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日曜日の太陽

こんにちは。みなさん知ってますか?「なるたる」。
お腹すいた時に見るとウッってなりますよね。

もう全然自分語り回なんですけど(いつも)明日で親友の7回忌なんですね。
中学生で友達が1人もいない時にアメブロでバンギャ仲間として出会い、初めて出来た1歳年下の親友でした。お互いに学校に馴染めなくて夜中までネットでバンドを漁ったりアメーバピグ(アバターでチャットするやつ)をやったりブログを更新していて、週に1回以上は「居場所がない、死にたい」って話をお互いにして・・・親に黙って原宿駅で会う約束をして出かけたのがもう14年前の話になります。DirとガゼットとBORNが大好きな子でした。茨城でピンクのフリフリの日傘をさして歩いているような子で、下妻物語の桃子のようでした。

出会ってから8、9年目の時に彼女はいなくなってしまいました。これから死ぬと言う連絡も来ていたけど、私は一人暮らしを始めて仕事もすごく忙しかったのと、お互いにしょっちゅう死にたがっている仲だったので、生きてて欲しい旨を返したものの、「今回もきっと落ち着いてくれるだろう、大丈夫だろう」と思ってしまった結果でした。誰でも大人になってタダでは回らない「生活」が始まれば毎回構ってはいられなくなってしまうし、今まで見てきた経験を正しいと思ってしまい、今回も大丈夫だろうと思って・・・というのは言い訳ですが、当時本気だとは思っていませんでした。理由も今考えれば「たかがあんな奴のためにさぁ」とか言いたいようなことですが、もう何回も何回も同じような改善出来ない悲しみを繰り返して、いよいよ限界が来たのだな、とも思います。
今でも親友のお母さんが「あの時迎えに行ったのがあなただったら」と、「本当にあなたのことが一番大好きだったんだよ」と言う意味で言ってくれているのですが、胸に刺さって泣いてしまいます。

彼女には「少しでもあなたの幸せが続きますように」と言われました。続いてないですけどねあなたがいないなら、と思います。それから失踪して捜索されて見つかって・・・通夜があってお葬式があって・・・物凄い雨が降った後に意味が分からないほど晴れて暑くなった日でした。彼女の性格のようでした。

タイトルにした「日曜日の太陽」は、アニメ「なるたる」のオープニングテーマです。この歌は自殺したお友達のために作った歌なんですね。日曜日にずっと、公園なのかな?待ち合わせで待ってるけど友達がこなくて、「ああもういないんだ」と知る歌です。
歌詞の中で、「いつか君と、今よりもっと強くなろうと話していたけど、泣かないように強がってももう横には君がいない」というような歌詞があります。(歌詞の引用は色々な権利が怖いからしないようにしています。聴いてください)。その歌詞が、「今はお互い死にたいことばっかりだけど、絶対最強になって幸せになろうね!!」って約束していたのと重なって、泣かずにはいられないし、絶対ゴールデンウィークとお盆と彼女の誕生日に聞きます。彼女がいてもいなくなってからも、別に「彼女の分まで」とか一切思わなくて辛いことがあれば死にたいですし、なんなら天国の構造知らないけど会えるのかな、とか思うし、「置いてかれた、ずるい」とも思います。生きている理由なんて、生きてたらたまに良いことが起こる上に私が貪欲な性格なのと、やりたいこと見つけて熱中しているのと、やりたいことを通して出会えた新しい出会いや新しい世界が、大して物を知らない私にはあるからで、貪欲に良いことを追う気持ちさえなくなってくれれば終わるものだと思っています。でもどうしても何かに出会って好きになったり、何かに出会って達成したくなったり、それを追う中で辛い出来事に衝突して死にたくなったりします。まぁ探さなければ出会わなければ、という気もするのですが。彼女が「死後の世界ってこんなに楽しくて幸せだよ」と教えてくれることがない限りは、もう「死を以て示してやりたい」がない限りは、生きていると思います。

嫌なことも辛いことも今まさに解決できない悩みがあっても、それでも本当に絶対に離れたいほど「そんなにこの世が嫌かなぁ」とはどうしても思ってしまっています。まぁ彼女は若かったし、私も今になってこそ思えることなのかもしれないのですが。寝て起きて仕事行って作業してたら日付変わってて、いつか好きなバンドやブランドや芸人の嬉しいお知らせきたりするしさぁ・・・って、思ったんですけど、
そうじゃなくて死んで示したかったんだよね。それじゃあ生きてたらさぁなんて言えないや。それでも示したかった相手がのうのうと生きているんじゃなぁ。私もそんな日があったしなぁ。とは思うものの、結局、あれだけ悲しんでいた私でも家族でも友達でも今は笑える日があるわけだから・・・記憶が薄れるって最悪なことだと思ってたけど楽にもしてくれています。でも、みんなが永久に悲しんでないことが悲しくないかなぁ。とも、思ってしまいます。続きがある側には、笑う日もくる罪悪感、そして続きがあれば笑えるという幸福。

もう死の止め方なんて分かりません。私も死にたがりだから、その気持ちになってしまったら常套句なんて受け入れ難いし、倫理とか正しさも無視するし・・・リアルな現実が救われる支援でもない限り難しいのかもしれません(自己責任とかは今は抜きに)。死んで示さないといけない!と思っている人には、「死んでも何も変わらない可能性だってあるのに」とは思ってしまうかもしれません。ただただ、「生きてたら本当にたまにかもしれないけどいいことがある」とか「生きてたらなんか新しいものが生まれてくる」しか、まだ私に言えることはないし、死にたい人にそれを信じてもらえるとは思いません。新しい生まれてくるものにもたえるのが嫌だと言われれば敵わないし、成功しちゃった人が「私も昔は死にたかったんだけど」とか言っても嘘だと思われるだろうし、でも私は成功して「生きてると楽しいよー!」って言ってみたいし・・・。成功してもきっとまだ死にたいとも思うし。もう何が言いたいか自分でも分からなくなってきちゃったんですけど。勿論死んだことないから死んだ後の世界は分からないんですけど、死んだからって報われないかもしれないからまだ生きてたら?ってくらいです。無責任だけど、もう生きてても仕方ないって「理解」しちゃったかもしれないけど、死んだ後に幸せになれるかも分からないし、生きててもまだ本当に自分がずっと不幸なのか分からないんです。

早くちょうちょになりたい