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うなぎを殺せなかった話


今年の夏、父と隣同士で食事しながらビールを飲んでいた時に聞いた。

91歳の祖父の具合が怪しくなり、母と母の兄妹たちが代わるがわる病院に泊まり込みで看病に行っていた頃だった。
その日も母は病院に行っていて、父と二人だけの夜だった。

父は少し前、仕事場の側にある用水路でうなぎを捕まえていた。

今どきそんな場所でうなぎにお目にかかれるなんて珍しいので、父は喜んで、すぐには食べずにしばらくバケツに入れて飼っていた。エサを与えて丸々太らせようという目的もあったのだろう。
大のうなぎ好きな父は、職場で米を炊き豪快に蒲焼ランチにしようとしていた(自由すぎる会社…)

「あのうなぎいつ食べるん?」と聞くと
「いや」と父は笑った。

父は結局、そのうなぎを食べなかったのだ。
「だんだん愛着が湧いてきて、かわいそうになってきての~」
「じいちゃんがこんな時に、っていうのもあるし」

父には悪いけど、父は普段本当にそんなことを言うイメージがない。
かわいそうとか、愛しさとか、魚にはまずそんな感情を抱かない。
新たな一面を見たようで、少しびっくりしたのと同時に、心から母の父を慕っていた父の気持ちが伝わってきた。


7月の終わり、じいちゃんは亡くなった。
最期は本当に仏様のような顔をしていて、表情が優しかった。
葬儀はたくさんの人で溢れかえった。
どういう繋がりの人なのか、全然知らない若者までやってきて、鼻を真っ赤にして泣いていた。
みんなに惜しまれ、温かくその人生を終えた。


じいちゃんが亡くなる前日、仕事帰りの空の夕焼けがいつもとは違う風に感じて、思わず撮ったのがこの投稿のトップ画像。

写真ではあまり伝わらないけど、本当にこの日の空はすごかった。
じいちゃんの息が消えるその時をすぐ近くに感じて、感傷的になっていたせいもあろうけど。
じいちゃんとの別れを後になって思い出すときは、きっとこの写真とうなぎの話が甦るのだと思う。

小さいころ、じいちゃんにおぶわれて見た景色が瞼の裏に焼き付いている。
あの広い背中を思うと、私はいつでも涙が出る。

生き延びたうなぎはどこにいるのだろう。
うなぎの寿命がどのくらいのものか知らないけど、水路に戻ったうなぎが、次に命を繋げられているといいなと思う。

だけどじいちゃんに、最後に鰻重を食べさせてあげたかったな、とも思う。

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