えんとつ町のプぺルの感想と西野先生、どうしてあなたはまだ笑われているんですか?

流行ってるらしいのでnoteとプペル感想デビューしようと思う。


最初にざっくり感想

西野先生のビッグマウスを信じて(信じたふりをして)観てみたが期待外れすぎて腹が立つ映画だった。映像は綺麗だが演出にそこまで優れた点もなく要素を詰め込みすぎでごちゃごちゃしている。西野亮廣というネームバリューで良くも悪くも話題になっているが、映画そのものは言うほど悪くもなく言うほど良くもない中の下程度の出来だった。
以下、詳細。

言うほど悪くない

これより酷い映画は山ほどある。酷すぎて逆に好きになれるほど酷くもなく、かといって面白くもないひな壇でのキンコンくらい中途半端な出来だと思う。歪ながら作家性、メッセージ性もあるので同じ4℃で比べるならムタフカズよりはマシかもしれない。あれは虚無だった。今でも草薙剛の虚無を極めたような演技を思い出す。あの映画なんだったんだ。


オーバーザディズニー

だがディズニーを一代で越えるとかあらゆるマーケティングや人心掌握の技術を注ぎ込んで作りましたよフフンと豪語していた割に全然おもんなかったのでキレてる。漫才師から賞作家になる人もいるのでワンチャンあるかと思った自分が馬鹿だった。


点と点が繋がってない

つかみ以上に意味が無い最初のダンスシーン。ただアクションするだけの序盤のアクションシーン。世界観ガン無視のめちゃくちゃjpopな挿入歌。感動的なルビッチの啖呵。腐る通貨。設定やシーンひとつひとつは悪くなくても全体としてうまく繋がっていなかった。


リアリティライン

「エル家の先祖が腐る通貨エルを発明し町に平和をもたらしたが、中央銀行から目を付けられ処刑されてしまう。その子孫が安住の地を求めて作ったのがえんとつ町。煙には外敵から身を守る意味がある」という世界観が中盤に明らかになる。これは今作で明らかにする必要がなかった。


問題が二点。ひとつは「えんとつ町」というメタファーとして生まれメタファーとして機能すればよかった存在に無駄なリアリティが生まれてしまったこと。リアリティラインを上げたせいで食べ物はどうなっているんだ?とか進撃でさえ記憶操作して100年だったのに250年も…?とか本来生まれる必要のなかった疑問が湧き出す。アンパンマンが動く理由は「いのちのほし」で十分で、いのちのほしにはナノマシンが…という設定は必要ない。


もう一つはバリアとして機能していた煙がなくなり、ルビッチのせいで外敵から見つかるリスクが出てしまうこと。このせいで映画がめでたしめでたしで終われなくなっている。どうせ次回作への伏線として置いたのだと思うが、異端審問官やエル家のひとにそれとなく匂わせ台詞を言わるくらいでよかったと思う。


反論の種

西野先生は夢追い人が批判されることを極端に怖れているのかもしれない。「ルビッチが高いところが苦手なのにえんとつ掃除屋をしているのは空を見上げるため」だけでいい。これに「給料が良いから母親を養うためにえんとつ掃除屋をやってる」設定が乗るため軸がブレる。や、どっちやねん。それなら「母親が病気で大変なのにキツくて薄給なえんとつ掃除なんかやってる変なヤツ。母親も何故かそれを止めない」の方が夢追いバカとしての魅力や母親との信頼関係も見えてくる。


また前述した煙の除去には「ルビッチと父ブルーノの夢」でおまけの「外敵リスク」がついてくるのだが、実はもうひとつ「喘息患者の救済」がついてくる。

バカにしやがって!俺はとーちゃんの夢だった星空を観たいんだ!!あと母も助かるし!みんなも助かるし煙ない方がいいよね!

いやブレる。これなら「ルビッチは母親を助けるために煙を取り除きたかった。その結果、星空という素敵な景色まで手に入れてしまう」の方が綺麗な話にまとまる。夢追い人は何処かに行ってしまうが。夢追い人の話をしたければわざわざ絵本版から改編して母親を病気にする必要はなかった。


ブレる

そもそも星空は元々ブルーノの夢であってルビッチがそれを受け継いだ形だ。亡き父親の夢を叶えたいのかルビッチ本人が自分の夢として叶えたいのか、突っ込んで考えるとその辺がよく分からない。


凡百の作品なら夢を追いかけてばかりでついには失踪した父親のことをルビッチは恨んでいた。星空も嫌悪していた。だがプペルが星空を気に入りルビッチの心をかき乱す。やがて父の失踪の真実を知ったルビッチはその想いを受け継ぎプペルと共に煙を吹き飛ばす…みたいな流れなんだが西野先生は定石を打たない。ハラハラする展開等のサプライズ要素は不要と言い切っている。さすが西野先生。


ところでこの映画の唯一のサプライズ要素であるプペルがじつはルビッチの父親ブルーノだったという点について物申したいんだが良いだろうか。


めっちゃブレるが

中盤でプペルの脳に当たる部分に父ブルーノの形見のブレスレットが使われており、プペルはブルーノの記憶をうっすらと思い出す。そして終盤でプペルが天に召される直前になぜかブルーノ本人としてルビッチと別れの会話をする。


そりゃプペルが父ちゃんならルビッチと仲良くなれるし星空のことも笑わずに協力するよな〜〜〜〜。またこの別れのシーンは初めてできた友達プペルとの別れなのか、突然消えてしまったブルーノとの二度目の別れなのか、てかじゃあ今までのプペルの人格は何だったんだ?とかいったい何を描きたいのか何を思えばいいのか分からなかった。あのシーンは情緒が混乱して結果、虚無になってしまった。おそらく泣けるシーンだったんだろう。


良いところ

この辺で良かったところも書いておきたい。
アントニオの描き方はよかった。アントニオがなぜルビッチにキツく当たるのか、少ない情報で最大限に演出できていたと思う。


良いところ②

絵は綺麗。CGの上から手描きをしているとどこかで読んだような。ただリミテッドなのでディズニー映画のような滑らかさはない。背景もよかった。とても綺麗だった。ちなみにえんとつ町は渋谷をモチーフにしているらしいがさっぱり分からなかった。渋谷をモチーフにしている理由はハロウィンに乗っかってプペルをハロウィンのアイコンにしたいからだそうだ。


ハロハロ言ってるけど大してないハロウィン要素

その割にハロウィン要素が何にもなかった。ハロウィンに死者=プペルが蘇るのはわかる。導入でハロウィンパーティーを踊るのもまぁ、つかみとしての意図はわかる。だがこの映画は別にハロウィンのワンデイ物語ではなく普通に月日が流れるのでハロウィン要素は最初の数分で消える。


てっきりリメンバー・ミーが死者の日にがっつり絡んだ物語だったようにプペルもハロウィンがストーリーに関わってくるのだと勘違いしていた。勘違いをして申し訳なかった。だからハロウィンをスルーして年末公開なことに疑問を感じていたのも私の間違いだ。別にハロウィンなんてどうでもいい内容なのだからいつ公開しても問題ない。

毎週キングコングは面白い

また「あえてポケモンにぶつけた」と豪語していた気がしたが、夏映画のポケモンが延期してプペルにぶつかってきただけなので、あえてポケモンにぶつけたかいう発言も私の勘違いなんだと思う。9月末の毎週キングコングで言ってた気がするけど気のせいなのでソースは確認しないでおこう。気のせいなので。毎週キングコングは面白いのでオススメしたい。


つかれたのでそろそろおしまいにします

繰り返しになるが面白い/つまらないを期待して観るとガッカリすると思う。オススメはしない。またその方が西野先生のためにもなると思う。目の肥えたオタク達がプペルに低評価を付け始めたら外野たちは「ああやっぱり西野の信者が持ち上げてただけか」という空気を作り出す(もちろん高評価を付ける可能性も0ではないが)。オタクは誰も観てないという状態の方がマシだろう。


圧倒的成果

西野先生はよく圧倒的な結果や成果で外野を黙らせろと言っていた。ルビッチがやった町の人達に星空を見せるというのもそれだ。なので予告を観てこれじゃ期待できそうにないなと思いつつもいや待て待てきっと圧倒的なクオリティの作品を出してくれるのだと僅かながら期待していた。嘘だけど。これが西野先生の「圧倒的」だと思うと悲しい。

夢を語れば

「夢を語れば笑われる世界を終わらせに来ました」
そう語る西野先生が笑われてしまっているのが現状だ。有象無象のアンチを黙らせるような傑作をリリースして欲しかった。これじゃ無理だ。西野先生、これじゃ無理ですよ。どうしてこの程度でみんなが黙ってくれると思ったのか。

終わってないよ、嘘つき西野。

私は夢追い人を応援します

西野先生は毎月自動で数千万入ってくる集金システムを構築しているので何度でも挑戦可能だろう。次回作で頑張ればいい。私はただの視聴者なので面白ければ褒めてつまらなければ今度は心底ボロクソに貶す。ただサロンを観ても次回作のラインを動かしている風でもないので、そんなペースでいつディズニー超えるつもりなんだろうなと不思議だ。