名前

2000年1月26日、生まれました。
お父さんの姓をもらいました。
お父さんはめんたいロッカーで、わたしの人生初の参戦ライブは生後半年、爆音ギグでした。お母さんはアンプ横が好きな女だったので、わたしもきっとその場所で、その音を音楽ともわからずに聴いたんだと思います。
わたしの名前は和音といいます。音楽で使われることばです。
また宇宙には音階があり、きれいなハーモニーになっているという説があります。宇宙は和音で示せるということです。おやすみプンプンで知りました。
わたしはこの名前と共に、わたしというひとりの人格が、宇宙であるという権利をもらいました。生まれながらにして、いっとう自由な孤独を、既に獲得していたということです。

もとより自由人だったお父さんは、だんだんと出張で家を空けるようになりました。会社の男性の上司と不倫をしていました。
お父さんはゲイでした。
両親は離婚しました。

わたしは物心もつかないうちに、生まれつきの名前を失いました。そして名前の元をたどって、母方の四天王の姓を名乗ることになりました。
そのうち保育園に通いだし、自分の姓をひらがなで書いたときの文字の姿を知りました。ゆったりとした曲線がやわらかく、好きな形だと感じました。
でも、母とその両親は仲が悪く、母からはいつも、その血縁への恨みを感じていました。わたしにはその名前が馴染んでいないと思いました。

ある時、母が再婚しました。
わたしは3つ目の姓を名乗ることになりました。
保育園の自分のかごの名前のラベルが張り替えられ、そこに新しい形の文字が書いてあること、新しい名前で呼ばれること、
ラベルを張り替えられるだけならまだしも、持ちものに書いていた前の名前がマジックで黒く塗りつぶされ、ずれたところに新しい名前が書かれることに、とても違和感と嫌悪感を覚えました。
単純に、わたしのきれいな持ち物が、汚されたと感じました。わたしが、その短い人生の中で「自分のもの」として与えられた数少ない持ちものたちです。わたしなりに、大切にしていたものばかりでした。それなのに。
それなら、もっときれいな色のペンで、お花でも描いたほうがよっぽどいいと思いましたが、当然、持ち物にラクガキをすることなんか許されません。それでも大人は、平気で、真っ黒を塗りたくりました。布製品のマジックの跡は、洗濯をする度に滲みました。ディズニープリンセスのピンクのタオルケットの、記名の部分だけがいやな黒色でした。わたしは黒が大嫌いになりました。
理不尽だと感じ、とても不快でした。

新しいお父さんのことはとても嫌いでした。
嫌でたまらないのに、相手のほうが明らかに大きくて勝てないから嫌だった。当時はまだ母親にすら勝てなくて、引っ掴んで家の外に放り出されたって泣くことしかできなくて、ものすごく悔しいと思っていました。
でも実際は、泣くことしかできないなんてわけがなく、
わたしは家を追い出された裸足のまま、歩いて出かけました。5歳。
おばあちゃんの家まで行って、どうにかしてもらいました。
迎えに来た両親のばつの悪そうな顔、一生忘れない。わたしはお前たちを、一生許さない。

それから小学校3年生になり、妹が生まれました。
わたしにとって2人目の父親は、はじめからいけ好かない男でしたが、妹が生まれた途端に、さらにわたしへの態度が悪くなりました。とても嫌いでした。
そして、またこの男も、単身赴任をして帰ってこなくなり、その仕事先で不倫をしていました。
両親は離婚しました。
母親は相変わらず実家と仲が悪かったため、名前は戻しませんでした。

2018年、わたしは、血縁を恨んで上京しました。
住民票の移動やその他たくさんの書類の山に、嫌いな姓を見、書き、名乗らなければならないことにうんざりしていました。
でもこれは、妹の生まれつきの名前でもあるし。
なんの罪もないあの子のためだけなら、それと同じ名前であることは甘んじて受け入れられると無理矢理納得していました。

2019年7月7日、母親が再婚しました。
妹と母親は、新しい姓を名乗ることになりました。
わたしは、母親が再婚するという、妹の新しい父親になるというその男性には一度も会ったことがありませんでしたし、関わりたくもなかったので、家族の中でわたし1人だけ、名前を変えないことにしました。
筆頭主「○○母親」の中の、「○○和音」と「○○妹」という戸籍。
そこから、母親と妹が抜けて、わたしは遂にひとりぼっちになりました。
母親は頭の中がお花畑ですから、自分を織姫にでも重ねて、結婚という逢瀬の契約を夢みたいに思っていたのだと思いますが、
わたしは、生まれつきのものでもなく、血縁すらない、わたしをいじめていた男性の姓を、たった1人で持ち続けることになってしまいました。
戸籍は檻みたいです。わたしはどこへも行けません。
彼氏は結婚してくれないし。

わたしはわたし自身で、自分に名前をつける必要がありました。

でも、ここまで名前に振り回されてきた自分だからこそ、名前は祝福であるべきと考えてしまい、自分自身を自ら祝福する滑稽さに耐えられず、あまのじゃくな名前を付けました。
名無し、の意味を暗喩した「七詞」。虹、八百万の詞(ことば)を、夢に見ること。
それがミスiDを受ける上で約束した名前になりました。

ミスiD2021 だいじょうぶ、日々を生きる以外の才能は全部ある賞
七詞睡眠

匿名の夢であるわたしにはぴったりの賞だと思いました。ミスiD審査は全てオンラインで、わたしは「ミスiD」の審査員の誰の前にも現れ出ることはありませんでした。
ただ、ミスiDの審査期間中、ZOCのオーディションがありました。
そこで唯一、大森靖子さんの目の前にだけは、立つことができました。
わたしは、わたしを祝福する名前が欲しかった。
オーディションで、family name 同じ呪いで だからって光を諦めないよ と歌いました。これはわたしの歌だから、大切でしたし、これを作ってくれた大森さんが大好きでした。

ラーメンの事件がありました。
皮肉なことに、暴露というのは基本「匿名」でやるものですから、わたしの「七詞」という名前は体よく盾になってくれました。わたしは本来、チクるとか暴露とか大嫌いな性格です。静かに内々にやればいいのに、それでもその手段を取ったのは、わたしにあの問題をひとりで淡々と片付けるだけの能力がなかったからです。勝ち負けなんてつまらないものははじめからなく、ただ、わたしはわたしたちの苦しみをなかったことにされたくなかった。でもだからって、派手で俗っぽい手段を取って、へらへら笑うしかない自分を含めた登場人物全員をばかみたいだと感じていました。助けてくれた人達に感謝しながら、己の矛盾に呆れていました。
大森さんの曲でラーメンの話というものがあります。働いていた当時から、わたしとロールパンナちゃんのことみたいだと思って好きな歌でした。生ぬるく、つめたく、ざらざらしてやわらかい生活が、ほんとうのわたしとロールパンナちゃんでした。
説明の最中、どうして今こんなことになってしまったんだろうと思っていました。居心地がいいだけでつまんなくて大好きだった生活、いちばん大切な部分を無視して、クリック数に直結しそうな強い見出しばかり喋っている自分のことが、心の底から情けなかった。でもあのときは、そんなことは口が裂けても言えなかった。


わたしは本物のわたしとして外に出る必要があると感じました。匿名の夢、というのはインターネットの世界のことでもあります。寝ても醒めても、わからないことがあれば調べればいいもの。脳内ディグ≒回想≒Google検索、みたいなつまんない思い出を肥やして壊して、わたしは現実に見つかる必要があったのです。なぜなら、インターネットの世界にこびりついたわたしは、嘘なしの自分ではあるにも関わらず、表面的でしょうもない部分にばかり焦点が当たっていたから。もっと、ミルクティーが好きとか、洗濯がめんどくさいとか、そういう生きている人間っぽいところがあって当然だと知ってもらわなければ、ああいう残酷な話が現実のことだってわかってもらえないと思ったから。

そして、改名をしました。憂国和音になりました。
政治的な意味のフィルターをかけて見られることを心配されましたが、わたしは大丈夫です。長久允監督の、死なない憂国から勝手に拝借しました。わたしはLOFT9で働いています。死なない憂国は新宿LOFTと文化とコロナのお話です。LIVEハウス、生きる場所に行けば、感染症で死ぬらしい。と文化ごと教養ごと淘汰されていく悲鳴の作品と感じて、とても好きな舞台です。COLOsNA。殺すな。わたしを。病まないほうが不誠実なの。わたしは憂いている。自分のことだけじゃない。
そして和音は本名です。やっと半分だけ、わたし自身になれました。でもこの名前はまだ祝福ではなく、説明です。これからまた、生きていく。

匿名の夢から醒めて、憂う宇宙の、教養が果てるまで。

この人生を、覚悟を、意味を、浅はかな思いつきで、冒涜しないでね。

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