見出し画像

インターネットの変化

私がインターネットを触りだした頃は中学生の時だった。

その頃はお絵かき掲示板やチャットや2ちゃんねる、フラッシュ倉庫など見ており、本名でインターネットをしている人は身近にはあまり居なかった。

チャットなどでかなり話し込んで仲良くなった人にだけ本名や住所を教え、いつか会えたらいいよねーと個別にメールで雑談していたが数年経つと交流が無くなった。

年末年始は家族で過ごしているのに昔からなぜか特に孤独を感じて(家族で家にいると母と父はお酒を飲んで仕事の愚痴で盛り上がるため私はひとり部屋に篭っていた)、毎年2ちゃんねるの人が多い所を適当に見て寂しさを紛らわせていた。

物凄く沢山の人がいるように見えたし皆が匿名で、でも何かを共有している感じが心地良かった。

現実は疲れる。言葉とか目線とか態度とか、そうゆうものに臆していると他人との交流は上手くいかない。

チャットや掲示板での後腐れない人とのテキトーな交流は気楽で癒しだった。


mixiが登場した時それとなく居心地の悪さを感じるようになった。招待制で、友人に招待してほしいと言いづらかったし、招待されないと参加できないという制度に現実の様な不自由さを感じた。

ツイッターとも出会った。最初はツイッターも匿名性が高い場所だった様な気がする。将来就きたい仕事をプロフィール欄に書き、かなりの人数と交流した。ツイッターで交流できる人は広がったが新たな人間関係が生まれた。

現実で上手くいかずともネットの人間関係が上手くいっていれば良いのかもしれないが現実で上手くやれない私は第二の人間関係にも苦しんだ。

現実の人間関係の延長のアカウントでは仲良しな人達がどんな会話しているか、何を匂わせているかが気になる。

第二の人間関係の方でも、現実と同じ様に能力がある人間や外見が良い人間が囲われ、居場所が無くなる不安や焦燥感は倍になった様に感じた。

更にネットと周りは進化を遂げていった。

進化したインターネットが在る事を当たり前として育った世代の登場だ。

私個人の感じ方かもしれないが若い世代はとにかく能力が高い人や感性が鋭い人が多いと感じる。

能動的であれば学びたい知りたい事をどんどん一人で探求して発表し共有できる場があるからなのではないかと思う。

最初は気にしすぎというか、能力のある人ばかりが目立っているのかとも思ったが…

実際インターネット上だけでなく職場でも体感できるし、現実の知り合いも似た様な事を言っている。そしてその若い世代は、自分たちが秀でている世代だということにまだ自覚がない。だから上の世代は半匿名性のネットで罵られたりする笑

私にとって昔インターネットは逃げ場であり癒しの場だったが、今は片隅に追いやられた感覚がある。現実が窮屈だから逃げてきたのに、もうどこにも居場所がないと感じる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?