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ルッキズムとフェティシズム

結論としては、ルッキズムはよく分からないし、フェティシズムは死ぬまで側にあるだろう、という話。

冒頭に手の写真を貼った。
自分の手。たぶん、ギリギリで正常なつくり。
まず、異常に小さい。よく人と大きさを比べて遊ぶのだが、だいたい10才を超えると自分より大きくなるみたい。
そして、握力が殆どない。こちらも10才くらい。14kgである。中学生の頃、体育教師に怒鳴られながらソフトボール投げを頑張ったが、まあ無理だよねー2mくらいしか飛ばないの。しかたなくない??
よく見ると、爪の縦横比が明らかにおかしい。そして、写真では写りきらないが、人差し指の爪はナナメに生えている。

端的に言って、不便ではある。仕事でピアノを使う時はいちいち編曲しなきゃいけない(届かない)
トロンボーン吹き(たまにチューバ)だけどバストロは諦めた。手が小さくて扱いきれず重さも手首で支えきれず、つまり楽器を保持できないという理由である。くやしかったぜ。低音フェチなのにー
もちろん、スマホも。とにかくちっこいのを選ぶのが最優先事項である。

とか、いろいろ不便な点はありますが、しかし。その欠点をあまりあるファニーな可愛さ。
実は、この手は祖母から受け継いだ血なのだ。本当にそっくり。人差し指がナナメに生えているところまで瓜二つ。遺伝、血脈ってこういうこと。
年を取って、様相が私の知っている祖母の手に近づいてきて、ますます愛着がわく。身体の全パーツの中でいちばん好きだ。祖母はもういないけれど、私は自分の手の中に彼女を感じる。

フェティッシュについて。
手は良いものだ。尊い。崇拝していると言ってもいい。
私は、私の履くハイヒールやブーツやストッキングに口づけをし、匂いを嗅ぎ、頬擦りする男の人の気持ちが少しだけわかる。対象は違うけれど、私も好きな男の手は崇める。労働や作業の末のごつごつした手や、生きてきた証の傷のある手も好きだ。興奮する。これが私のフェティシズム。

ルッキズムのはなし。
そもそものきっかけは、うちの会社が採用基準に「ルックス」を混ぜ込んできていて、どうにも腹が立ったからだ。もちろん、そんなことは書いていない。接客業ではない。最低限の清潔感と社会性を含めて「身なり」というならわかりますけど。そんな案件が続いたので自分を鏡に映してみる。
顔も手と同じようにファニーフェイスで愛嬌のある顔だ←自画自賛

若い頃、まだ自分が緊縛モデルをしていた頃は、付き合いのあった男性(いわゆる緊縛師)に「整形しろ」とまで言われたが、今なら人体改造したい欲望が勝つ。相手の腕を掴んで美容整形クリニックに連れて行き、財布は出させる。あなたの理想の顔になってあげるよ。美しい添え物としての女を連れて歩きたいのなら、それくらいのこと、もちろんするでしょう?
ちなみに、残念ながら当時の自分は未熟で、「その場で関係を解消する」という面白みのない結論を出してしまった。つまらん。

ルッキズムを持ち合わせていないから顔やスタイルで人を選ぶことは無いけど。もし、自分の性的な奴隷が己を変えたいと思うなら(私好みのタトゥーを入れたい、とかね)変わる場面には同席するし、金銭は全て自分が負担する。SMのごっこ遊びをするって、そういうことだと思う。
奴隷なんていたことないけど!(遠吠え)

そういえば、dominantとsubdominantの主従SMが再び流行しているねえ。
こういうのは波があるんだろうか。流行ろうが流行るまいが「ご主人様と奴隷」の関係を求めるひとはいるんだろう。

上記のテーマはまた次回。副題はSMと宗教について。←これ、一人で喋らなくてもいい気がしてきた。疲れそうー

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