俺、新世界だけはCD買った、と彼は言った

私が通っていた小学校は、公立(埼玉県立)の、新しくも古くもない、ごくごくふっつーーーの小学校だったのだけど、大人になってこそ何故だろうと不思議に思うことがある。卒業式には混声四部合唱(三部のときもあったような後述)による「ハレルヤ」が歌われたことと、運動会には、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章にあわせた壮大な組体操が行われたことだ。

あれはなんだったんだろう、なんであの学校はあれをやってたんだろう、とずっと(それこそ小学生の頃から)考えている。中学に上がって他の小学校ではそんなんどちらもやらなかったと知り、高校生になって世の中にはミッション系と呼ばれる学校がありそこでは賛美歌を歌うらしいよと聞き、大人になって小学校の組体操は危険だとしてむしろ衰退方向にあるらしいとも聞き、むしろ成長するごとにその疑問は深まっていくのだけど、未だに真相はわからず、ずっと前にあの小学校にそういう先生がいたんだろうな、多分(ハレルヤと新世界を提案したのは)同一人物で、なんかこう、ドイツ的なお好みを持った人だったんかなとか、推測するしかできない。その先生は、きっと、おそらく、子供たちの団結とか情操とか達成感を得ることによる教育とかそういうことより、ごく普通の、そのへんに生まれて同い年というだけで集められる公立の有象無象的な子供たちに、「圧倒されるような芸術」の存在を知らせようとしたんじゃないだろうか、と思う。

卒業式で歌われる「ハレルヤ」は、確か、4.5.6年生が参加するもので、冬になる前、11月くらい?に、全員音楽教師の指導の元で声の高低の篩分けが行われ、ソプラノ、メゾソプラノ、アルト、バス(バスはあった年となかった年があったような…)にわけられ、(そもそもこの時点でどうかしている気がする)それぞれの楽譜をもらった。私はいつもソプラノで、高く澄んだロングトーンの「キングオブキーーーーーーーーーング」が息継ぎ無しで歌えるように毎日練習を熱心に(家の風呂とかで)繰り返したし、その自分のソプラノパートに、アルトの「ハレルヤ、ハレルヤ」というコーラスが絡みつくように重なった時の高揚感は鮮烈で今でもよく覚えている。音楽の授業なんて、と真面目に取り組まない男子などは小学生の頃からいて、でも彼らも卒業式のハレルヤだけは別だった。そういう男子の中には6年生の頃には早くも声変わりを迎える子もいて、彼らが真顔で重々しく歌うバスのパートは本当に格好良かった。もしかしてバスがあったりなかったりしたのは、その年ごとにバスパートを歌える声の子供の多寡によって決められていたのかもしれない。卒業式のハレルヤに参加できることは、大袈裟に言えばあの小学校でのイニシエーションのひとつであり、4年生になって「ハレルヤを歌える」ことは嬉しく誇るべきことであったし、6年生の最後のハレルヤは、まさに華々しく、誇り高く、印象深いものだった。卒業式という儀式の、最も印象深いものがハレルヤだったので、中学高校と進んで「えっなにそれ卒業式でそんなん歌うとか聞いたことない」と何度も言われ驚愕したものだった。(同じ学校を出た弟も同じ経験をしている)だってどの学校も卒業式ではハレルヤ歌うものだと思ってたから!卒業式はハレルヤを歌うものなんじゃないの?!ハレルヤ歌わなかったら何するの?!私、卒業式とかハレルヤ以外覚えてないよ!なにしろ子供とは言え、400人超え(1学年8組、一クラス45人とかいた世代です)の混声四部合唱ですよ、体育館(ふつう)に響き渡るその歌声は、歌ってる当事者からしたって凄まじく圧倒的だった!(伴奏はどうしてたんだろうか、演奏してた子もいたような記憶あるけど、小学生でそんなまともな吹奏楽部とかあったか…?)おかげでハレルヤ強烈すぎて、他にも合唱大会とかあったし歌ったはずなんだがモルダウもイカロスも極めて印象が薄い。

新世界の組体操は、これも5.6年生が参加するもので、教師の笛の合図など一切なし、あのドヴォルザークの楽曲に合わせて、マスゲームと組体操をする、というものだった。生徒は4色(運動会の組分けの色)の薄いハンカチを持ち、サボテンやタワー(3段!)やピラミッド(6段!!)を含む組体操の技をフォーメーションを大きく変えながら、流れるようにこなしていくのだ。これも、ドヴォルザークの新世界という楽曲がどんな曲か、何を表しているかという解釈から始まり(ここでサボテンやるのはアメリカ大陸にサボテンいっぱい生えてたからなんだぞとか今思うとだいぶ適当)、運動会前の体育の授業はほぼ新世界の練習に費やされた。私は普段図書室に入り浸り、何か気に入らないことがあると平然と学校を抜け出して家で寝ているような子供だったけど、新世界の練習を億劫に感じたことはなかったように思う。うまくできなくて体育教師に叱られたことはあっても、練習をしないことで叱られている子は、皆無だったと思わないけど小学生の私には見当たらなかった。教師も「曲を聞け!」とか「腕をしっかり伸ばせ!」とは言っても「ちゃんとやれ!真面目に練習しろ!」と言うたぐいの小言は言っていなかったように記憶している。つまりハレルヤと同じく、新世界に参加できることは、あの小学校では晴れがましく誇らしいことだったのだ。最後の見せ場はやはりピラミッドで、昨今危険だと言われるアレを6段で作り上げ、しかも最後には、楽曲のまったく壮大に重々しく盛り上がる最終楽章で、無言でべしゃっと潰れるという、ほんと今思うとなんでそこまでやったという勇壮ぶりであった。

大人になって、小学校の頃の同窓会などあると、必ずその話になる。新世界すごかったよね、俺タワーの一番上でまっすぐ立てたときのことまだ覚えてる、私ハレルヤまだ歌える(場合によってはみんなその場で歌い出す)と同級生は口々に語りだす。具体的な思い出よりも、新世界格好良かった、ハレルヤすごかったと話はそこに収束していく。そんな時、現在は音楽も全然興味ないし、本も映画も殆ど見ないという男(仕事は幼稚園バスの運転手)がぽつりと「俺、新世界だけはCD買ったんだ。同じのがいっぱいあるからどれがほんとの(小学生の時のあの)新世界なのかわからなくて、店員に言って色々試聴させてもらって探したんだ」と言った時、ああ、と分かった気がした。

あのハレルヤと新世界を、あのごくふつうの公立小学校に持ち込んだ先生は、生徒に、そういう、世の中にはそういう、魂の真ん中に錨を下ろすような、圧倒的な芸術というものがあるんだぞ!と、叩きつけたかったんじゃないかな、と。

ちなみに同窓会に来ていた当時の担任に聞いても、あの普通の公立の小学校でハレルヤと新世界が行われるようになった経緯はわからないままだった。

Handel, Messiah - Hallelujah
カラヤン ベルリン・フィル 「新世界より」第4楽章

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