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キャリアブレイクという名の大人の夏休み

『キャリアブレイク』という言葉をご存知だろうか?

離職期間、つまり、キャリアの中断を肯定的に捉えるというものである。

今まさに、私がその状態である。

意図せずキャリアブレイクがはじまった

結論は『大人の夏休みってサイコーだぜぃ』ってとこに落ち着くのですが、その前に、「なぜキャリアブレイクしているのか」を話します。

2022年1月の締め日、あと1時間か2時間で業務が終わるかな?帰路につけるかな?って時でした。急に私の心がブロークンしたのは。

ずっと続けていける組織かどうかは考えたりはしていたけれど、職種自体は嫌いじゃなかった。年々すり減ってきてはいたけれど、情熱だってやりがいだってあった。

むしろ、障がい者福祉の現場で就労支援を行うことは自分に向いているとさえ思っていた。

どちらかというと、退職理由は、組織の中での自分のキャリアアップが望めなかったり、上司や同僚とのコミュニケーションの不自由さで日に日に疲弊していたことにあった。

いわゆるエッセンシャルワーカーとして存在しているから、この先何十年働いても、国の法律やら何やらが変わらない限りは薄給のままだし、以前の職場は副業も禁止。

件のアレが流行ってしまってからは、緊急事態宣言など関係なく、常時県外移動は原則禁止になってしまった。

地方に在住したことがない方に向けて、あえて誤解を招きかねない言い方をすると、「村八分むらはちぶ」は何より恐ろしい現象なのである。

現象と言ってみたのは、している行動は原始的だが、全体を俯瞰して見たときに、誰が主導で「件のアレにかかった人」を追い出そうとしているのか分からなくなっているような気がするからだ。

この場所・・・・に件のアレを持ち込むなど言語道断。ましてや社会的に弱い立場の人間が持ち込んだなんて噂されてしまったとしよう。

行動範囲内の安全性は、実際に目に見えるもので成り立っていたりもするけれど、本人が心理的安全性が高いと思っているかどうかが重要だと思っている。

職員として、利用者さんの職場をどうしたって守りたかった。

長年の療養生活からの復職を目指している方、無理をせず健やかに、まずはフルタイム就労ができる体力をつけようとしている方。

障がいの程度、家族との関係性、関わっている機関からの支援、本人の希望で、それはそれは多種多様だった。

なぜ、気のいいみんなが、社会的に差別的な目を向けられなければならないのか、理不尽だと思っている。いまだに。

理想と現実のギャップで、物忘れが酷くなっていた。少ない人員で件のアレの対策もしながら、通常業務をこなしていかなければならない。

まさに月末だった。
立ち回り方が上手くなかったのだろう。納得がいかない叱責を受けた。
ここでいう立ち回りは、愛想良くしているとか、その辺である。可愛げのない態度をとったとも、後々言われたような気がする。

処世術でヘラヘラすることは大事かもしれないが、これだけは言っておく。自分に負のストロークを向けてくる相手には、むしろ不機嫌な態度を取ったほうがいい。延々と、いや永遠に、こちらのやる気を奪っていくのだから、早めに分かってもらった方がいい。極端な例ではあるけれど。


気がついたら夏が近づいていた

身体は元気ではあった。食事も摂れるし、夜もしっかりと眠れた。涙が止まらないなんてこともないし、外出だってできた。

でも、職場の環境が変わらないのならば、同じことの繰り返しのような気がした。いずれ、キャリアアップしたいと思っていたのだから、チャンスに変えようと思った。

同年3月には退職した。今でも、精神保健福祉にはとても興味があるし、通信制大学で学べないだろうかと絶賛検討中でもある。タイミングさえ合えば、来年の4月からは、自分の肩書きに『学生』が加わる可能性もある。

辞めてすぐ、焦ったように求人票をチェックしていたのだが、これだとピンチがチャンスになるわけがないと思った。

この機を掴んでこそだと思っていた。
何なら、退職の交渉をすることに時間がかかるだろうなぁと危惧していたのだから、すんなりと目的が達成されて良かったじゃんってことで。

だからって何もしないのは性に合わないのである。

5月20日から、キャリアスクール『SHElikes』の受講生(以下、シーメイトと表記)になった。

このスクールはオンラインで受講を完結させることができる。地方住みの私には、ありがたかった。

さらに、入会してみて驚いたのが、コミュニティを重要視しているところであった。

自身もシーメイトでありながら、各コミュニティの運営をしているようだった。イベントの実施だったり、もくもく会と呼ばれる勉強会だったりを主催していたのだ。

前述した通り、私と福祉は切っても切れないところにある。ざっくりと言ってしまうが、福祉系ラボを数年以内に立ち上げたいと思っている。それは、支援者同士や当事者同士、はたまた地域の人を巻き込んだコミュニティ作りかもしれない。

漠然とだが、気づいたことがある。
自分がやらねば、誰かがやってくれるわけではない。

まずは実現の第一歩として、コミュニティ運営を経験してみようと思った。
あれは6月の初旬だっただろうか(なんで、すでに記憶が朧げなの)。

2022年が始まったばかりであったはずなのに、気づいたら初夏の日差しだと認識できるようになっていた。

6期ライターCPノンノが爆誕

「えええええ!!ほんとに任せてもらえるんだ!!?」

就任発表を見たときの驚きには、嬉しさと不安が入り混じっていた。

CPとはコミュニティプランナーの頭文字を取っていて、私は現役ライターでもないし、ライターコースの受講もあまり進んでいないのに、ライターコミュニティのコミュニティプランナーとなったのだ。

正直、焦りまくってしまった。
シーメイトさんの期待に応えられるだろうかと不安にもなってしまって、がむしゃらになってしまったり。
それは任期の半分を終えた現在も変わっていないかもしれないが。

同期CPの中には、サポーターと言って、CPをサポートする経験を経てきた人がいる。

私は、入会したばっかりということもあり、CPやサポーターがどんなことをするのか、違いは何なのかすら、さっぱりであった。

とりあえず、周囲がサポーター募集を始めるらしい。
イベント運営をするチームをマネジメントできれば、目標に近づく気もした。よし、やってみよう。

経験したことのない、夏が来るなんて思いもよらなかった。

「はじめて仲間に出会えた」喜びとの邂逅

こんなことを言うと、今からサポーターさんに不審がられるかもしれないんですが……

私は、友達がほぼいません!!!!

「いや、友達っていうのは、何人もいたらいいってわけじゃないよ〜」

って励ましてくれようとしてくれそうになっているあなた!!

ノンノは友達がいません!!!!!!爆

お話できる相手はいるかもしれないけれど、困ったときにどうしたらいいの?って相談できる相手がいないのです。

一般的にいう、幼馴染だったり、学生時代の友達、元同僚だったり。

まぁ、同世代は結婚したり、育児に追われていたり、自分とは違う人生を歩んでいたりして、定まり切らない私は、遠慮しているのもあるんだけど。

「サポーターさん、集まらないかもしれない」と、半泣きになっていました。

結果として、私のコミュニティ作りの理念に共感してくれた多くのシーメイトさんが仲間になってくれました。

どうしたんだろう。急に人徳積んでる感出てきたんだけど、一体いつ徳を積んだのだ!!?

イベント準備でもくもくしながら仲良くなれた?!

7月8月、ミーティングと銘打った会議は少ないものの(え?本当に少ないか?)、必要なスライドだったり、諸々の準備に多くの時間がかかった。

1人ではきっと、成し遂げられなかった。
これってどう思う?って聞いたら、アイデアをどんどん出してくれる。それいいじゃん!!って背中を押してくれて、もやっとして輪郭すら触れなかったものを、きちんと形にしてくれる。

私、意外な発見があって、イベントの企画自体はそんなに時間をかけずにできるかな、と思うようになった。

逆に、プロジェクトマネージメントだったり、チームマネジメントだったりの方面が、もう悲惨なことに(目指しているところなのにね)。

見かねたサポーターさんたちが、準備もくもく会をすることを提案してくれた。

もくもくと準備しながらも、小休憩と称して、各々の趣味だったり、日常生活を垣間見ることができて……。

今後、そこまで頻繁に顔を合わせる必要性が無くなってきてしまうのかもしれないけれど、ノンノのおしゃべりしたいなって声をかけてくれるようになったら嬉しいな。

8月には2回もイベントを実施することができた。

ゆる〜くコミットしてくれるサポーターさんもいて、ご自身のお時間があるときに関わることができている。
イベント時には大勢駆けつけてくれて、より良いイベントにしようと、各々が楽しみながら参加してくれている、はず!!

もっともっと、相互に矢印が飛び交うような、そんな交流が活発なチームになれたらいいな!!

ネクストアクション!!課題である。


楽しい夢を見させてもらっている

イベントの準備に精一杯で、なかなかひとりひとりと向き合うことができていないかもしれない。

でも、「ノンノと一緒にイベントをやりたいから」「ノンノと仲良くなりたいから」と、本気で言ってくれるから。

それを裏切りたくはない。

大人になってから、こんな青春みたいなこと、できると思っていなかった。

ここから書いたら長くなっちゃうから、割愛するのだけど、私には学生時代の楽しい思い出なんてなかったのだ。

30代にもなって、こんな夢にまで見た幸せな時間を与えられるなんて、誰が考えただろう。

10年もの長い間、高校生の自分が学校に行きたいけど行けなくて苦しんでいる夢を見続けた。そういえば、ここ2ヶ月くらい見ていない気がする。

この夏休みが終わったら、私はまたひとりになるのだろうか。そんな、贅沢な悩みも出てきた。

10月31日まで、私はコミュニティプランナーである。

あと2ヶ月である。
山頂まで登れば、見たことがない景色が目に映るのだろうか。

そのとき、みんなの笑顔を見ることができたら……

私はこの思い出を、後生大事に持っていく。
そのつもりだ。

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