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【EVE Online】船を落とした日

少し期間が空いていた。そのことを自覚はしていたが舐めていた。緊張感を保ったつもりでは居たが、C3データサイトを見つけて欲が出た。ワープインの距離を誤った。クローキングを過信した。インターディクションの起動が遅れた。機動と隠密に特化して防御を何も持たない銀色の隠密艦はあっという間に砕け散った。ああ、もう何年も慎重にやっていたのに。同じ探索家プレイヤーには笑われても仕方ないくらい臆病に。

だが、この失意と後悔と喪失感は私だけのものだ。誰とも分かち合ったりなどしてやるものか。

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我は脳なり
我はモジュールなり
個にあらず
人にあらず
この愛しき群体生物である宇宙船の脳である
おだやかな溶液に満たされた卵の中
プローブのさえずりに耳を澄まし
相場の風に翻弄され
目的はなく欲望だけがあり
無限の宇宙とやらを漂う

自らの手や足を信ずるほどには信じられる
レーザーや
センサーや
スタビライザーとともに
ディープスペースを
ワームホールを

我は脳なり
我は船なり
我は生なり
船は生なり
旅を唄い、欲望を夢想する
ただ、我なり

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EVE Onlineというゲームがある。リリースは2003年と実は結構な老舗タイトルで、アイスランドのCCP Gamesが運営している。ジャンルとしては宇宙を舞台としたSF世界観のMMORPGということになるだろうか。だがこのタイトルは、そのジャンルの、いやどのジャンルにも、似ているものがない。このゲームを語ろうとする人は「EVEの面白さはわかりにくい」と口を揃える。そもそも面白さ?面白いんだろうか?私は何が面白くて、2007年から実に14年も(休止期間も長かったとは言え)この宇宙に居続けているんだろう?

私的ゲームレビュー的なところから行ってみようか。私はどうもキャラに思い入れる、ストーリーに共感するといった感情が薄く、また効率的ないわゆる「上手い」「強い」プレイを突き詰めるタイプでもなく(上手くないし強くない)、ただただその世界を放浪し眺め回し俯瞰し振り回され撫で回すことに拘泥するタイプで(要するにオープンワールドのゲームでマップ埋めや寄り道ばっかりしてメインクエストが全然進まないタイプ)そのような欲求にずっと応えてくれているタイトルであるということは確かだ。クールで美しい、冴え冴えとしたグラフィック、抑制の効いた音楽、不親切極まりないくせに隅々まで行き届いたUI、相場に現れる言語化されないニュースとコミュニケーション、あってもなくてもいいのにやけに重厚で孤立したバックストーリー群。どれもこれも、ここにしかない。

一例として船の挙動というか、仕様を挙げる。EVEの艦船は宇宙船ということでリアルといっても何がリアルなのかという気はするが、EVEの船は概ね物理法則に則っている。大航海Online、VoyageCenturyと船ゲームを渡り歩いてきた身にとって、EVEの斬新かつ嬉しいところは、でかい船はちゃんととろい。ということだ。ゲームプレイヤーとして成長して大きな船に乗れるようになっても、小さな船に乗る場面と理由がちゃんとある。そしてそれはこの現実の法則から大きく逸れることはない。これは本当に、本当にすばらしいことだと思う。
勿論ゲームとしては成長につれて機動力も増すのが普通だろうけれど、そのゲーム世界の手触りをまるごと味わいたい、楽しみたいというようなプレイヤーには、やっぱり興をそがれるものだ。バルシャより小回りの効く戦列艦などあってたまるか。
またEVEにはいわゆる持ち物上限、インベントリ制限というものがなく、それは船そのものにも適用される。プレイヤーのゲーム内資産を制限するのはそのプレイヤーの才覚と手腕のみである。これは容易に混沌を引き起こし、どこに何があるかを常に管理できないボンクラは混沌にまみれて脱落する。(何度かしました)

大抵のゲームにはあるインベントリ制限が、潔く取っ払われていることは思った以上にゲームプレイに影響し、またこの仕様が、輸送や流通がこの宇宙を動かす大きな因子にもなっている。これは何年か遊んでじわじわと気づいたことだけど、EVEの特異なもののひとつだ。
たとえば思い出の船を手元においておきたくても、アイテム枠というゲーム的制約の中では、その行動はとても無価値なものになってしまいがちで、こういう小さな不満を積み重ねていくうち、その世界に対する愛情(大きく出た)をせせら笑われているような気持ちになっていき、少しずつ世界を慈しむ気持ち(大きく出た)が失われていくのを私は何度か経験している。
EVEはそこを裏切らないでいてくれる。絶大な火力を誇る巨大戦艦は鈍重で、大量の小さなフリゲートの前には無力だ。インベントリ制限など広大な宇宙には無意味で、無尽蔵に増えていく細々とした自分の資産を自分で管理できないやつは混沌にまみれて脱落するのだ。本当にすばらしいと思う。

それともう一つ、14年前から何度となくそれを噛み締め、そのたびにこのタイトルが唯一無二であると実感するものがある。それはEVE Onlineは「不老不死を達成した人類はなんのために生きるか」という大きな問いに、システム的にもストーリー的にも「経済活動と権力拡大闘争のため」という答えを設定していることだ。つまり不老不死を達成しても人間のやることは変わらないんだと!身も蓋もないそれは、どこにも明文化などはされていない。それを示すのは、5000以上の星系とか、読ませる気があんまり感じられないミッションテキストとか、膨大なアイテム群による複雑なマーケットとか、日々刻々と変化するプレイヤードリヴンの勢力図とか、そういうものだ。なんてことだ、人類の大命題だぞ!正解かどうかはともかくとして、それに真正面から答えやがった!あのグレッグ・イーガンでさえ、知と真実の探求、みたいなとこに落とし込んでたのに!

だってEVEのゲームプレイは自由度が高いとは言われるが、結局は全部isk(ゲーム内通貨)に集約される。日々宇宙を飛び回ってお宝を探すのも、ストイックにミッションランナーを続けるのも、誰かの船を撃ち落とすのも、全部、全部iskのためなのだ。成果も損害も全てiskで表される。EVEには様々なプレイスタイルがあるとされているが、それは結局プレイヤー間では「金策」と呼ばれる。今年(2021年)は、全プレイヤーにEVEでのそれぞれの活動をまとめた動画がメールで送られてきたが、当然のようにそこにはiskの収支がデカデカと記されていてもう思わず笑ってしまった。世界の巨悪を打ち倒すとか、この世界の理を読み解くとか、そういう目的はEVE宇宙には存在しない。私達の日々にそれらが実は存在しないように。

多くのゲームの主人公(プレイヤーキャラ)は、実は不老不死を達成した人物だ。多くは死んでも生き返り、パーマデスと呼ばれるシステムを持つローグライクだってやり直しが可能だ。(ゲームは実は不老不死の長命者をシミュレートする側面があるんじゃないか?)
何度でもやり直せるなら「何のために」という根源的問いは限りなくその意味を薄めてゆき、用意された目的だけがそれとなる。EVEの場合はそれが「終わりなき金儲け」なのだ。儲けた金で何をするかもまたiskに集約される。大きな船は大きな上がりを生む。その大金でさて次は何をしよう?明確なエンディングのないサンドボックス型のゲームでは多かれ少なかれ似た現象は起こるが、EVEはMMOなので誰かの儲けは誰かの損害である。結果、勢力の確保と権力の拡大が大きな目的となり、闘争が生まれる。闘争はコミュニケーションを生み、連帯と裏切りを生み、世界を形作る。

EVEはコミュニケーションの必要性が高く、人と関わらなければこの世界の概要を知ることすらかなわないほど広大で難解である。CCPによるとインストールした翌日にログインを継続するのは全体のたった2%(マジで?いやほんとマジで?)らしい、超敷居の高いこのゲームの楽しみ方の本質は人と関わることだという人は多い。連帯の環はそのままEVE宇宙の環のダイナミズムにつながっている。私のようなソロ遊牧民みたいなプレイヤーはおそらく少数派で、私は世界を眺め回しているつもりでこの宇宙のことをなんにも知らない井の中の蛙なのかもしれない。しかし、人と関わることができる世界とは、しばしば人と関わらなければいけない世界と同義になる。けれどEVEは(かつてはUOも)その隙間を許してくれる。名もなき市民でありながら世界を俯瞰しその視界に酔うことを、この宇宙は許してくれる。連帯するこの世界が好きではあるんだ。私のことはいいから、どうかそのままでいてくれないか。その環に私は居なくていい。その環に私は入りたくない、今のところは。それを許してくれるうちは、きっとこの宇宙を彷徨うことに飽きないだろうから。


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