ブスは呪いか

先日、夫と話していて眼から鱗だった話をメモとしてここに残しておこうと思う。

女性は見た目を気にして、美人とかブスとか外見に囚われすぎだという話になった。

自分は女なので、ブスより美人と言われた方が嬉しいし、可愛くなれる方が得なこと多いと思うし、そりゃみんな可愛くなりたい、外見よくなりたいって思っちゃうんじゃないの?

という話になり、軽い議論のような形になった。

夫曰く、女性を見た目で点数つけたり優劣言うような人が嫌いで、男はそういう人が多いのは事実、そういう人がとても嫌いだと話した。

それについては同感だ。自分もそんな人は嫌いである。そんな人がいるからこそ、女性は外見にコンプレックスを抱き、自分は一体どう値踏みされなるのかと萎縮し、嫌な気持ちを抱き、それを払拭したいから、不安じゃなくなりたいから可愛くなりたいというのもあると思う。

そのために、整形したいと思う人はすればいいと思うし、整形した結果自分も毎日楽しく暮らせると思うならすべきだと思う。

だが、夫はそれは違うという。
それで整形するというのは、そういう外見をどうこういう奴らに負けている事になると。

要は、女性は見た目で判断されることを嫌がるのに、見た目で値踏みすることを失礼で最低なことだと言うのに、己が結局それを肯定することになる、とのことだった。

確かに一理あると思った。

整形してそう言う人らを見返したい、と言う気持ちはとてもわかるし、感情論で話すならそう言う人たちを責めたくないし、応援したくなるが、確かにその嫌な人の価値を肯定する事になるのだ。

困った。どうしたらいいんだろう。

夫は言った。
例えば野球選手やプロゴルファー、天才科学者や大富豪、そう言う人達に嫉妬したり、見返してやると躍起になる人は外見より少ないよね?なんでだろうね。
外見だってある意味能力のようなもので、皆が美しいと褒めているなら、価値を見出してるならそれはそれとして褒められるべきだとは思う。
と。

自分は納得がいかなかった。能力という表現に違和感があった。
生まれ持ったものを能力というのならなんと不公平なことか。

夫は続け様にこう言った。
金持ちだってそう。生まれながらにして金持ちな人もいる、それもある意味能力なんだよ、と。

不公平すぎる…そんなこと言ったら絶望しかないのではないか。

でも、よく考えれば事実なのだ。

ただ、努力で得られる部分もある。夫が言うには、その能力として何が一番得意かちゃんと考えて見極めて、それを伸ばせばいいのでは、と言うことだった。

ここまで話してもなかなか自分の感情がうんと言わない。言いたいことはわかるが、納得し難い。してはダメだとすら思っている。

そもそもブスはなぜ美人になりたいと思うのか。先に話した男の評価も勿論あるけど、本当にそれだけなのか?

よく考える。

どうして美人になりたいか。
モテていい思いがしたい、ちやほやされたい、馬鹿にされないようにしたい、普通に楽しく生きたい。
一言で言えば美人の方が得で幸せになれそうだから、である。

だから美人になりたいのではなく、皆幸せになりたいのだ。

自分の顔がブスかどうかなんて、赤ちゃんの頃は気にしない。大体は誰からも可愛いと、何しても肯定され、承認され、愛で包まれている。

何をしても楽しいし、何をしても認められれば幸せなのは当たり前だ。

そこを美人になるというところだけを考えるから、違うのではないかということだった。

顔の美醜なんて、人によって異なるし、何も他に能力として戦えるものは沢山あるのになぜそこで戦おうとするのか、外見に囚われすぎている、一種の呪いはどこでかかってしまうのか。

ブスが整形して周りを見返す話は良くある。夫はそれについても、本当に外見で判断するような人たちを無くしたいならばそんな話を作ったり、そういう話を肯定してはダメだろうと話す。

ちなみにそういう読み物、自分は大好きです。変身物みたいで

納得いかない気持ちはあれど、確かに外見ばかりに囚われすぎているのかもしれない。
もっと他の部分を頑張って伸ばした方が、結果的に幸せをつかめるのかもしれない。

この外見への呪いは今後時代の流れとともに変わっていくのだろうか。

今の若い世代も、その苦しみから解放されるといいなと思う

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