シンゴさんありがとう。


 2023.9.3、一つ前の駅で降りて鼻歌を歌いながら都島通りを歩いた。ナンバーは、錆びないダイヤ。いつ帰ってきても良いよって肯定してくれる曲です。目の前が涙で滲んで見えないや。

 2014年のディプロマサーキットで別のバンド見に行ってその時にもらったフライヤーに可愛い丸坊主が書かれてて「なんだコイツ…」って困惑した。
そのまま、せっかくもらったしって気になって、導かれるようにボイガルのライブ見に行って、そこに別件の友達もいて、なんかすげぇアツいライブ、今まで見た中で一番メッセージバキバキのライブみて一目?一耳でボイガルが好きになりました。
 あのチラシがなかったら、私とあなた達は間違いなく出会えてなかった。あの日、モルグのあとに配っててくれてありがとう私みたいな変なファンに渡したくなかったかもしれないけど、あの時書いてくれた少年裸の大将の絵は今も大事にしまってます。私が美術館の館長なら最後の間で展示します。。

 ボイガルのライブでは、メンバーさんと色々話したり、トモヤさんの脱ぎたてパンツ握らされたりして最悪だったけど好きで、関西に来てくれるたびに見に行って帰ってからシクシクないてストレスを破壊してた。2年目のディプロマではパレードは続くに胸打たれた。大阪はいつも雨で、頭しっとりして帰ってた。公園に座って弾き語りも聞いた。今は住んでるけど、大阪のライブハウス街はボイガルとの思い出でいっぱいです。
 ボイガルに助けられて社会人になった。職場で流れてた有線ラジオでパレードは続くが流れてきたとき、ケータイショップ店員の私は、料金の支払いしながら泣いたよ。今でもやる気のない日は歩く日々ソングを聴いて仕事にいくよ。
 2023年の7月、精神的に疲れて1ヶ月休職した。毎日憂鬱な気分で毎日昼から飲酒して寝てた。でもある日、ツアーの先行が始まったってツイッターで見て、「あ、ボイガル見たい」って昏睡した頭の角っこをフル稼働してチケット取りました。シンゴさんが前いつかのライブで、
「ライブに来なくなる人がいても、いつでも帰ってくれるように歌い続けるから。」って言ってくれたことがずっと頭に残ってて、それを100%信用して5年ぶりくらいに足を運んだ。バックグラウンドミュージックの発表以来のBRONZEには人たくさんいて、シンプルに嬉しかった。知らない曲も何曲かあったけど、手のひらを合わせてを知ってる7人にわたしは間違いなく入ってるので安心してください。ライブハウスに行くのさえ久々すぎて、手の揚げ方を忘れてしまってたんです。
 メンバーが脱退して、1人のボイガルを見るのが怖くてライブに行けなくなった。今までと違うのが漠然と恐ろしくて避けてて。でも、怖いのはシンゴさんのほうに決まってて。それでも歌を作って届け続けてくれてありがとう。たくさんの人がボイガルを応援してて、それぞれの日常の中でボイガルに救われてるよ。それが今日感じられてひたすら幸せだった。

 私は今年25歳になりました。もうお酒も飲めるし、夜まで遊べるし、AVも見れるよ。大人ぶるようになってから、シンゴさんのストレートが右頬にすっぱり決まる確率がきっちり上がりました。
 このときまで、ボイガルでいてくれて本当にありがとうございます。あなたがいてくれるから、私は今日も私の道を歩くための勇気を貰える。これからも歌を歌って、私の両頬を平手でバシバシ殴ってください。それだけでまた一方足跡を刻めそうな気がします。

 欲を言うと、勇気をくださいと歩く日々ソングを聴きたいです。いつか、100年後でも良いから800曲のセトリに入れてください。これからも日常とともに、ボイガルをくちずさめますように。

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