202001九州 こぼれ話〜大分市という街

!自己満足なので分かりやすく書こうとしてないよ!
!内容の正確性については保証してないよ!
!誤字脱字確認してないよ!

Twitterにおさまらない話をたまには書いてみたくなりました。今回旅行で最も印象的だった「大分市」について、こぼれ話でも書いてみようかなあ、と。

少し関係ない話をします。街の形、ダイナミクスってやつを皆さんは意識したことがあるでしょうか。
東京に住んでいるとイマイチしっくりこないかもしれませんが、地方ではJRターミナル駅から離れた場所が最大の繁華街になっている、というケースが主流です。
例)
名古屋駅-栄
広島駅-立町・紙屋町付近
金沢駅-片町
松山駅-大街道
(他多数)

私はこのような形を「名古屋型」と呼んでます。(⇔東京型)
なぜ地方に名古屋型が多いのか。あくまで私の私見ですが、要因は2つ。鉄道建設時の気持ちになってみましょう。
1. 人口集積地に鉄路を敷設するのが大変だった
→住んでいる人をどかして工事をするには、今も昔も時間とお金がかかります。簡単に工事を済ますという観点では「何も無いところ」に線路を伸ばすのが最適解といえるでしょう。(簡単に済ますだけならね)
2.公害問題
→一概には言えませんが、多くの場合 敷設当初は石炭を燃料に列車が走っていたことでしょう。黒いススや騒音を撒き散らす列車が迷惑な存在だったことは想像に容易いものです

以上のような要因から、列車は既存の街から離れた場所を走らされ、駅は僻地に作られたものと思われます。(想像だけど) むしろ名古屋型こそが街として自然な姿だ、とも言えるのかもしれません。
逆に、なぜ東京は「東京型」なのか。考えてみるに、おそらく当時は東京も名古屋型の街だったのではないでしょうか。思えば中央快速線は中野から立川まで定規で引いたような直線ですし(古い街に沿っているのは京王線)、新宿・池袋といった駅々は当時草原の中にありました。大都市を形成する過程の中で駅の近くまで街が迫ってきた/機関車→電車になる等公害が薄まってきた以降駅付近に繁華街が集積した、といった具合で合点がいくでしょうか。
何なら名古屋も東京型へ近づこうとしています。まだギリギリ名古屋型かな?

話が逸れました。大分市です。
実は九州内の県庁所在地は各地歴訪済で、大分市が最後の訪問でした。
これまで九州内各都市は、例に漏れず名古屋型の街でした。
典型例は鹿児島中央駅-天文館。最大の繁華街、天文館は鹿児島中央駅から1kmほどの場所にあります。もっとも、九州新幹線開通以来、駅付近もかなり盛り上がっているようです。駅付近が見事に盛り上がっていない都市でいえば熊本駅-通町筋あたりでしょうか。(佐賀?繁華街?何の話?)
てっきり大分市も名古屋型だろうと思っていたものの、いざ到着して驚きました。駅前から大規模なアーケード街(結構賑やか)、典型的な東京型だったのです。

画像1

↑googlemapより。大分駅前から市街地(黄塗部)が広がっていますね。(縮尺ないけど、駅から城址まで400mくらい)

画像2

↑一方の熊本市。中心部にあたる市街地は熊本城東に位置しています(画像右上)。熊本駅からはザッと2〜3kmといったところでしょうか

なぜ大分市は東京型なのか。帰りの新幹線内でちょっと考えてみました。いくつか論拠になりそうなものを並べておきましょう。
◯:事実 ●:推察、私見
◯安土桃山・大友宗麟の頃、大分市(にあたる部分)は大いに栄えた
→有名なキリシタン大名。ザビエルの布教を許可する等厚遇。南蛮との貿易も盛んになり、当時の市内は大いに賑わった。海外で当時最も有名だった地名は「豊後」との説も。(大分市立歴史資料館展示内容よりニュアンス抜粋)
◯朝鮮出兵時に大友失態、領地没収・各大名へ分割
→内容よく覚えてないけど、宗麟の嫡男の時代に文禄の役で何かやらかして秀吉激怒、以後幽閉される。豊後は大友氏の支配を離れ、江戸幕府・細川・島津など各大名が細切れに支配するように。(同上)
◯大分市は高度経済成長期に大きく発展
→1950年代大分市の人口は10万人弱、これは宮崎市に劣る水準。しかし高度経済成長期に大規模工業用地の整備・工場誘致に成功。1960年初頭は20万人程度だった人口が1990年には40万人に倍増。「新産都の優等生」と呼ばれるように。(ソースwikiですごめん)
ちなみに現在の人口は48万弱と九州内第5位。
●江戸時代以後、大分は鳴かず飛ばず
→大分市立歴史資料館では、江戸時代や明治以降に関する展示がほぼ無し。(順路間違えたかと思った)
普通の歴史博物館では300年続く江戸時代や華々しい文明開化の時代の様子を紹介しないなどあり得ない。おそらくは、大分市の歴史として「展示するものがなかった」のでは?高度経済成長期までは人口も大して伸びず地方の鄙びた街だったこともその傍証。

大分駅が設置されたのは1911年。以上の事から考えられるストーリーは以下。
「線路敷設時、そもそも大分市付近には敷設に際して考慮されるべき街が存在しなかった。戦後 高度経済成長期以降に人口急増、最早この時代には鉄路近傍を嫌う理由無く、利便性の高い駅周辺に繁華街が形成。今の東京型に至る」
つまりは、街の形成が遅かったから名古屋型にはならなかったのでは、という推論です。いわば「一種のニュータウン型」とでも言えるでしょうか。
ただ、あくまで可能性。真実は違うところにあるのかもしれません。それを想像するのもまた一興です。

普段こんな事考えながら旅行してます。
景色や食べ物を追いかけるだけでは無く、街の姿に目を向けてみるといろいろな発見があって面白いですよ。
以上、大分市こぼれ話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?