見出し画像

新批評サイト開設に寄せて(第一回)

新批評サイト開設に寄せて(第一回)
文学と批評
沖鳥灯

historyはネイティブでは「歴史」よりも「経歴、履歴、病歴」という意味で使用されるそうだ。二〇二四年二月一日の批評サイト「net stones」開設に先立ち、管理人のわたくし沖鳥灯(okitori akashi)の「個人の歴史」から「批評の歴史」への敷衍を試みよう。
私はのんびりとした性格だった。幼少期における傾注の対象はもっぱらテレビであり、典型的なオタク第二世代(一九七〇年代生まれ)。祖母の家で『電子戦隊デンジマン』(一九八〇─一九八一)の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」(歌・成田賢)に魅せられ、スーパー戦隊シリーズの虜になった。むろん仮面ライダーシリーズ、ウルトラマンシリーズ、水木しげる、タイガーマスク、野生の王国にもハマり、幼少期の愛読書は怪人図鑑、怪獣図鑑、妖怪図鑑、プロレス図鑑、動物図鑑だった。オタク第一世代(一九六〇年代生まれ)は『ゴジラ』(一九五四)、アニメ『鉄腕アトム』(一九六三─一九六六)、『ウルトラマン』(一九六六)、『仮面ライダー』(一九七一)、『宇宙戦艦ヤマト』(一九七四)などであろう。私の世代は『スター・ウォーズ』(一九七七─)と『機動戦士ガンダム』(一九七九─一九八〇)であり、特撮とアニメの再放送で育った。この時代の当事者としての証言は『オタクの文学』(REBOX叢書、二〇二九年刊行予定)で取り組むつもりだ。
historyをつづけよう。中学で永井豪や大友克洋、『Ys』(一九八七)や『MOTHER』(一九八九)などに当てられ、ドラえもんと鬼太郎とゴジラで精神構造が決定された自分は社会と世界に懐疑的になって十五歳で不登校になり、隣町の定時制と通信制の高校を渡り歩いた。四歳上の兄は「M事件」(一九八八─一九八九)に衝撃を受けていた。私の理解の埒外であった。ひきこもり生活で『機動警察パトレイバー』(一九八九─一九九〇)を観た。アニメ『うる星やつら』(一九八一─一九八六)の押井守の新しい仕事に惚れ込んだ。オープン間際のレンタルビデオで『鉄男』(一九八九)や『ツイン・ピークス』(一九九〇─一九九一)、ゴダール、フェリーニ、タルコフスキーなどに出合った。高校で兄から浅田彰『構造と力』(一九八三)を薦められた。浅田彰が「批評」との出合いだ。高校近くの新刊書店で『ヘルメスの音楽』(ちくま学芸文庫、一九九二)を購い、夢中で読んだ。蓮實重彦、柄谷行人、四方田犬彦、ジョルジュ・バタイユ、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダらを教えられた。切通理作で大江健三郎「破壊者ウルトラマン」の主張を知った。文学とサブカルチャーの断然に絶望した。中原昌也『悪趣味洋画劇場』(一九九四)で映画がますます好きになった。楳図かずお、士郎正宗、岩明均、望月ミネタロウ、よしもとよしとも、サガノヘルマー、山田花子、宮崎駿などの漫画に熱中した。『週刊少年ジャンプ』『ログイン』『ファミコン通信』『マル勝ファミコン』『ドラゴンマガジン』『RPGマガジン』『コンプティーク』『ウォーロック』『宝島』『SPA!』『アニメージュ』『月刊OUT』『ニュータイプ』『DOPE』『シティロード』『ぴあ』『テレビブロス』『STUDIO VOICE』『Quick Japan』『i-D JAPAN』『COMIC CUE』『COMICアレ!』『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』『ダ・ヴィンチ』『批評空間』などを愛読した。一九九五年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が発生した。リアルがフィクションを超えたと思った。が、『新世紀エヴァンゲリオン』や『攻殻機動隊』が新たなる希望だった。『機動戦艦ナデシコ』(一九九六─一九九七)の批評で東浩紀を知った。アニメ批評とのファーストコンタクトだろう。一九九七年上京した。古い映画の他に、奥泉光、多和田葉子、保坂和志、阿部和重、福永信、清水博子、安岡章太郎、庄野潤三、小島信夫、後藤明生、古井由吉、根本敬、山野一、町田ひらく、ガルシア=マルケス、マヌエル・プイグ、カルロス・フエンテス、フアン・ルルフォ、フリオ・コルタサルらに出合った。「渋谷はいま戦争状態みたいだ」(阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』)。文化やコンテンツ、そして他者と場所が私という偏狭な存在を変えてくれた。感謝しかない。
さて、五〇年代、六〇年代の「政治と文学」の季節から七〇年代、八〇年代の「消費とオタク」の社会背景を経て、九〇年代の「不況の精神」、二〇〇〇年代の「批評とオタク」、二〇一〇年代の「政治とオタク」という時代区分が私の時代認識である(二〇〇〇年代と二〇一〇年代のhistoryは後述する)。二〇二〇年代はどのような時代になるのだろう。私は「文学とオタク」という命題を掲げたい。開設予定の批評サイトの趣旨は「情報が流れるままのネットメディアに批評の石(意志)を置く」だ。寄稿予定の毒劇法氏はnoteで「ファストな速度感でスローなメディアの開設が決定しました」と開設の所感を記している。「文学」とは「遅さ」だろう。その遅効性に賭けてみよう。東浩紀『弱いつながり』(二〇一四)や宇野常寛『遅いインターネット』(二〇二〇)などの議論も参照したいが、ジョルジュ・バタイユは「生の非連続性」を説いた。生はリニアでは捉えきれず日常は無定形であろう。他方でネットメディアは「広大」に見えて、利用者の志向性によって「井の中の蛙」となる。とはいえ「大海」へ辿り着くことは経済問題や労働環境などで困難な状況だろう。「生の非連続性」と「セルフフィルターバブル」に抗い、「批評の石」をデジタルラインへ「置き石」し、リニアなワイアードの脱線を、まだ見ぬ未来との接続を、「死の連続性」=「文学の遅さ」で夢見る。(つづく) 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?