私は私の理想を知っているという話

ラーメンに関しては。mixi日記からのサルベージ。

それはラーメン大好き小池さんの食べているそれであり
映画「たんぽぽ」で完成するそれであり
ああ、ラーメン食べたいなーと思った時のそれであり
記憶の中でしっかりと湯気をたてる、あのラーメンである。

横須賀「前略らーめん」
https://tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14045388/

まっすぐではない、程度に縮れた細いかんすい麺、しかしけして細すぎたりはしない。
正しくトリガラその他でとられたダシ、過不足なく表面に浮く透明な油(脂、ではない)。
のっているのは、メンマ、ナルト、ネギ、チャーシュー、海苔。
特筆すべきはチャーシューで、流行の豚角煮のようなものでなく、きしきしっとした豚肉の繊維の歯ごたえも快い、ザ・チャーシューである。

全てが偉大なるスタンダード、関東の味として立つ、あの「しょうゆラーメン」から一寸たりともズレていないのだ。

だから埼玉で生まれ、東京神奈川に暮らしてきた、ねっから坂東ものの私が「ああラーメン食べたいなあ」と思うとき、それはここのラーメンを指す。

私はしあわせだ、頭の中にある「ラーメン」と全く、全く過不足ないものがいつでも食べられる。
私のラーメン欲はこの店をみつけてからは100%満たされている。
「これが食べたかった」という喜びは選ぶ、探す楽しみを放棄してもなおあまりある幸福、口福である。
すでに名の知られた名店で言うなら「勝丸」をさらにフラットにした感じだろうか。
勝丸はあれはあれでしょうゆラーメンの代名詞になりえる、たいそううまい店だと思うが、やはり何かが過剰だ。麺のちぢれ具合とか。

そう、前略のラーメンは、過不足がないのだ。何もやりすぎない、非常にまっとうな、ラーメンという日常食にこそまったくふさわしいまっとうな味なのだ。
前略のおやじさんは、にこやかでいかにもラーメン屋のおやじ、と呼ぶにふさわしい。 話し好きで、なじみの客にはにこにこと話をふってくる。
けれどおやじさんは、つくりながら話はしない。 客にどうぞと出すまでは、ほぼ口をきかず、客の声も届かない厨房奥の鍋の前に立つ。
ごちそうさま、とどんぶりを返すとおやじさんの目は全てのどんぶりの中にきっかりと一度だけ注がれる。
どうだ。この店がまずいはずがないだろう。

さらに前略には、とんこつ、カレーとんこつなど、実はしょうゆだけではなかったりする。 私はここのしょうゆラーメンに100%満足しているので、他はめったに食べないが、あの「またぎ」で居合わせた客が前略のとんこつラーメンを絶賛していたという事実を明記しておく。


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