240812_稲毛田山 金剛王院 崇真寺から八雲神社、来迎寺へ
朝チャリ_琴平山古墳へ
夏休みに入りました。この暑さで、遠出する気力はないんですが、朝の自転車だけは欠かせません。今回紹介する散歩コースはお気に入りのビアンキで走ったルートで見つけたところです。
以下の条件に当てはまる散歩コースを提案していきます。
①駐車場がある
②魅力的な場所である
③30〜60分の散歩コースである
以下は実際に走行したルートです。琴平山古墳を目指して行ったんですが、ここは難所。蜘蛛の巣だらけでなんとか発見することができました。気軽な散歩にはオススメできません。
おすすめ散歩コース
1.稲毛田山 金剛王院 崇真寺
芳賀秩父観音の1番札所。
「のりのみちちかひをむすぶそうしんじ、じひのめぐみにくもはれのつき」
芳賀郡には芳賀100観音といって、芳賀秩父三十四観音、芳賀坂東三十三観音、芳賀西国三十三観音の合わせて100の観音堂があります。実際には番号がダブっているところもあって、100以上あるようです。すべてではありませんが、歌碑が建てられています。
この崇真寺には本殿に加えて、観音堂、地蔵堂、釣り鐘堂(ただし、震災で壊れた状態)犬切不動尊があり、見ごたえがあります。
最近では四国八十八ヶ所巡礼ができるお砂踏みというのができました。ぜひチェックしてみてください。
この「犬切不動尊」には民話が残されていて、それが日本昔ばなしで取り上げられているそうです。こちらのWebサイトで紹介されています。
2.八雲神社
崇真寺で時間を費やしてしまうと思いますが、隣接する八雲神社にも足を運んでもらいたいです。
石造りの神明鳥居をくぐると、狛犬が2組出てきます。拝殿の横には神楽殿があります。
周りには石祠が5つほどあります。奥に行くと、本殿が見えてきます。大きな枠で囲まれているので、じっくりと見ることができます。豪華な彫刻は見ごたえあり。
以下、案内文より引用
天城天皇御代の大同二年(八〇七年・皇紀一四六七年)
下野助乙貫朝則が高尾神社の分霊を勧請し創立する。
永承六年(一〇五一年)、財部頼重が本社を改造、高倉
天皇の治承四年(一一八〇年)那須権守資隆の領地になった時、本社を崇敬して社須五十石を寄進した。後、大田原
備前守晴清の所領となり、慶長十年(一六〇五年)六月二十六日夜失火して本社鳥有に帰す。大田原氏が社殿を再建し、現在に至っている。
明治六年(一八七三年)郷社となり、明治四十五年(一九一二年)幣帛供進の御社に指定された。
神社の南西二〇〇米に琴平神社があり、文治五年(一一八九年)城主稲毛田重正の本社と伝えられ、現在私有で個人の氏神になっているが、七月二十九日例祭の注
進降しは、この社より初まる。南東五〇〇米に清水があり、神泉として八月二日の例祭の神興の清掃はこの清水で行われる。境内に樹齢三〇〇有余年の御神木のケヤキとエノキがある(町指定天然記念物)。
主祭神 素盞鳴命御神徳厄除•交通安全
芳賀町教育委員会
3.来迎寺
八雲神社から300m南に歩けば、来迎寺が見えてきます。細い道に入るので入口がわかりにくいかもしれません。
細い道の先に石碑群が見えてきます。二十三夜塔を含み、ずらっと20以上並んでいるようです。
崇真寺が芳賀秩父観音の1番札所でした。そしてここ来迎寺は2番札所です。同様に観音堂に歌碑が建てられています。
「だいじひととのふるこえをしるべにて、みちびきたまへみだのじゃうどへ」
以下、案内文から引用します。
時宗 引接山浄台院来迎寺
正中元年(一三二四年)遊行四代香海上人創立して、相
模国鎌倉郡藤沢駅清浄光寺の末寺、時宗遊行派である。
弘化二年(一八四五年)二月十日、祝融の災に罹り堂宇、古記録ことごとく焼失した。
嘉永元年(一八四八年)再び修復して現在に至っている。
境内に観音堂があり、栃木県益子の仏師、高田右近の作である如意輪観世音菩薩が安置されている。
なお、山門は長命門と称しているが、この山門は芳志戸
・般若塚にあった長命寺(廃寺)の山門を、前住職山村師が買入れ、来迎寺の山門として移築したもので、元ゆかりの寺の寺名を残したい念願から、名付けて「長命門」としたとのことである。
山門の前には、月待仰の二十三夜塔が建てられている。これはかつて、追分道標を兼ねて、八雲神社前のY
字路分岐点にあったものが、ほぼ三角形の自然石に
「右からす山道・左喜連川道(安永三年十一月建立)」
と刻してある。
如意輪観音は、芳賀秩父観音第二番札所である。
芳賀町教育委員会
というわけで、3つのスポットを紹介しました。距離は300mしかありませんが、見どころがたくさんあるので30分では足らなくなりそうです。じっくり歩いて見てください。
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