 パートナー以外の人と関係を持つことで、あるいはそれをずっと隠していたのが露呈することで誰かが傷つく。そういう行為を「不倫」という一つの言葉に置き換えられるのであれば、やはり不倫は倫理的に許しがたいことだという考えに個人的に変わりはありませんでした。当事者同士が同意の元でそのような複数のパートナーシップを築いていたのならば、そもそもそれは不倫とは言わないからです。

そして、私は櫻井さんの何に対して失望したのかといえば、周りの人の心を多かれ少なかれ傷つける行いをしたこと、周りの人たちからの信頼を裏切るようなことをしたこと自体にあるのだと思いました。不倫というのは単なる手段に過ぎなかったのです。
とはいえ不倫をされて精神的に平気な人というのは本当に居ないに等しいのではないでしょうか。そしてそう思うのは、一対一のパートナーシップが常識である世の中で我々は生きているからです。

常識というのは常にいつの世も正しいものではない為、私はふだんからなるべく「常識を疑う」ことを意識するように生きているつもりでしたが、今回のこの常識には恥ずかしながら気づくことができませんでした。この新たな「常識」を目の当たりにして、つくづく常識というものは、それを常識だと認識することすら難しいくらい「当たり前」に染まってしまっていると痛感しました。
 
もし今、そういった新たな常識や多様な価値観が浮かび上がり、受け入れられている世の中であったとしたら、櫻井さんや色川さんがこれほどまでに世間からボコボコにされることはなかったでしょう。そう思うと、少し哀れに思えてきますし、社会的に抹殺されても仕方がないと少しでも思ってしまっていた自分が恥ずかしいです。

櫻井さんとその奥さん、色川さんがお互いどのような気持ちで関係を築いていたのか、本当のところは、我々は知りませんし、知らなくてよいことです。ただ、奥さんと色川さん、どちらかあるいは二人とも心に傷を負ってしまったのなら、私はやはり櫻井さんのその不誠実さに嫌悪感を否めません。
 
また、「嫉妬」という感情がどうして人間には芽生えてくるのかという問いについては、これだ!と納得のいく答えが結局出ないまま動画を見終わってしまいました。
これは私の考えなのですが、おそらく嫉妬という感情は、発情期の鹿のオス同士が一頭のメスをめぐって強さを競い合う時のような、そのようなものなのではないかと思います。要するに、自分の方がこの人のパートナーに相応しいんだ!私の方がこの人のことを愛しているんだ!みたいな。一種の自己アピールのための感情なのではないかと。そうでなければこの感情がわき上がる理由が、生物学的に説明がつかないと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

正しく声を上げるということ


私も含め、皆さんが一番気になっているのはおそらく、櫻井さんの出演している作品や演じているキャラクターたちと今後どのように向き合っていけばいいのか、ということではないでしょうか。

今まで通り問題なくアニメを見られるという人から、もう純粋に楽しめないという人など様々だと思います。作品を観るたびに今回の件を思い出してしまうから。その気持ちはとてもよくわかります。実際私自身も、これから純粋に作品を楽しめるかというと正直わかりません。こればかりは各々の捉え方次第だと思うところもあります。

中には降板させるべきだという意見の人も一定数います。その作品を観ることで、純粋に楽しめなくなるだけでなく、遠回しに不倫を肯定してしまうことになるのではと思う人もいると思います。でも、ひとつはっきりさせたいことがあります。それは、今現在の櫻井さんは(おそらく)不倫をしておらず、関係を清算し、自分の行動を反省している状態であるということです。ツイッターでどなたかもおっしゃっていましたが、これからは新櫻井孝宏な訳です。事務所の発表や本人による謝罪の内容を信じる前提であれば、これから櫻井さんの出演作品を応援しても不倫を肯定することには繋がりにくいのではと私は考えています。

作品と声優は別問題だ、キャラクターに罪はないという意見は大方正しいと思います。もちろんそれとは関係なく、もう声も聞きたくないほどショックを受けている人も中にはいるかもしれませんが。
櫻井さんが関わっている作品は非常に多いため、その作品やキャラクターに悪影響が及ばないように、もっと責任感を持って欲しかったという本音もあります。
 
また、一番良くないのは誹謗中傷です。言うまでもないことではありますが、ネット上では誹謗中傷が増えきていると思います。これによって櫻井さんを更生の余地なく社会的に抹殺してしまうことは、それこそ社会の在り方として正しくないと思います。

人によっては、過去に不倫をされて深く傷つき、以来芸能人の不倫が許せなくて袋叩きにするという人もいるかもしれません。ここで考えたいのは、自分が良くないと思った事柄に対してとるその行動が、問題の根本的解決に繋がるのかどうか、という点です。不倫をしていた人の作品を支持しないという行動をとることで、社会から不倫がなくなる訳ではありません。

不倫に限らず、いじめ、誹謗中傷、嘲笑など「他者の心を踏みにじる」行為をする人が、社会になぜ生まれてしまうのか、根本から考えねばなりません。それは、現在のパートナーシップ制度が不十分だからなのか、そもそも多様な価値観が受け入れられていないからなのか、教育が遅れているからなのか、ストレス社会だからなのか、資本主義による格差社会だからなのか…。挙げればきりがありませんが、問題の原因というのは大抵1つではなく、複数が複雑に絡み合っているケースが多いです。そのため、問題の根本原因を見失ってしまいがちです。

『ファクトフルネス』という有名な本の中にもありますが、人には「犯人捜し本能」というものがあります。「誰かを責めるとほかの原因に目が向かなくなり、将来同じ間違いを防げなくなる。犯人捜し本能を抑えるためには、誰かに責任を求める癖を断ち切るといい。犯人ではなく原因を探そう。」とあります。謝罪を要求するという行為も、冷静に考えるとおかしいのではと思います。謝罪というのは本来、当人の罪悪感故に自然と出るものであって、他者が要求するものではないからです。櫻井さんを改心させることは私たちの課題ではありません。それは櫻井さん自身の課題です。

話は少し逸れましたが、少しでも問題を改善するためには「正しく声をあげること、行動すること」がとても重要になってきます。
今回の件で言えば、P.S.リスナーたちは櫻井さんや番組に対して攻撃的な言葉をネット上に公開して吐き出すのではなく(やられたらやり返すのではなく)、意見があるのであれば直接局にメールを送る、そして対応を待つ、というのがいいと思います。憎み合いは、それこそ無益です。
 
ここでまたしても環境問題の話で恐縮なのですが話させてください。
今、気候変動(地球温暖化)という数ある環境問題の中でもとりわけ深刻な大問題があります。よく「温暖化を防ぐために、できることをしましょう!」と言われますが、その「できること」とはせいぜい、エコバッグを使う、節電する、ゴミを減らす、といった日常のちょっとしたことに気をつけるという範疇の話だと認識している人が大多数かと思います。
もちろんそれも大事なことではありますが、それだけではもはや温暖化は止められない段階まで来てしまっていることに多くの環境活動家は気づいています。そして温暖化がこのまま深刻化していけば、他の動植物たちだけでなく人類の存続も危うくなることにも。

だからどうすればよいのかというと、社会システムを根本から変えなければならないのです。そのためには国の首脳たちや政治家、大企業に対して声を上げるしか方法がないのです。タイムリミットは2030年頃であると世界の科学者たちは警告しているため、とにかく時間がありません。だから環境活動家たちは焦っています。

最近では欧州の環境活動家が美術館の絵画作品にスープを投げつけたりして物議を醸しています。私は彼らのやり方を肯定はしていませんし、他にやり方があるのではと思っている立場ですが、それでも彼らの主張したい事はよくわかります。「正しい知識を持って正しく声をあげること」。これが、社会課題解決のために必要な重要要素だと私は思っています。

文春の是非と目的と成果


文春は今回、なぜ櫻井さんのような超人気声優のスキャンダルを報道したのでしょうか。それは先にも紹介したように、そういったゴシップを世間が求めているというか面白がっているからでしたよね。
人のプライベートに踏み込んでいくというセンシティブなやり方ではあるものの、結果的に今回の報道で、ラジオが終わった真相が明らかになったし(逆に終わらされたのかもしれませんが)、考えさせられた人が多いという点では、影響力が大きかったと思います。実際私も報道がなければここまで考えさせられなかったでしょう。
とはいえ人のプライベートに踏み込んでいくスタンスは好きになれません。原さんも言っていましたが、もっと他に報道すべきことが山ほどあると思うのです。櫻井さんと色川さんとの関係よりも、統一教会と自民党との関係の方が余程報道しなければならないでしょう。
 
人間とは悲しいもので、その社会問題の当事者になって初めて、その問題に対して関心を持つ人が多いです。私もその一人でした。今の日本社会では、生活に不自由している人よりも、なに不自由なく暮らしていける人の方が多いですよね。今の社会に特段不満がないと、政治や社会問題への関心が薄れていきます。
社会に対して無関心な人が多いと、それだけマスメディアもそれに関連したことを報道しなくなります。それによってますます弱者の声は届かなくなり、社会問題も無視されていってしまいます。

個人的には、関心の有無にかかわらずマスメディアはもっと社会的弱者の声に耳を傾けるべきだし、我々に不都合な真実であったとしてももっと報道してほしいと思っています。誰にも忖度せず、ただ世の中をよりよいものにするために、みんなが平和で幸せに生きられるように、本当のことを伝え続けてほしいと心から願っています。

社会問題に関心を向けるためにはまずは想像力を働かせることが大事です。自分がその弱者の立場だったら…と想像してみる事。思いやりとは、想像力から生まれることもあります。
櫻井さんの立場になって一度考えてみましょう。理解しがたいことはたくさんありますが、世間のみんなから叩かれたらどんな気分になるか。それほどのことを彼はしたのだと言ってしまえばそれでおしまいですが、みんなもう少し他者を思いやる心を持ってもいいのではと私は思います。

最後に


とんでもなく文章が長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

P.S.リスナー、及び櫻井さんのファンの皆さんで傷ついている人たちがあまりにも多く、そしてあまりにも可哀想だと思って、元ファンとしてなにかできることはないかと考えた結果、このような膨大な文章が爆誕しました。
私自身の気持ちの整理としての意味もありましたが、少しでも今後の参考になれればこれ以上のことはありません。また、ここに書いたのはあくまでも私の考え方でございます。どうしても納得できないと思われたのなら、ご自身で答えを導き出していただきたいと思います。
 
ここからはどうでもいい話になりますが、私はおそ松さんがとても好きで、最初は櫻井さんのファンだったのに、いつの間にか可愛いおそ松たちの方に夢中になっていました。

「おそ松さん」がこれからどうなっていくのか心配ではありますが、櫻井さんが復帰して今まで通り続くのであれば、私もきっと今まで通り観るでしょうし、降板になったとしても、やっぱり観るんだろうなという気がしています。
来年公開の、たこ焼きパーティーと伝説のお泊り会、という大変ふざけたタイトルの映画がどうなるのか、今からいろいろな意味で楽しみです。
 
最後になりますが、恨みや憎しみや悲しみから解放され、みなさんがまた元気で生きられますように。
わたしたちのゴールは、みんなが幸せに生きられること。
ありがとうございました。
 
 
【おまけ】
傷心中のみんなに聴いてほしい、素敵な曲を紹介させてください
・藤井風「もうええわ」、「帰ろう」


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