田中貢太郎「天狗の面」より「狸の腹鼓」

青空文庫に入力ボランティアしようと申し込んだが返事がない(ねずみこ名義で申し込んだので・・そらまあ)ので、こちらに載せます。

狸の腹鼓
今の坂妻(ばんつま)プロダクションが、まだ大日本坂妻立花ユニヴァーサルと呼んでいた頃のことであった。そのスタジオの所在地、太(うず)秦(まさ)村(むら)は、そのころ森があり藪があって、白昼 狸を見かけることは珍しくなかった。
その狸について、私は深刻な体験がある。ある晩私は、相棒のMとスタジオの一室に閉じこもって、そこで一夜を明かすことにした。だだっ広い装飾の無い部屋で、ただ一つぶら下がった電灯が、かえって物凄い感じを与えた。
その晩二人とも平生(へいぜい)の無駄話もしなかった。また無駄話をする気分すら出てこなかった。と、突然Mが
「おや」
といった。そして、顔を上げてじっと耳をすましたから、
「何だ」
と聞くと、
「あれを聞け、あれを」
といった。なるほど何処からか、
「ポン、ポン、ポン」
という異様な音が聞こえている。
「狸の腹鼓(はらつづみ)だ」
「あれが」
最初はばかばかしくて昔話でも聞くように思っていたが、そのうちにその音がだんだん近くなって、昔話でもおとぎ話でも無く、現実の音となって聞こえだした。するとMが次の間へ飛んでいって、小道具の小鼓を持ってきて、それに合わせて、
「ポンポンポン」
とやり出した。Mは腹鼓に滑稽を感じたからであった。そして、Mと狸と鼓の競争がはじまった。
私はにこにこしながら耳を立てていた。Mのポンポンと、狸のポンポンが入り乱れた。狸もなかなか根気が良かった。二十分、三十分、四十分、一時間経っても、やめなさそうな気配がなかった。そうなるとMも意地づくであった。腕の続く限りポンポンと叩く。狸も懸命に打ち立てる、そして、二時間あまりも経ったかと思われる頃、狸の方がぱったりと止んで、それっきり聞こえなくなった。
「とうとう負かしてやったな」
Mは勝ち誇ったようにいって笑ったが、体はへとへとになっていて、そこへ小鼓をほうり出すなり、ぜいぜいと荒い息遣いをした。その後で二人は寝床へ入ったが、眠られなかった。そして、うつらうつらとしているうちに夜が明けて、早出の連中がどやどややって来た。と、にわかに
「狸だ、狸だ」
といって騒ぎ出したので、私もMも飛び出していった。近くの藪の前に一匹の狸が腹が避けて死んでいた。
それから三四日経って、夜間撮影があったが、Mは撮影の都合でライトを藪の方へ回したが、朝になってみると、二匹の子狸が藪の中で死んでいた。Mの回したライトの強烈な光線に当てられて死んだものであった。
「またM君が狸を退治した」
連中は面白がってわいわいいって騒いだが、本人は嫌な顔をしながら、何も言わないで向こうへ行ってしまった。
それ以来、Mは唄と仕事が手につかなくなった。そして、始終浮かない顔をして黙り込むようになり、朗らかで快活で、いつも明るい瞳をもっていたMが、陰鬱で無表情で、別人かと思われるほど性格が変わった。私はひそかに気をもんでいた。
某日、その撮影所へ伏見(ふしみ)直江(なおえ)がやって来た。
「狸の話をしてくれ」
というので、すこしおまけをつけて話をしているうちに、ふと気がつくと、一間ばかり離れたところにMが来ていて、それが怖い顔をしながら私の方を睨んでいた。私は思わずぞっとした。
その晩になって、夜間撮影をやっていると、気狂いのようになってMが飛んできて、いきなり、
「おい、みんなーーー藪の中で撮影があるぞ」
と喚きたてた。私たちは驚いた。Mの言う藪は少し離れたところにあって、その会社はもちろん、日活でもマキノでも、東亜でも、そこで撮影をするはずがないのである。で、私はMの肩をつかんで、
「おい、しっかりしろ」
というと、Mは瞳を据えて藪の方指さしながら、
「夜間撮影だ、夜間撮影だ」
と喚き続けた、Mはまさしく発狂したのであった。そして、それから四日目、こうした状態の中で悶死した。

ちなみに、ホンモノは国会図書館のデジタルアーカイブにあります。リンク貼っておきます。大変に読みやすい。
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1080222
 

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