【よしなしごとら】2020.07.19

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しばらく固定していた下記をベースに、よしなしごとを書き連ねるもの。

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…上のリンクをベースに書き連ねようとしたものの、今は何よりも、新たに割り振られた担当業務について勉強するしかない。

土日ずっと勉強しても足りないぐらいだけど、日曜の午後になるまでは、ゴロゴロしたり所用を済ませたりしているうちに過ぎてしまう。

とはいえ、ここしばらくは日々のことをまとまった文章にしていなかったし、少し文字にしてみようかと思う。

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以前から、どうして他人を殺してはいけないのかという問いかけに対する回答を考えてきた。

平時に人を殺すことは悪だが、戦争をしている時に人を殺すのは悪ではないし、「社会秩序を保つため」「平和を手に入れるため・維持するため」という目的を達成するうえで、他人を殺すことを罰するのが便利かどうかでしかないのだろうか。自分やそのほか多くの人がされたら嫌なことはしちゃいけないということなのだろうか。

宗教が力を持っていたときには、神の前の平等というか、神しか生殺与奪することは出来ないような環境があったようにも思うけど、現代はそういう時ではない。いかに、これからの時代において他人を殺してはいけないのかを語ればいいのか、ちゃんと言葉にしたい。

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昨日、俳優さんが1人逝ったらしい。

他人を殺すことと、自身を殺すことと、どちらも一般的に悪しきものとされている(僕も疑うことなく信じている)けれど、世の中には、視野が狭まってしまって、そうするしかないような心的状況に追い込まれてしまった人もいる。

彼ら彼女らに対して、どういう言葉であれば、ちゃんと響くのか。そもそも僕らが信じている命の大切さというものは、どれだけ誠実・簡潔・実直に、僕らの中で語られてきたのか、一度自分の中で整理したいと思っている。

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