ネタじゃないけど

友達のnoteを見てて、こいつ恥ずかしくないのかなって思った。だってそれは自分の中の理想に自分を合わせている行為にしか見えなかったから。誰かになりたくて、それを周りに見せつけるように行う事は、後々になってすごく恥ずかしい思い出になったりする。経験的にそうだから、やっぱり恥ずかしくないのかなって思う。でも、それは大人になったって言える事だと俺は思ってるから、ああ、あいつは子供なんだなって。そう思った。

子供だとダメなんだろうか。ふと考える。子供は自分がやりたいことをやりたいようにやる。だんだんやりたいことが複雑化していって、やりたくないこともやりたいことのためにはやらなきゃいけなくなって。そうやって気づいたらやりたくないことを延々とやっている人もいる。それを大人だって言ってる人もいる。

子供ってなんだ?大人ってなんだ?

あいつのnoteをバカにする事は俺にはできない。だってそれは恥ずかしい事だって俺が捨ててきたことだから。やりたいことをやってるのは間違いない。でも、自分を表現する時に誰にもバレないように誰かの真似をしてる自分はいる。俺も子供だ。大して変わんない。見えてるから見えてないかの違い。あいつはあのままでいる気なんだろうか。みんなから見える子供は得てしてみんなから距離を取られる。あいつはそうやって生きてきたんだろうな。だから距離も取られ慣れてるんだろうな。全部分かったつもりになっても何にも捉えられてない。俺もあいつも。

色んな人に同族嫌悪をする。色んな人の中に自分と似てる部分を見つけて、きらいになる。自分に一番自信があると思っていても、どこかで自分が一番きらいになる。だから、人と自分は違うんだ、なんて当たり前のことを初めて意識した時にみんなが好きになった。自分じゃないから。その時点で俺の中で好きになる第一段階をクリアしている。だから未だにあいつのことはあんまり好きになれてない。自分の嫌な部分を堂々と見せているから。でもやっぱり俺じゃないんだろうなぁ。どうせ。だからどうせ俺はあいつのことを好きになる。はあーあ。あーあとため息の造語。悔しいという言葉を使わずとも字面から悔しいを滲ませる。夢の中で生きているか、現実に生きているか。社会は現実の海。子供時代は夢の陸地。俺たちはおたまじゃくしに退化していってるのか、それとも進化しているのか。結論は一つだけ。大人になりたくないなぁ。

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