見出し画像

目指すべきところに迷った話。

  あなたはどうしてデュエルマスターズを遊ぶのか?

 この問いには、きっと言葉に詰まる人はそう多くないように思う。

 デュエルマスターズをはじめて10ヶ月めの私であれば、答えはこうだ。

「楽しいので」

 あなたはどうしてデュエルマスターズを続けられるのか?

 この問いにも、きっと詰まる人はそう多くない。

 私ならこう。

「周囲のコミュニティに恵まれているので」

 すぺしゃるさんくす、いつものみんな。

 けれども私が半年以上に渡って答えを出すに悩んでいる事柄は、そんな【みんな】にまつわる話だったりするのだ。

 今日はそんな話に、そんな思考に、ちょっぴりだけ光を見たのでここまでのあれこれを言語化し、もしも叶うなら命題の共有とか、そんなことをしたいと思ってnoteをしたためている。

 だから今回はいつもの備忘録とは一風違うし、なんなら少しネガティヴでナイーブな話だ。

 また、備忘録シリーズの例に漏れず、このノートから得られるものは何もない。

 それでも読んでやるという方のみ気軽に読み物として楽しんでいっていただければと思う。1万文字を超える日記が、はたして気軽な読み物かはちょっと議論の余地がありそうだけれども。

──

───

 「つっまんねぇー」と対面に言われたことは?

 私はある。

 私がカードゲームをプレイするうえで、なによりも重きを置くことは「勝つこと」である。ニュアンスとしては「負けないことである」と言い換えて相違ない。

 ともすれば、世論の良し悪しは置いて、「勝つことのできないデッキ」というのはその時点でどんなに魅力的なギミックが搭載されたデッキであったとしても「個人的には肯定したくない山」になる。同じように「勝つことよりもナニカを優先したデッキ」も「ちょっと認めたくない山」へ分類されがちであった。

 だから私は「合理的に勝利へ向かうデッキ」が好きだった。

 そこから一歩引いて。私の好みの戦術はハンデス、ロックであった。その理由はゲームデザイン上運の要素を多分に含むデュエル・マスターズの構造の中で、それを極力排せる戦術であると感じていたからで、とりわけ「盾をわる」という行為にはアレルギーといって差し支えないほどの苦手意識を持っていた。

 そんな私にとって、「オカルトアンダケイン」(以下岡田と表記)というアーキタイプはまさに最高の山であったように思う。ハンデス、ランデス、盤面のリセットによる逆転の目を摘み取る能力は他の追随を許さず、扱いの難しさもカードゲームのフレーバーとしては大変望むところであると思えた。

 一度デッキを完成させてからというものの、私は気でも違ったのかのように一心不乱に岡田を握り散らした。初心者である私には圧倒的なまでに経験値──場数が足りていないと判断したためである。

 あらゆる対面に岡田を握った。

 岡田を握り、あらゆる対面をこなした。

 私はみるみるうちに岡田との親和性を獲得し、日に日にスムーズで的確なプレイができるようになっていった。

 そんな私をのまろか先生(以下、のまろか)は「すごい」と称してくれたし、ザーサイは「強い」と言ってくれて、イチズは「上手い」と賛辞を呈してくれた。

 目指すはCS入賞、デドダムを獲得してのまろか先生へ月謝を納めるのだと。そんな風に意気込む私は周囲にほめそやされて、それはそれはぐんぐんと成長していった──ように思う。

 そして、順調なステップアップを踏み、未だ伸び悩むという言葉を知らぬ私に放たれた言葉が、ソレであった──。

「つっまんねぇー」

 衝撃であった。

 戦況は上々、3ターン目にして放たれたランデスによって、対面は自由を奪われ、勝利はほぼ確実だと思われる。

 勝利は手中にある。そんな完璧な挙動、完璧な状況であって、にも関わらずその言葉を聞いた私の心が酷くざわついたものだから──面食らった。

 だってこれは勝負事だ。ホビーである前に、遊びであることと同時に、これは勝敗の決定する行いなのである。

 で、あれば。

 そうであればこそ。

 私は勝てるというその現実の前に、なぜ対面の放ったその一言にこれほど心をかき乱されなければならないのか。

 だってそうだ。私が勝ちを目指すということは、相手を負かすということだ。それが相手からしてつまらなくないわけはないのだ、正しくドン詰まっていてもらわなければ困るはずだ。でなければ嘘だ。

 そのはずなのに、私はムキになってまで完璧な勝利を納めた後に、重々しく首をもたげたその感情の発露に思いを馳せるばかりで、残りの時間を楽しむことができなかった。

──

───

「思うんですけど、ぽけさんのデッキって基本的に対話を拒むものが多いんですよね」

 ──とは、のまろかの言であった。

「例えばハンデス戦術なんてのはその毛色が顕著で、基本的には相手のやりたいことを否定する戦術になりますから、しゃべろうとする相手の口を塞ぐわけですし」

 そう続いた言葉に、私はひどく納得していた。

 というのも、そもそも私がハンデス戦術を好むのは、ハンデスをほぼ全対面に刺さるメタ戦術であると定義している節があるからであった。

 対戦相手のデッキの挙動に合わせてカードの選定と採用枚数を可変させなければならない一般的なメタカードとは違い、戦術単位で完結し、かつ有効範囲も広いハンデスという戦術は、特にフリープレイにおいては大変効率がよく感じられる。

 環境が定義されないがゆえにほぼ無限に等しいデッキタイプが存在し、それが肯定されうるフリー対戦において、対面ごとのメタカードの採用などよほどのことでもなければ不可能なのだ。

 なので私はハンデスという戦術が好きだった。相手に思い通りの挙動をさせない、その一点において効率的であるというその姿に強く惹かれるものがあった。

「なんだ、理解してるじゃないですか。ほら、相手に思い通りの動きを許さないということは──」

「あぁ、なるほど。相手は気持ちよくゲームができないのか……」

「──まぁ、そういうことですよね」

 僕なんかはそれもまた対話なんじゃないか、とも思いますが──のまろかはそう言いながらデッキをシャッフルする。ひとしきりの動作が終わると、デッキの上からそのまま5枚のカードを表向きにしながら机の上に並べた。

「例えば、フェアリーライフを打って、次のターンでコモリを出して、チェンジザから──『“必駆”蛮触礼亞』で『勝利龍装 クラッシュ"覇道"』をプレイします」

 仮想敵を相手に綺麗に機能するデッキを指して言う。

「これ、めちゃめちゃ強いですけど、相手の行動を妨害はしてないんですよね。押しつけってよく言われがちなムーブですけど、まぁこれはわりと嫌われなくて──理由は、出力は高くても相手の出力に干渉していないから相手も自分も気持ちよくゲームをしやすいとか、そういうことなのかなとか思うんですが」

 そう言われてみれば、彼のデッキはどちらかといえば「気持ちの良い対話」を良しとしているような気がした。出力のぶつけ合いという対戦方法はあまり意識をしたことがなかったなと思うとともに、ふと沸いた疑問が唇を割った。

「──でもそれって本質的には先攻後攻とか、デッキのキルターンの速度とか、双方邪魔が入らないなら単調なゲームになっちゃいませんか?」

「その通り。一概にワンサイドになりますって話ではないですけど、相手に干渉しないデッキ同士の対戦は明らかにそういう側面での駆け引きは減るし、物足りないと思うこともあると思います。なのでまぁ、だからこれは好みの話であって──」

 そういって、彼の従える覇道は墓地へ送られる。

「──でも、そういう意見もありますよねってのも事実なので」

 獲得したであろう時間で、私たちは決闘する。

──

───

「いやいやいや、勝てないデッキはダメっすよ。対話ができるとか、ギミックが面白いとかじゃなくて、ひとまず勝ちの見込みのあることがデッキには必要です」

 ──とは、ザーサイの言であった。

「ぽけさんのデッキは勝とうという意思がなにより先にある感じがして好感持てます。──あ、トリガーです。手札から最終龍覇モルトを場に出します──けどまぁ、デッキパワーで上から抑えつけられる体験が楽しいかって話なら──んー、でもそれは相手のデッキが悪いのか……?いや、良い悪いの話じゃないか──あ、とりあえずガイオウバーン装備で盤面とりますね」

 うむむ、と唸りながらそれでもザーサイのプレイは緩まない。私の攻撃に対して致命のトリガーが起動し、刻まれた龍の印から現れた切札に、私はうろたえながらに応えた。

「うへ……ガイアで盾殴ってダムド2枚侵略でモルト処理するわ──双方のデッキの出力が釣り合ってることが大事ってことか。でもそれって難しいとかじゃなくて、もはやほぼ無理な話じゃないか?だってそれ、お互いが使いたいデッキ握ってる前提が在るなら、成立しないことのほうが多そうだもんな」

「だからそういうミスマッチを極力減らす意味でも、作るデッキはある程度の強さと勝ちの見込みを担保したデッキを作るようにしてますけどね。でもそれも、お互いが勝とうとすることに重きを置いているって前提がないと成立しないんですけれど──あ、襲来鬼札王国トリガーしました、モルト蘇生で──」

「──そりゃ負けだ。参った、降参降参」

 ザーサイが私の振った白旗を受けて盤面のカードをまとめだした。様々な様相で配置されたカードたちが一つの山へ一様に揃えられ、重ねられていく様を見ながらに、カードゲームを嗜む者たちが皆、そのようであればと、そんなことを思っていると彼がそういえばと口を開いた。

「ぽけさん、天下統一シャチホコカイザーのデッキどうしたんすか?最近見ないっすね」

「ああ、あれは──あんまり勝てないから崩してしまった」

「ありゃ、それは世知辛い。俺はアレ、好きでしたけどね──」

 次のゲームの準備をしながら解体してしまったデッキへ思いを馳せる。解体理由は明快で、ただ勝てなかったからである。私はそのデッキを終ぞ気に入ることはなったが、しかしザーサイはそのデッキを気に入ってくれていたのだという。

 ある程度、志を同じくするところであると思っていた相手ですら、完全な価値観の一致は在りえず、ともすればフリー対戦に持ち込むデッキのミスマッチがなくなるということは当然にして在りえないのだろうなと、そんなことを思った。

──

───

 結局、親しい者にひとしきり事情を説明して相談に乗ってもらっても事の解決には至らず、疑問と思考は私の心中でぐるぐると渦巻くばかりであった。

 日々の決闘は、私にとっての憩いである。仕事で疲れた折、私の心を癒してくれる事柄の一つであった。なので私は時間を見つけてはカードゲームをプレイしているのだが、その度にぼんやりと未解決の問題が脳裏を掠めるという状態はあまりにも精神衛生上よろしくない話であった。

 なので私はひとまずの結論を出し、思考や行動をそれに準ずるものとすることで心に平穏を招致することとした。

「勝てないデッキをもってくるほうが悪い」

 ひどく身勝手な話であるが、とはいえ勝負事の好きな私からすれば折衷案としてのその結論はそれなりの納得感をもってすんなりと飲み込めた。

 あの日あの時、あの発言で受けた衝撃については──その理由と感情の発露の所在については、一度蓋をすることとした。

 元来、理屈っぽく、一度考えだすと止まらず、にも関わらずもたげた疑問と思考をストレスに感じてしまうという性分であったものだから、そのような問題の先送りを処世術として身に着けていた。

 そんな風に過ごすことにして──過ごそうとし──過ごしていた、そんな折であった。

 私が対面のデッキを「これは出力的ミスマッチだ」と思いつつも、連勝を続けていた折であった。

 ふと、私の中に芽生えた──芽生えてしまったその感情に、私は再び、酷く狼狽した。

「つっまんねぇー」

──

───

 そんなことがあろうかと、必死にその感情を疑った。

 だってそうだ。デュエルマスターズは私にとって十数年ぶりに復帰し、夢中になってしまうほどの楽しい娯楽であったはずなのだ。それが退屈であろうなどと、つまらないなどと、そんなことがあるわけはないと思った。

 だが、現実はどうだ。私のデッキの出力が高いばかりに、相手のデッキには抵抗を許さない──許さないがゆえに、繰り返すたび、同じような筋書きの展開をたどり、同じリアクションを目の当たりにし、最後には過食気味であるとでも言いたげな相手の視線に怯えながら、辟易とした心持ちでカードをプレイしている自分がいた──いたのだ。

 私は──その行為をつまらないと思っていた。

 この感覚か──相手が抱いていた感覚に心当たりが生まれたその瞬間に、私はその問題の成立に眩暈がした。

 つまり「すべてのデッキを見渡したうえで、その頂点に近しい出力のデッキを握ることを理想とするのに、対面の出力が自分に相応しくないとゲームそのものを退屈であると思ってしまう」という、あまりにも傲慢な──あまりにも息苦しいそれが、自分の持つ価値観であるのだということの肯定と、その状況への解答の要求である。

 相手の「つまらない」への共感を獲得してしまった私がゲームをこれまで通り文句なしに楽しいと思うには、相手のつまらなさを解消した上で、自分のつまらなさを解消することが必須条件である。デッキ同士のミスマッチは避けられるものではないということを前提にするなら、それはつまり、相手を選ぶことをせざるを得ないということだ。

 現在仲良くカードを遊んでいる、いつものメンバーとは真に楽しいと思えるデュエルマスターズを遊ぶことが極めて困難であるということ。それは私にとってあまりにもショッキングな事実であった。

 結局私はその問題を解消すること叶わず、長らく心のどこかに気がかりを感じ続けるカードゲームライフを過ごすほかなかった。

 

──

───

 イチズというプレイヤーがいた。

 彼は、バディファイトというカードゲームをもともとメインで嗜んでおり、Buddy King Grandprix出場という実績を持つプレイヤーである。

 イチズという知人がいた。

 彼は、デュエルマスターズではヒロイックなデッキタイプを好んで握る男であった。例えば二刀流の武者龍によるワンショットキルデッキ、例えば6枚で1体のクリーチャーと成る神を従えるデッキ、漫画やアニメで主人公が扱っていた戦術を再現することを目指すデッキ。

 そういったデッキを、軽めのロールプレイも含めて軽快に操るのが彼のプレイスタイルであった。

 イチズという男がいた。

 ──つまり、私とは相容れぬ男であった。

 私が真に好むデッキで彼の真に好むデッキと相対した時、その勝敗はほぼ予定調和的に私の勝利で終わるのだ。というのも、彼が好むデッキタイプというのはその多くが10年近い歴史を持つ、「懐かしいカード」を主体としたデッキであるものだから、さもありなんといったところであった。

 TCGという商品と商法の都合上、どうしたって過去のカードよりも最新のカードのほうがカードパワーは比較的高いところで纏まりやすいようにできている。

 つまるところが、使用するカードプールの段階で絶対的な差がそこには存在するのだ。しかしその上で、稀に敗北をすることがあるものだから、彼のデッキビルディングとプレイングには舌を巻くばかりであるのだが、とはいえそれも全体でみれば所詮は微々たる誤差と言わざるを得ないほどの結果である。

 ──「つまらない」が脳裏を掠める決闘になってしまう相手に他ならなかった。

──

───

「ぽけさん、今日は僕とやりましょう」

 彼──イチズは、そう言った。

 私達が複数人で集まってカードゲームを遊ぶ際には、大抵、適当な対戦回数をこなしたところで対面を変える席替えを行うことが常である。そのため、一日通して一度も対戦を行わないということはほぼ起こり得ないのだが、けれど彼が積極的に私の対面にイの一番に座るということはあまり多くはないように思う。その行動──私の返事を待つまでもなく卓へと座る彼の所作には、不思議とどこか挑発めいたものを感じ取れた。

「ぜひぜひ」

 ──断る理由はなかった。

 彼は対面の温度感に配慮したくど過ぎないロールプレイと、ヒロイックなデッキを巧みに操るエンターテイナーである。

 フリー対戦の相手としてはこれ以上ないほどに理想的な存在のように思え、当然に、彼と対面する時間は非常に楽しい。

 誤解を恐れぬ物言いになってしまうが、デッキ出力のミスマッチを除けば非の打ちどころがないのだ。

 そんな彼が声をかけてくれたのであれば、それを断る理由は見当たらなかった。快く誘いを受け、デッキケースへと手を伸ばす。

「何を使いましょうか」

 その言葉に含まれる意味は「私のデッキとあなたのデッキの出力を可能な限り合わせたいと思うので一番使いたいデッキは差し控えますが、私の手持ちではどの程度のデッキで対面すればよいでしょうか」である。

 字面に起こすとあまりにも印象に悪く、それ故に濁した問いかけに彼はいつものように人当たりの良い笑顔で答えた。

「好きなデッキでいいですよ」

 ──人ができている。そんなことを思いながら、しかし私は本当に使いたいデッキが収納されているケースをあえて手に取ることはしなかった。青色のケースから取り出されたデッキはシータ超次元を軸としてキリフダッシュデッキだ。スタンダードな挙動と適度な攻めと受けを両立させたデッキである。それは私が苦心の末に所持することを決めたいわゆる「プロレス」用のデッキでもあった。言ってしまえば対話用デッキである。

 とても良いデッキではあるが、本当に握りたいデッキであるかといえば──そんな思いを振り切って卓の上にデッキを置いたその時、対面のイチズから声がかかった。

「──違う。それじゃなくて、朱雀でいい」

 ご指名だった。

「朱雀ですか……?でも俺のは零龍も入ってますが……」

「──朱雀がいいんです」

 願ってもない──望んでいた──私が本当に握りたかったデッキ──青黒朱雀。

 規制の憂き目にあい使用することが叶わなくなってしまった岡田の跡を継ぐように私の一番のお気に入りデッキとなったそれは、デザイナーズの色を濃くするデッキでありながら相手の妨害を主とするその戦術の陰湿さと、対話拒絶能力の高さ故にフリー対戦での使用が憚られがちなデッキであった。また、その根幹を支えつつも全体のデッキパワーを大きく引き上げてくれるデッキ外ギミックカードの零龍の採用がその扱いに拍車をかける。昨今ではオリジナルとアドバンスというレギュレーション整備も相まって零龍が入っているというだけで苦い顔をされるケースも少なくない。

 ロマンデッキ、ファンデッキ、カジュアルデッキ、そういったデッキの天敵である──つまり、彼の天敵である。

「──さぁ」

 それを、彼は指名していた。

 私の手が──緑色のケースへと伸びる。

 私の胸が──期待に踊る。

「わかりました」

 デッキを取り出し、零龍とGRゾーンを配置し、そうして自分のデッキを差し出せば、彼もそれに応えるようにしてデッキを差し出してきた。

 お互いのデッキをシャッフルする。

 手中の彼のデッキを見やる。今まで見たことのないイラストのスリーブ、真新しいオーバースリーブがそのデッキがどういうものであるのかを私へ暗に伝えてきた。

 ──きっとこれは──私の──私への。

 そうあれかしという願望と──彼ならきっと──そんな期待を胸にデッキを相手へ返却する。

「「お願いします」」

 ──いざ。

──

───

 カードを捲る、数えることに四度。満を持して降臨したその龍が羽ばたき、ギャリギャリとチェーンを鳴らす、その剛腕を振るえば斬風がフィールドを薙ぐ。そう──フィールドを薙いだ──敵味方の区別なく、全てを薙いだのだ。

画像5

 荒れ狂う力の奔流。

 私に従う使い魔達も、彼に寄り添った少女さえも、全てがまとめて爆ぜ飛んだ。

 ──あまたの屍を越えて、彼の龍が暴走する。

 無法の暴力はそれだけにとどまらない。世界を薙ぎ払ったその暴圧は、勢いをそのままになだれ込むようにして私へと襲いかかり、私を護った3枚もの盾が一度にして砕け散った。

「──ッ! トリガーをッ!」

 ──千載一遇。主人の危機に呼応するように輝きを放ったのは呪いを注がれた器だった──

「残念、それは通らない」

 ──が、砕かれた盾から顕現を試みた魔道具は、しかして、その存在を認めることすら叶わずに無法の暴虐によって屠られる。──その龍の放つ威圧が、その暴風が、決して弱きを認めない。

 ないまぜに築き上げられた屍の山、その頂上にあって、その上にあってこそ彼は不敵だった。屍の上に──イチズは在った。

 暴走を従えた彼が在った。

 その圧倒的暴力。弱者はその存在すらもままならぬ空間。認められず、奪われる──梁冀跋扈の権化が彼の傍らでこちらを睨みつけている。

 魔道具が存在できないのでは、私の使役する切札降臨の儀式が望めない。千載一遇の機会を灰塵へ帰され、もはや打てる手立てもない。縋るように傍らの零の卵へ視線をやっても、未だ沈黙を保ったままのそれはどうやら私を救ってはくれないらしい。

 最後の盾──望みが全て砕かれたとき、私はついに祈る権利すらもを奪われた──。

──

───

「──負けました」

 惜敗というにもおこがましい、完全な敗北であった。

 相手のデッキ特性を理解していればまだ勝ちの目が残っていたはずなのに──そういったプレイの幅に起因する敗北は、あまりに苦しく、どうにも辛く──なによりも、こんなにも楽しい。

 盤面に残ったカードと、手元のカードを正しく揃えて山として束ねる。どちらともなく、再戦の準備が整って、そうしてまた、私と彼は戦場へと意識を向けていた。

 何度となく、幾度となく──勝敗が付くたびに、私と彼は次の戦場を準備する。

 いつになく、どこととなく──彼の口数は控えめで、思考時間はたっぷりと使われた。

 私のやりたかった──求めていた、どこかひりついた時間が過ぎていく。

 苦しくて、悔しくて、そうして何よりも楽しい。そんな勝敗を二人で重ね、その数が曖昧になった頃に、私の思考に暗い影が蠢いた。

 イチズが握っているデッキは墓地ソースと呼ばれ、墓地に置かれたクリーチャーカードの数によって切札の召喚コストを軽減し、溜め込んだ打点を一気に押し付けるという非常に強力な戦術を得意とするいわゆるトーナメントレベルの出力を誇るデッキである。

 彼がそういったデッキを握っているという事実は──あまり、普段の彼のイメージとはそぐわなかった。

 もしも、私のために意ににそぐわぬデッキを仕方なく握ってくれているのだとすれば、そんなに興ざめなことはないなと──そんなこと考えてしまった。思い当ってしまったものだから、そうなれば私の思考はどうにもそのことばかりを気にかけてしまって、もう楽しくゲームに打ち込むことなど叶ったものではない。

「珍しいですね、コテコテのデッキを握っているの」

 たまらず口をついて出た言葉に、彼はゲーム処理する手を止めずに応えた。要らぬことを言ってしまったかと半ば後悔しながら様子を見やる私に、彼は──まぁ、確かに。と言葉を区切ってから続けた。

「でも、俺は自分と相手が楽しくゲームができるデッキを作って、使うのが好きなので、実はそんなことも──珍しいってこともなかったりして──」

 やはり気を遣わせているのかと、そう落胆しかけたが、彼の言葉はまだ続いた。

「──だから俺は、ぽけさんとも楽しいゲームができるようにしたいなと思ったので、だからなんというか、別にこのデッキは別段、特別であるということもないですよ」

 ──ただ、相手と自分が楽しくゲームができるように組んだデッキなのだから──と。それが、彼──イチズの言であった。

──

───

 某日、金曜日。

 仕事を終えて家へと変える前に、私はカードショップへと立ち寄るために大きく回り道をする。道すがらポケットから携帯端末を取り出した。画面には、カードの画像がずらりと40枚分並べられている。

 それは初めて私で考えた、私だけの、“私の40枚”だ。

 固定枠と呼ばれる、デッキ名を名乗る上で最低限必要だとされるカードが8枚存在しか存在しないそのデッキタイプの名前は「オボロティガ」。

 32枚を自由に選ぶことができ、その上で公開領域を一気に広げることができるというメインギミックも相まってそのすべてのカードへのアクセスが容易な上に、動きの柔軟性を獲得するそのデッキは─まぁ、平たく言えばオリジナリティとやりたいことの表現がしやすいデッキタイプである。

 カードショップについた私は、携帯端末にメモ代わりに表示させたカードを順番に店員へ伝えてレジへと向かった。

 ──明日は土曜日、みんなと集まる日だ。だから今日のうちにデッキを完成させたかった。

 店員にお礼を言ってカードショップを後にし、また道すがら携帯端末を操作する。LINEに表示される「デュエマグループ(7)」の文字。

 そこが、私の“いつもの”だ。

『新しいデッキを組みました 明日対面してください』

 そんなことを書き込んだ。

『どんなの組んだんですか?ハンデス?』

『相談されてないの珍しいっすね』

『組みたがってた5Cコン?』

『ハイランダーではなさそう』

 皆が思い思いのことを書き込む。私はそれを見て、なんだか明日がより一層楽しみになり、気が付けば歩調も早まっていた。一刻も早く家に帰り、リストの最終調整にいそしみたいという気持ちが私を逸らせた。

 私の40枚。

 私が目指す40枚。

 私がやりたい、私のゲームをするための、私が考えた40枚だ。

 知人曰く、「世論の枠で対話をする」

 知人曰く、「勝つことは前提に置く」

 知人曰く、「自分のやりたいゲームをする」

 ──私、曰く、

 私の目指すべき40枚を探し求めていくのだ。

 なにせ相手に困ることはない。私は恵まれているのだから。

 あのカードはどうか。このカードならばどうだ。そのカードは違う気がする。どのカードならしっくりくるのか。強すぎないか、弱すぎないか、損なわないか、足り得ているのか。

 そんなことを考えながらデッキを作るのは、きっと楽しい。

 そんなことを目指しながら遊ぶカードゲームは、きっと楽しい。

 みんなと遊ぶカードゲームが──きっと楽しいのだ。

 拘りと妥協と葛藤と──ないまぜの中で、そうあれかしと──ただ、そうあれかしともがいて、もがいて、それはきっととても息苦しい。とても手放しに楽しいだけだとは言えないかもしれないけれど、それでもその結果は、そしてその道程でさえも──つまらないということだけは決してないはずだ。

 家に帰れば、手早くやるべきことを済ませて自分の時間を確保した。一時でも多くを明日への備えに費やしたかった。

 手元に束ねたデッキを見やる。多大なる期待と、それとない達成感と、一握りの息苦しさがそこに在る。

 脳裏によぎるのは、暴走する暴力を従えた彼だ。私はせめて、彼に報いるようなナニカを示したかった。だからその使命感こそが息苦しい。

 ──だが。

 ──あぁ、そうだ。

 ひりついた心持ちはあの日の彼との決闘を想起させた。あのひりついた感覚を。あのたまらなく楽しかった時間を。

だから、やっぱり────その息苦しさこそが、私の楽しさなのだと。

 未だ掴めぬ答えの影を、私は確かに踏んだ気がした。

 その踏み込みが、私の一歩目であった。

 私は一歩を踏み出したのだ。

 


 それではまた、別の備忘録とかで。


おまけ

画像4

画像1

画像2

画像3

こんなふうで、日々楽しくカードゲームで遊んでます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?