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長調、短調という概念から自由になる

最近音楽学習的なものを全然投稿していないので、なにか人のためになることを書きたいな。誰だってなにかしら人の役に立ちたいでしょう? 程度の差はあれど。

ところで長調(メジャーキー)と短調(マイナーキー)というものは同時に存在できるものですね。

急ですが。

どういうことかというとキーCでのⅠコードであるCとキーAmのⅠmコードのAmは実はルートが違うだけ。

C、E、G

A、C、E

つまりCコードの時にベースがA音を弾いてしまうとCコードはAm7となりその時の調性もAmの短調に感じる。

たった1音で曲のキーを破壊できるなんてベースって凄いなぁ。

いや、そういうことをいいたいわけではなくて、AmというのはキーCにおけるⅥmコードです。

いわゆる平行調というやつですが、だから長調といわれるキーCにおいてⅥmで終わってもいいし始まってもいいわけです。だってAmは見方によってはキーAm上では地上で最も安定したコードだから。

長調が悲しく終わってもいいじゃない。いや全然いいです。

ようはだからキーAmとキーCはそもそもの物の見方が違うだけ、ということもできますね。

そう考えるとAmのドミナントセブンスであるE7をキーCのⅢ7として組み込むことは容易にできる話。

でもじゃあここまでくると長調とか短調とかって物自体が存在しないことになりませんか。

存在はするけれどそれは全ての曲に明確な属性として存在するものではなくて、しょせんものの見方、主観次第だったりもするわけですよ、とは言えると思う。

それで、こういう考えを広げていくとコードや調性の制約からどんどん自由になれるわけですがそれが音楽的に、まして作品的に良いかどうかは全然関係ない別の話なんですよね。

そういうところがまた音楽の良さであり難しいところでもあるんじゃないでしょうか。




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