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絵本を書くことについて

こんばんは。ちんちんむしです。
前回、Märíes Sklaveという私の作るブランド(もはや一人サークル?)から出している絵本の解説を書きました。読んでくださった方がTwitterやコメントで絵本の感想を教えてくれたり、注文してくださったりととても嬉しかったです!ありがとうございます!

今日は、「絵本作家になりたい」と思ったきっかけや作る時の気持ちをダラダラ書いていこうと思います。

まず、一番最初に思ったのは19歳の頃でした。9年前ですね。もちろん、小さい頃から大好きな絵本は沢山あって、絵を描くこともずっと好きだったので興味はあったのですが、明確なのはその頃です。
その頃、「Sheep Which Hides」というブランドをやっていました。服飾の専門学校に理由あって半年ほどで通えなくなってしまい、「人生が余ったな」と思いながら病んでいた頃、「そうだ!自分でやればいいんだ!」と思い始動したブランドでした。メインの自作キャラクターの病んでいるガリガリな羊がいて、その羊の報われない様子や自殺しようとしているところなどを描いたり、当時世間では「ゆめかわ」やパステルカラーが流行り始めた頃だったので、ブラック×パステルカラーのアイテムや自分の大好きなハーネスをモチーフに服を作っていました。今とやっていることが変わらない部分もあります。いまだに当時のアイテムを持ってくれている友達がいて本当に嬉しいです。
大阪のファンキーフルーツなどで委託販売のお声がかかったり、デザフェスに出たり、当時掛け持って働いていたアパレルショップのお客さんも買ってくださったりしてそこそこ上手く行ったりもしたのですが、その頃既に「もう少し物語が作りたいけど、私には一枚の絵に詰め込めないな」と思っていました。羊がモチーフのアイテムにはちゃんと一枚一枚に考えたストーリーがあったのですが、もっと起承転結があって、時間をかけて味わう痛みや悲しみを表現するにはどうしたらいいのかと考えていました。音楽、映像、本・・・色々考えたのですが、当時現実的に音楽と映像の機材や勉強に割くお金がなかったのと、やはり絵を描くことや絵本が大好きだったので、絵本が一番だと思いました。しかし、そう考え始めた頃には引越し資金がギリギリ達成くらいに貯まっていて、1人暮らしをはじめ、お金や仕事や時間の関係でブランドは終わります。そこから今年絵本を出すまでの6年、特に何もしていない私が始まります。恋に仕事に病気に大忙し!そしてコロナ禍!みたいな6年でした。コロナ禍が始まってしまって当時働いていたお店は実質解雇となり、「もう私のアパレル人生はおしまいだ」と高校から続けていた7年ほどの原宿店員人生を終えたタイミングで、社会人らしくなろうと前のTwitterアカウントを消して再始動しました。その頃24歳くらい。今のアカウントのどこが社会人なんですか。
趣味で絵を描いてもそこまでの自分の熱量もなければ、反応もないような日々でした。「絵本を出したい」という気持ちはあり、毎年スケジュール帳を買っては「やりたいことリスト」を作ってそこに書いていたものの、怠惰や現実の忙しなさに負けて6年叶っておらず、今年やっと叶えられました。

以前も同じようなことを書いている気はするのですが、去年の6月くらいからブランドを新しく作り始めたのには2つ理由があって、1つは一昨年くらいに出会った友達が真剣に自分の作りたいものを作っていて格好いいと思ったからです。崇拝とは違うのですが、私はその人より考え方が似てる人間に会ったことがなかったので勝手に大切な存在にしています。何もやってない段階で聞く創作活動に関するその人からのいい話も辛い話も、「あの頃に自分も同じ気持ちがあったし、わかるよって言いたいけど今の私は何もやってないから『お前に何がわかるんだよ』と思われるに決まってるし、何よりも私も格好よく生きたいな」と思ったのが一番強いです。
もう1つは、一昨年までブラックな医療系の職場で働いていてすごく忙しかった中、上と揉めて辞めてしまい、全然興味のない仕事に就いたことです。前の職場はブラックでパワハラドクターが2人いる上に同じ立場の者は面倒臭い女社会特有の感じで、いじめはないけどかなりのストレスがありつつ、職種としてすごく興味がある仕事だったので一生懸命やっていたものの心身共に崩壊しました。今は給料だけで選んだ全然楽しくはない可愛くない仕事。お金を貰うからにはちゃんとやっていますが、本当に「お金のため」。そしてストレスを溜めすぎずお金を安定して得るために、合わない人とそこまで関わらなくていい仕事を選びました。
そこから、結婚や子供を重視していない私はこんなつまらない人生でいいのだろうか、と思ったことや、前の職場よりは遥かに自分の時間があること、自分が頑張ればとりあえず普通に正社員になる月給よりはいいお金が入るので生活費も制作費も賄えると思えたことからブランドを始動したのでした。夢のないことを言ってしまいますが、取り分けニュースになるような才能や物珍しさもない私が夢を叶えるにはお金が要ります。会社で自分の好きなことが出来ている人のことも本当に尊敬しているのですが、やはり、パワハラや面倒臭い人間関係で自分が潰れることを想像してしまい、どれだけ仕事のために技術を磨いたとしても一人でしか出来る気がしません。

今のブランドを始めてから初めて、自分の描いた絵に反応がくるようになりました。服のために描いたモチーフでも、落書き程度に案を描いたものでも反応がもらえるようになりました。また夢のないことを言うのですが、知名度が薄いのに夢を叶えたい私のような人間は、反応がもらえることでしか前に進む自信はつかないです。いつもありがとうございます。そうやって反応をもらえる中で、絵について好きなところを言ってもらえたり、noteの文章が大好きと言ってもらえるようになり、「絵も文も好きって言ってもらえてる、今しかない!」と思って絵本を書き始めたにいたります。ここまで長かったですね。まだ話します。

絵本作家で憧れの人が何人かいます。
まずはエドワードゴーリー。他の作家のことを書くのは別の機会に。大好きな絵本作家の第1位です。コミティアやデザフェスに出ていても、ゴーリーの鞄を持った方が来てくれたり、初見のお客様に「ゴーリーみたいですごく好きです」と買ってもらえています。そうです。私はモロにゴーリーに昔から作品も絵も影響を受けています。令和のゴーリーにならせてください。彼の作品は一概に全てが残酷とは言い切れないのですが、詩的で報われない作品が多いです。子供の頃にだけ絵本を読んでいた方は「絵本は子供向けで、色々あってもハッピーエンドであるもの!」という印象があるかもしれません。それは読んだ子が苦悩を乗り越えて解決出来ることを知るためにも本当に大切なものですが、私はゴーリーの不条理な作品の影響を大きく受けて、大人のために描いています。
「別に報われないことだって当たり前にあるよ」が最近のテーマになりつつあります。努力して絶対報われる、心からそれを願うに越したことはないですが、そうでもないことって当たり前にあって、それでも人生は結構続いていきます。そんな時に、私も誰かも、「あんなに頑張ったのにダメだった」と思うと思います。「報われなくて当たり前」をテーマにしているのは、「どうせどんなに頑張っても報われない」と思って欲しいわけではなくて、「報われなかったとしても絶望しなくていいよ」「それが超現実を生きている証でもあるよ」と思う、私なりの大切なシュルレアリスムの要素です。絵本も小説も、サクセスストーリーから勿論勇気も自信ももらえるけど、そんなものばかり見ていたら上手くいかなかった時の自分を認めてあげられなくて、より一層絶望してしまい、死にたくなるかと思います。私はそうです。じゃなくて、報われない者、歪んだままで生きている者、そんな者たちを見て、カタルシス的に癒えてもらえたら本望ですし、「そんな時もあっていい」と思ってもらえたら。別に、成功するだけが物語ではなくて、不幸でも辛くても不条理でも、物語です。回数制限のない起承転結が起こる人生の中のどこかで利用されたら嬉しいです。私の作品では結構誰かが死にがちですが、死んだ後特別幸せになる描写はありません。私も知らないし、誰にも死んで欲しいわけではないからです。
そんな綺麗事を言いながらも、やはり私の歪んだ感情から生まれた作品ばかりです。かと言って、私の抱く感情なんてありきたりでありふれています。だからこそ誰かは分かってくれると思います。共感してくれる方がいれば、病んで泣く日の肴になってくれればとも思います。ドラマや映画みたいに仲間からの励ましや救いがあって復活できるばかりではないと思います。一人で泣いて一人で立ち直るしかない夜、とにかく泣いて自分を吐き出したい時にそばにいられるような作品を作れるようになりたいと思っています。他人の心のケアがしたいわけではありません。私と同じ気持ちの人がいたら嬉しいだけです。
「明るくなくてはいけない」「優しく出来なければいけない」「正しくなくてはならない」みたいな気持ちはずっとあるまま、どうしてもずっとそうではいられない私が作るものが、誰かのありのままの感情の味方であれればと思います。明るくなくても、優しくなくても正しくなくても、抱いた感情が落ち着くまで。


早くちょうちょになりたい