別れはいずれ訪れる

日記です。

今日も患者が亡くなった。
全く知らない初めて会う人。
名前、年齢もわからない、モニターアラームが鳴り行くと10分足らずで亡くなった。
高齢者、寝たきり、家族からはDNARと申告を受けており
蘇生の必要性はなかった。
その場にいる時は「ああ、死んだのか」くらいにしか思わず
私は明後日にある試験どうしようとか自分のことを考えていた。

新人の頃はしっかり黙祷し帰りに塩を買い撒いたりした。
でも慣れてくると流れ作業のようになり、患者さんが何故亡くなったか振り返りもせず、人であることを忘れてしまっていた。
ふと帰り道に「あれ、私やばいな」となんとなく思った

患者にとってもこれまで歩んできた人生があり
友人や家族がいて、その家族にとっては大事な人だったのかもしれない。
何の仕事をしていたのか知らないが、今の私みたく仕事に葛藤していた時期もあっただろう、友人たちと笑い合ったり、趣味に没頭したり、悪いことをしていたかもしれないし、生きて来て色んなことがあっただろう。でも死ぬ時は一瞬で死に立ち会った人(私)には、ああ死んだな、暗いにしか思われない。(まあきっと私もそうなるだろうが)。と死の場面で最低だったの反省し今これを泣きながら書いている。

特に寝たきり全介助の人に対しては人であることを忘れてしまうことが度々ある。そうなってしまう。感覚が麻痺する。
自分がなったとき、こんなことされたくない、言われたくないこと
はしない、言わない。

何が言いたいかって
人に真摯に尊厳を持って対応しよう、向き合おうと思った。


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