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与えるだけだとして

つい最近、好きなお笑い芸人が解散しました。
お笑い好きな方からすれば「あー、あの人達ね」って感じかもしれないのですが、「辞める芸人だと思って劇場とかで見られるのが嫌だから今まで言わなかった」と、発表と同時に解散して、もうどこでも見られることはなくなってしまいました。
大抵の解散や脱退って前もって「この日に解散(脱退)します」が多いように感じているから、なんの心の準備もなく、なくなってしまいました。でも本人達が「辞める人達と思われるの嫌」と言う気持ちも、なんだか分かるような気がします。
その解散で、ありとあらゆる解散の理由はこれだろ!というような論争や意見がtwitter(現X)に飛び交っていて、確かに今まで色々な件でも問題だったことなのかもしれないけど、そんなことより私はもうその2人がどこでも見られないことの方が悲しい。私はネタが私にツボじゃないと可愛くても格好良くても好きじゃないにしても、ネタが好きだと色んなところが全部好きになってきてしまうからその議論ではなんとも言えない。漫才もコントも表情含めての「ネタ」で(こんなセリフを笑顔で言うのが面白い、とか)ある以上顔なんてどうしても見るし、見ていくうちにどんな顔でも好きになってしまう。ここまでの言い方が全部言い訳がましいな。私の目に映る全ての部分が好きでした。

だいぶ飛躍している上に不謹慎な言い方ではあると思うんですけど、私にとって私の目の前にもう二度と現れない人って「死んでしまった」に近くて、別れて二度と会わない元恋人とか全員もう死んでしまったと思ってます。どこかで会うかもしれないし、生きてるし、でも私の自己中な気持ちの切り替えの仕方です。
だから、そのくらい悲しいです。(片方はこれからも活動なさるそうで心から応援してます泣)

解散からの論争を見ていたら理由ばかりが重要視されて、そんな理由での解散がもうないようにしたいような意見が交錯していて建設的ではあるかもしれないのですが、本人達のコメントを読み返せば読み返すほど、「そんな気持ちで自分は笑えないのに他人を笑わせていた気持ちってどんななんだろうなぁ」と思っていました。
私も人のことを笑わせたいのが常に心根にあるのですが、やっぱり人を笑わせたい時って自分が楽しむためだったり既に楽しかったり、とにかくまず自分が楽しい時だなと思って。ショーレースで人生賭けて緊張してる芸人が笑わせるのもすごいけど、それ以前のもう辞めたいって状態で、でも責任感で期限までやり切るって状態での人を笑わせてる気持ちってどんなだったんだろう。
自分の空想の中によく「鬱病のピエロ」みたいなのがいて、仕事とプライベート、社会と本音をはっきり分けるための私の心の司令部の1人なのですが、それが本当に実在する状態のような気がします。ローテンションなネタだったからまだ良かったとかあるだろうか。辞めたいと思ってからの他人の笑い声ってどんな風に聞こえてたんだろう。友達でもないのだから聞く術もないし、聞いてどうする。

仕事は仕事でお金を貰ってる以上、ができる人を尊敬してるし、自分もそうであらねばと思ってます。それを全うして決められた期限で散るのはすごい去り際だと。全くそんな空気も吸わせずに笑わせてくれていた時の気持ちの裏側が、語られずとも癒えて欲しいのです。大好きです。

早くちょうちょになりたい