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【自己紹介③】ピザ屋とバークリーがもたらしたもの

▼ 前回までの自己紹介 ▼


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1年間の東京での専門学校での日々を終え、いよいよ渡米。
ただ、この頃の為替は固定で1ドル360円、ボストンまでの飛行機代も片道50万円と高額だったり、留学する人も今ほど多くない状況から「もう後戻りはできない」「中途半端では帰れない」と決意を新たに引き締めたことを覚えています。

「バークリー音楽大学に入学」という高校2年夏からの目標に近づいていくのは嬉しかったですが、「やりたいことをやれ」と、応援してくれた両親や家族のためにも覚悟が必要でした。

実際、渡米して2年半は帰国しなかった、というかできませんでした。


1. ピザ屋で学ぶ語学以上に大切なこと


初めての外国での生活、やはり語学でつまづきました。

バークリー音楽大学の向かいに「コスモス」というピザ屋さんがあり、ピザのスライスが1枚50セント!という安さで大人気の店でした。
その店でピザを注文しようとするのですが、私の英語が全然通じません。

何を言っても「ハー?ハー?」とハゲタカの様な怖い顔のおじさんが聞き返してきます。仕方なく最後は指差しオーダー。情けなかったです。

後日、その店でアメリカ人が注文しているのを見ると例の「ハゲタカおじさん」は「ハー?ハー?」と聞き返しているのです。
なんと、そのおじさんは耳が遠かったのです。

私は、自分の英語が通じていないのは、発音が悪いからだと思い込んでいましたが、そもそもおじさんには「私の声が聞こえていなかった」のです。 私は英語に自信がないので、弱々しく小さな声で注文していたはず。「ピザを食いたい!」という気迫が足りなかったのです。

それからは発音が悪かっても構わない、聞き返されても構わない、「何としてもピザを食ってやるぞ!」と意気込みで大きな声でピザを注文するようにしました。あれほど怖いとビビっていた「ハゲタカおじさん」も笑顔で「OK!」と快くオーダーを受けてくれるようになりました。

何においても気持ちは大切ですね。

この件はその後の私の留学生活に大きな意味をもたらしてくれました。


2. とんでもないテンション感の授業

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バークリーの授業は衝撃的でした。

まずメチャクチャ進行が早いのです。
1時間の授業の中で、物凄い量の内容を物凄いスピードで進んでいきます。
1回でも授業を休んでしまうと付いていけなくなります。


次に先生のテンション感が凄い!
ある先生の授業は冒頭、
「Today No excuse please!」
から始まります。
つまり「言い訳は認めない!」ということ。

万が一言い訳をしそうになると
「Tell me your story」と先生は言い始めます。
「どんな言い訳を私にするつもり?」と。

またある先生は
「バークリー卒業したら次はどこの音楽学校に行く予定だ?
 ジュリアードか?ディックグローブか?
 そうやって、プロフェッショナル スチューデントになるつもりか?」と。
要は「プロを目指せ!」ということ、バークリーは完全なるプロ養成学校だったのです。

・スピード
・集中力
・言い訳なし
・責任

…など「真のプロ」に必要なものを、授業内容は勿論、基本的な指導姿勢の中でも教えて頂きました。
プロとして働くにあたり、その人が困らないように鍛えてくれていたのです。

右も左もわからなかった私に、音楽は勿論、人としての部分から教えて貰えた貴重な大学生活でした。
なので、今教える立場になった私の基本の指導法も「バークリー方式」、私にとっての「バイブル」なのです。

3. バークリーがもたらした出会い

バークリーに行って最初にして最大の衝撃は「小曽根真」さんとの出会いでした。
正しくは、小曽根真さんの「天才的な音楽の才能」との出会いが一番ということではなく、小曽根真さんのシンプルな人間的な考え方に出会ったのが一番なのかもしれません。

バークリー音楽大学は一流のプロミュージシャンを養成する学校なので、ありとあらゆる音楽の専門知識を教わります。
どんどん頭の中の音楽的知識は豊かになります。
それだけに選択肢が増え、迷いも生じるようになります。
これは何も音楽だけのことだけではなく、どの分野でも同じことが言えると思います。

ある時、パーティーに小曽根真さんが出席された時のこと、バークリーの生徒さんの質問攻めになっていました。
小曽根真さんがリリースされたアルバムの収録曲の中で使われている理論の質問、他のアーティストの事をどう思うか…etc
小曽根真さんといえば、在学中にアメリカのメジャーレーベルからメジャーデビューした、それこそアメリカンドリームを叶えた人なので、バークリーの学生にとってはまさしく憧れの的、色んなことを聞きたいと思ってしまうのは無理も無いことなのですが、それでも音楽の場ではないパーティーで、真さんに対して質問攻めにするというのはどうか、とはたから見ていて思っていました。

「あなたが良いと思えば良いではないか」と真さん。

人がどうのこうの言う前に、あなたの感じたことを大切にすれば良いのでは。
とすごくシンプルに答えられていた事を記憶しています。

また、真さんとは日本での地元が近いこともあり一緒に遊ばせて頂いた時期があったのですが、一緒にいても音楽の話はほとんどなし、たまに音楽の話をしても
「良い」「良くない」「好き」「嫌い」…はっきりと、それもシンプルに言われていたのが印象的で
「天才とも思える人の頭の中は、とてもシンプルで要するに普通の人と同じ感覚なんだ、天才が普通の人と同じ感覚を思っているのなら、その中間の考えはいらない、「普通の人」としての感覚を磨いていこう」と、思いました。

ある時、どうしても自分の曲を聴いて貰いたくて、車の中で聴いて貰った時の事、
「おまえの音、好きだ」と、言って貰えたのが凄く嬉しかったです。
そして、私が日本に帰国して最初に音楽のお仕事を下さったのは小曽根真さんでした。
真さんのホームタウン神戸で初のFM局「KISS FM」が開局されるにあたり、真さんが音楽の2時間番組「OZMIC NOTES」を担当される事になり、そのオープニング曲を書かせて頂きました。
「OZMIC NOTES」は6年もの間、素晴らしい音楽番組としてリスナーの皆さんに愛され続け、私が書かせて頂いたオープニング曲もずっと使って頂きました。
あの時「おまえの音、好きだ」と言ってくださった小曽根真さんの気持ちにウソはなかったのです。

今日の私があるのは、小曽根真さんとの出会いなしでは考えられないです。
音楽的にも人間的にも本当に尊敬できる素晴らしい人です。

バークリーでは、他にも素晴らしい人や仲間と出会うことができ、ボストンでの生活は私の人生の宝物となりました。


次回は、そんな充実した日々を送っていたバークリーを休学するとことから書いていきたいと思います。

小泉 誠司

2022/02/09 追記:続きはこちら↓


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