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アイデアのケリ

いつも持ち歩いているメモ帳がある。
アイデアを思いついたらメモをしている。
1ページの真ん中に線を引いて上下に分割して、一つのスペースに一つ思いついたアイデアをさっと書いていく。
アイデアと書いたが、本当に思いつきの駄洒落、言葉遊び、なんとなく浮かんだビジュアル、とかを書いている。
例えばついさっき描いたものは「頭がコーヒーカップになってる恐竜、体もカップも真っ白」というものだった。
コーヒーカップの恐竜が何になるのかさっぱりわからないしどこに向かうのか誰を対象にしたものなのか、漫画なのかイラストなのか映像なのかアウトプット先も全くわからないし決まってない。
こうやって書き溜めたものがもうどのくらいあるのかわからないくらい百均の手帳が溜まっている。
死ぬ間際に書き出したアイデア達に胸ぐらを掴まれながら「俺のことアウトプットせずに死ぬのは許さん」と言われてしまうような気がしている。
実際のところ書き出したアイデアを全て実現するなど不可能だし、そうする義務もないのだが走り書きとはいえ生み出してしまったものに対してケリをつけなくてはならないような気もずっとある。

自分はアイデアに対して使える使えないということはないと思っている。
制約や義務などの条件が発生している場面では使える使えないという価値観は発生することはあるかもしれないが、創作において全くの自由な条件(それも幻想であるかもしれないが)においては「ダメなアイデア」など存在しないと思う。

コーヒーカップ頭の恐竜がどう着地するのか全く予想つかないが、つくり続けていると過去に出してしまったアイデアは然るべき時に勝手に走ってきて適切な場所にストンと着地することがよくある。

その時が1時間後かもしれないし10年後かもしれない。いつかはわからないがつくり続けようと今日も思ってる。

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