都市とその外部、あるいは残(念)石の行方━━「道産子ギャルはなまらめんこい」「スナックバス江」「ぽんのみち」評

毒劇法

石に「いのち」を吹き込みたい

関西の若手建築家3人

岩は転がって僕たちを/どこかに連れて行くように/固い地面を分けて命が芽生えた

結束バンド「転がる岩、君に朝が降る」

私はASIAN KUNG-FU GENERATION「転がる岩、君に朝が降る」を知らなかった。そして、私は「ぼっち・ざ・ろっく!」を知らない少年少女に、なにか書き残したい。


はしがき

今年に入ってから「倍速批評」なるものをでっち上げている私が、このようなスローなメディアでなにか論じられる事があるのか、いささか疑問ではある。とは言うものの、私は倍速視聴をしたことがなく、むしろ一時停止を多用している。もちろん、一時停止を多用することも、お行儀の良い態度とは言えないだろう。しかし、行儀の良さなんて、どうでも良いことだ。私はポルノ広告まみれのまとめサイトでアニメのキャプチャー画像を漁っている。そのような生態系の内に棲んでいる。ゆえに、極めて個人的な速度感について考えていきたい。

江戸時代、大阪城再建に用いられず、木津川の河川敷に久しく転がっていた巨石が大阪万博にてトイレの柱になるらしい。これに対して主に2つの批判が見受けられた。

❶ 原位置、あるいは、そこでなくても、文化財を地理的な文脈から切断して、移動させてはいけない。
❷ 文化財の保存の観点から考えると、移動や建材としての利用はリスクが高い。

これらの批判に対して私の意見は特に無い。私は史学や考古学の門外漢であるので、文化財とは時系列上のなにかを一時停止したもので、「いま」は歴史ではないのかなと素朴に考える。あるいは、文化財返還問題などを連想する。もしくは、去年、地方都市から上京した自らの原位置と、その行方を。

石はどこに存在するべきだろう。石はどこに転がっていくのだろう。


「道産子ギャルはなまらめんこい」

この記事では、地方を舞台にした2024年冬アニメについて考えていきたい。

安原まひろ氏による「道産子ギャルはなまらめんこい」についてのポスト群が話題になっていた。そもそも、私は、さながら顔にモザイクがかかったAV男優のように無個性な男性主人公と、個性的なヒロインらによるラブコメが、興味深くはあるものの、好みではない。安原氏のポストに引きつけて考えるなら、ラブコメのヒロイン(のみ)に要請される個性が、都市から見た北海道なり北見市なり地方に重なっている点が、なるほどコロニアルな構造と言えるかもしれない。

さながらアンディ・ウォーホル「キャンベルのスープ缶」のように、これ見よがしに映される北海道のソウルドリンク「ソフトカツゲン」。二次元的な空間に立ち顕れる、実際のデザインをコピペしたかのようなプロダクト。なぜ、この空恐ろしい取り合わせで画面が構成されてしまうのか。後述する「スナックバス江」・「ぽんのみち」評でも触れるが、それは地方の空間と関わっていると見ることもできるだろうし、そう見ると興味深い示唆を与えてくれる。

最後に私の好きなキャラクターについて語って「道産子ギャル」評を締めよう。第3話で焦点が当たった秋野沙友理は多汗症がゆえに運動を避けてきた。他にもオタク特有の早口や、それについて反省会をするなど、少なくともメインヒロインの冬木美波のギャル表象よりは解像度が高いように思える。彼女はスキーの授業で2度転ぶ。1度目は耳にイヤホンをし、話しかけるなオーラを発しながら、ずかずかと歩いている時。2度目は毛嫌いする冬木に痛くない安全な転び方を助言され、それを実行した時。重要なのは転ばないことでなく、転び方だ。

加速する滑走をどう止めることができるだろうか。


「スナックバス江」

「スナックバス江」は「道産子ギャル」と同じく北海道が舞台だが、現状、その設定は、さして重要そうでなく、シットコムのように実際の舞台は場末のスナックに固定されている。独立した空間に、キャラクターらが入れ替り立ち替りながら軽妙なやりとりを繰り広げる。特筆すべきはエンディングの映像だろう。

加工されたキャラクターと実写のカラオケ映像

毎エピソードに特殊エンディングが用意されていて(特殊と言えるのか?)、それは実在する楽曲を実写のカラオケ映像を背景にキャラクターが歌うというものだ。この異形の画面は、にわかにローカルな固有名詞を挟む「道産子ギャル」の画面と共有する点もあるだろう。しかし、カラオケ映像と言うと、より一般化されたモチーフであり、この映像はどこかメタバース空間でバーチャル美少女が実在の動画を視聴するのに似た世界観を想起させる。

メタバースには、どこからでも参入可能だろう。第1話で常連の森田は「エッチなガジェット」の1つとして「透明人間になれるサプリ」を紹介する。私たちは、さながら透明人間になり、スナックの会話を盗み聞きして、パロディネタにくすっと笑う……そのような感をも覚えてしまう。

エッチなガジェット・時間停止アプリ


「ぽんのみち」

「ぽんのみち」は広島県尾道市が舞台のアニメだ。タイトルが「尾道」にかかっている点からも、ご当地アニメ然としているが、現状、その要素は控えめである。休日、主人公らは元雀荘だった部屋に入り浸り、「平和な日々」を送っている。

私の地元は広島県広島市で、広島弁が聞けるならと、なんとなく、このアニメを観始めた。しかし、それだけには留まらない魅力がある。

第4話で主人公らは雀卓を囲みながら実在するスマホゲーム「雀魂」をプレイする。20分間のCMとも思えるエピソードだ。尾道市を舞台にして、どこからでも接続可能なソシャゲをプレイする。良くも悪くも、これが地方なり観光地の等身大だろう。自らを顧みても、そう思う。

現状、少女らは「咲-Saki-」のように切磋琢磨し麻雀に取り組むのでなく、むしろ、ふざけたり、イカサマしたり、パロディの連続によって横道に逸れていく。このようなアニメ批評は恥ずかしくもあるが、オープニングの歌詞の分析もしてみたい。

何もないよ役がないよ/それでいいよ「リーチ!リーチだ!」/何もないよ何もないよ/ラーメンならあるけれど/君がいるよここにいるよ/それだけで幸せ/裏ドラくらいは期待したい

中田花奈,ぽんのみちオールスターズ「ポンポポポン」

ここでは、配牌が悪い時の何もなさが「日常」の何もなさに換喩され、かつ、それがポップに歌われている。この曲を、または別れの予感を孕んだエンディング主題歌を聴いて、私は考える。ぐるぐると移動する牌。同じようで異なる盤面。転がり続ける、なにかの軌跡を。

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