かつて天才だった俺たちへ
2019年3月。
"再生不良性貧血"と診断された。
診断された時からしばらくずっと目の前が暗くなった。
頭の中に「???」が止まらなかった。
「なんで俺?」と当時は思った。
反芻して自分の中に納得して落とし込むまで大分時間がかかった。
「これからどうすればいいのかな…」
「死ぬのかな…」
それからの日々は「生き続けること」と「死ぬかもしれない」の間で世の中がグレーになる事が増えた。
先述した、"結婚"についてもそうだった。
きっと受け入れてくれる人がいると思っていた。
現実は違った。
そんな人自分の周りにはいなかった。
そんな折に"米"を聴いたのだった。
(これは前記事の追記、補足として。)
そんな日々がつらつらと続いていた2020年8月11日。
creepy nutsのオールナイトニッポン0(#cnann0)で"かつて天才だった俺たちへ"が初披露された。
涙が止まらなかった。
"たりないふたり""よふかしのうた"で彼らの事を「友だち」のように感じていたのかも知れない。
その「友だち」からの「まあ頑張ろうや」という最高のエールを貰ったような気がした。
僕は新卒で入った会社で今で言う"適応障害"で休職していた。
その時に出会い、自分の心を救ってくれた
「たりないふたり」
「オードリーのオールナイトニッポン」。
自分が人よりも「たりない」と思っている事で笑いを生み出す山里亮太、そして若林正恭。
そして「オードリーのオールナイトニッポン」10周年武道館ライブのテーマソングとして「よふかしのうた」を作製したcreepy nuts。
「オードリーのオールナイトニッポン」に救われたDJ松永。
「山里亮太の不毛な議論」に救われたR-指定。
その2人が組んだcreepy nuts。
その2人の初めてのEP「たりないふたり」
同じ周波数の貉に思わないワケがなかった。
自分の芯と全く一緒だったから。
そんな2人の始まった"creepy nutsのオールナイトニッポン0"
もちろん初回から聞いた。
2人の交わす会話、2人が作り上げる音楽はとても自分の中に沁み入りやすかった。
それは暗に自分の中で「同じ周波数の貉」という共感があったから。
「ああ〜わかるわ〜」という共感が2人の世界にはあったし、その共感は「ああ、俺ってひとりじゃないんだな」という心の拠り所になった。
そんな中での"かつて天才だった俺たちへ"だったから嬉しかった。
嬉しかったし、これから病気と向き合う"心構え"みたいなものが
頭でわかっちゃいるんだけど、言語化出来なくてなんかフワフワしていたその"心構え"を「時が来たらかませ」というリリックでズバッと一言で明文化してくれた。
"かつて天才だった俺たちへ"のMVのコメント欄にはそんな曲に背中を押された人の感謝のコメントで溢れた。
目の前の物事から逃げて、ハスってこの曲を捉える事だって出来ると思う。
先鋭気取って、プライドが邪魔をして「ダサい」と捉える人もいると思う。
ただ、これだけは声を大にして周知しなければいけない。
R-指定に、DJ松永に、彼等の"生業"に、彼等の生き様に、彼等の創り上げてきた音楽に、彼等の紡いできた言葉たちに
救われて竦んでいた歩みをまた始めた人間がいる事を。
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