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今日の夢

 昼下がり、曇り空の下。開けた田んぼの畦道を誰かと歩いている。
 私は何かから逃げている。追われる身となっているらしい。
 理由を思い出す。大衆の前で何かを話している自分が映る。演説かスピーチか、その類だろうか。その内容をぼんやりと思い返すに、自分の思いの丈を吐露しているようだ。何に関することなのかは分からない。訴えるように、祈るように言葉を紡いでいる。
 話も終わらぬまま、大衆からの激しいブーイングに包まれる。恐怖に染まった悲鳴すら聞こえてくる。たちまちに黒い服を着た人に取り押さえられそうになる。「やっぱりだめか」とつぶやいて、私はその場をあとにする。
 そうしてここに至る。何を話していたかは全く覚えていない。だが、確かに何か良くないことを口走っていたのだろうという感覚が、胸の底に横たわっている。
 ふと後ろを振り返る。私の3歩ほど後ろには、顔もわからない誰かが静かに付いてきている。一人では無いことに気づいたからなのか、もしくはこの逃避行に道連れができたからなのか。私はひどく安堵し、「大変だね」と微笑みながら前に向き直る。後ろから声は聞こえてこない。その人は何も言わない。その静寂が心地よかった。
 沈黙の続くまま、土と砂利を踏む音だけが響く道を歩き続ける。私達2人だけしかいないと思っていたが、時々すれ違う人々もいた。その誰もが生気を失い、項垂れるように歩いていた。何かをぶつぶつと呟いている音は聞こえてくるが、内容は全く聞き取れない。顔には薄暗い影が落ち、横目に覗き込もうにもよく見えなかった。
 しばらくして、曲がり角に辿り着いた。田んぼは何処までも続いているが、道は続かずに右に折れ曲がっている。何となくまっすぐに進みたい気がしていたが、仕方がないと道沿いに進むことにする。
 曲がってすぐに登り坂だった。階段も整備されていない、ただの斜面のような道だ。滑りそうになりながら一歩一歩踏みしめ、やっとの思いで登り切る。少なくない疲労感を振り払うように顔を上げると、その視界には何もなかった。靄のかかったような、判然としない世界が広がっている。
 こんなものか、と振り返る。そこには誰もいない。きっと付いてきていると思っていたあの人もいない。
 頭の中を困惑と焦燥が支配する。どこだ、どこにいるんだと、何故かポケットに入っていた携帯電話を取り出し、縋るように電話をかけてみる。
 数十分にも思える時間、コールは鳴り続けた。周囲を見渡しながら、あの人が電話に出ることを祈り続けた。声も聞いたことがないのに。
暫くして、コールの音が止んだ。「もしもし、私だよ、今どこ?」と、食い気味に声をかける。
「あぁ、〇〇です」
 帰ってきた声は無感情で、野太く、低い男性の声だった。私はあの人の顔も性別も声も知らないが、この声は間違いなくあの人のものではなかった。そう確信させる何かがあった。
 あの人に何かあったのだろうか。一呼吸置いたあと、彼に訊ねた。
「その携帯はどうしたのですか?」
「投げ捨てている人がいたから拾った。その人はあっちに進んでいった」
あっち。何故か逆方向だと分かった。
「わかりました」とだけ伝え、電話を切る。
 胸が締め付けられるようだった。あの人は、自らの意思で電話を捨てたのだ。きっと私に後を追われないようにするためだろう。そして私とは逆の方向に歩いていった。きっと、こんな私にはついて行けないと見限ったからだろう。私には何も言わないままに。
 私はあの人と、一緒に歩いていけるものだと思っていた。きっとあの人は私を見ている、私を理解してくれると、思っていた。酷く勝手な思い込みだ。なんと我儘で愚かしいと嗤いながら、心を染め上げる失望と怒りを無視することはできなかった。自分を戒める理性と、赤子のような寂しさ、虚しさの軋轢が、脳と心臓を締め上げ、焼き切っていくような感覚。

 吐き気とともに目が醒めた。これは裏切りだと思ってしまった。私の勝手な思い込みだったのに。
 あの人が誰だったのかは分からない。

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